施設申し込むよ

今朝、階下に降りようとしたら!トイレに半分身体を突っ込んだ全裸の男が1階の廊下で仰臥してた!

変質者ではなく父。

 

今日は日曜日。ディもなくヘルパーも来ない。

昨夜「明日は誰も来ない。床に寝るな。杖は万能じゃない出来ないことを理解しろ」と伝えてあるが、今日なにかやらかすんだろうなーとは思ってた。

が、朝イチこれかよ!早すぎる!

 

しかもこのトイレ、わたしが腐海と呼ぶ場所。

父母しか使わないトイレだが、2人‥とくに頻尿の父が尿便撒き散らし、便座には尿石がこびりつき、とにかく掃除が追いつかない。

わたしは1度も使ったことがないトイレだし掃除を放棄して久しい。つか掃除のために入るのも嫌。

しかし、いつか父がトイレで転倒するだろうと予想し、ダスキンのクリーニングを依頼してる。それが明後日。

 

で、今日トイレで倒れるんかい。父の後頭部から身体はこの汚いトイレの床に触れてるわけだ。まじ許せん。

 

「杖を手に入れたからってトイレ行けると思ったの?」父「そう」

「ふざけんな。てめぇでリビングに戻れよ」父「もちろん」

この認知の歪みが本当に!マジで!こっちのメンタルを抉る!

 

一昨日も床からベッドに押し上げた。

今日もあの汚い身体をずーっとリビングまで引きづって、ベッドに上げる気力も体力もねーわ。

 

で、リビング行ったら杖は昨夜と同じ場所に放置中。

‥え?どゆこと?

「四点杖を手に入れた→歩ける!」という気持ちだけで「杖は持たずトイレに行き、転倒」か。ドネペジル…仕事して…

(杖があっても同じ結果だろうし、父には杖を使いこなす認知が足りないだろうけど)

 

そこに父「ママーママ―」!2階の母に向かって叫ぶ。

どうやら服を持って来てくれと言ってるらしい。

階下に降りて来た母、今はもう3月から父がリビングで起居してることすら認めない。

ゆえに、リビングの一角に積んでる父の服もそれと理解できない。

リビング収納を端から開け、

母「お父さんの服がないの」「いや、目の前に積んである」

母「ええ~そんなのお母さん聴いてないわ」出た。

「聴いてる聴いてないじゃなく、お父さんは3月から1階のこのベッドで寝起きしてるの。あなた見てるでしょ。服も1階にある。つかコレね。今見ればわかるでしょ」

母「へぇ~聴いてないわ。知らなかった!」

最近の母は「見たくない、知りたくない現実そのものを拒否する」ようになった。

記憶できないのではなく、はなから見ない。理解しない。

この人たち、認知症相乗効果半端ない。

 

母の不穏回避のためにも、痛む背中に鞭を打ち手袋をはめた。

父の両足を持ってリビングに…

父「おい、なにするんだ!やめろ!」

「とりあえす部屋の中に入れるんだよ!」

父「大丈夫だ!自分で出来る!やめろ!」

90度でカーブしてリビングがある。が、身体を突っ張って拒否する父。

 

これは保護責任者遺棄になるんでしょうか?家族はどこまで責任を担うの?

 

「もう埒あかねぇし。いいわ施設申し込むわ。8月から毎日毎日こんなん無理だろ」

施設行け!は何度か言ってるけど「申し込む」と言ったのははじめてかも。

このニュアンスの違い、父にわかるだろうか。

 

7日…介護認定が降りたらとにかく特養申し込むか。

 

で、今洗濯物を干すためにリビングドアを開けたら、父の股間

発見時も全裸でわたしがリハパンを履かせた。

それをまた脱いでる。

 

「あんた今どういう状況かわかってる?」父「わかってる」

「玄関開けたら全裸でフルチン。新聞屋の集金でも来たらアウトだわ」

 

母は父の服を探すのをさっさ忘れ、また2階に寝に行った。

この両親の安全・健康を独りで背負い続ける自信が見当たらなくなりつつある。

 

何が起きてもおかしくない

今日は父母ディサービス。

父は兼ねてから欲しがってた四点杖を入手した。

  • ディて使用する利用者を見て、「あれがあれば歩ける!」と思い込んだ父。

介護サービス事業者に連絡しディに確認し、リハビリの先生がいる日に来訪してもらい、ケアマネに‥て、長い。

介護保険だから仕方ないけど、父が気軽に要求するたびにわたしは数か所と調整しなきゃならない。

家族の機動力が問われ続けてる。疲れる。

 

調整はしたけど父の性格上、「杖を手にして調子乗って転倒増えるんだろうな」と予見はしてた。

でも「杖が欲しい!」という父を突っぱねることも出来なかった。そのくらいの要望は叶えてやりたい…なんて仏心。甘かった。

 

本日、父母は15時過ぎにディから帰宅。

わたしは18時まで仕事。仕事を終えリビングのドアを開けると、父とヘルパーさんの声。

「大丈夫」「無理ですよーベッド戻りますよ」

ディから帰宅し約3時間経ってるのに、マスクのままソファに座り動けない父。手には杖。

あれほどソファは座面が安定しないからNG!と言い続けたのに記憶にないのか。

父を抱え起こし車椅子に移乗させるヘルパーさん。ソファからの抱き起こしはめちゃ大変なんだよ!

 

母「あ!○○!ねぇお腹すいた〜」

母は母でディから留守電が入ってた。

帰宅時にスタッフさんが父の車椅子介助をしてる間、母が転倒して頭を打ったらしい。

「お父さん、ソファに座んなって言ってんの。(ヘルパーさんへ)いつもすみません〜。お母さん、頭は大丈夫?」

今までは、仕事を終えたわたしが即座に父の身体介助をしてベッドに戻し、母の頭を気遣いつつ夕食を準備してた。完全にブチ切れてるパターンだ。

だけど、ヘルパーさんがいてよかった…。介護はマンパワーだよな。

 

とはいえ、父が「魔法の杖なんかねーんだよ!」気づくまで、また転倒を繰り返すのかな。いや気づかないのかな。クソうんざりだわ。

 

そんな本日の朝は、ベッドにはいたけど…

「今日、ディサービスだよ」

説明しつつベッドでリハパン&スウェットを履かせ、車椅子に移乗。

朝食食べさせて上半身も着替えさせるか…と仕事場の準備を止めてリビングに戻ったら、

自力(母に車椅子押させた?)でベッドに戻ってた父、下半身がむき出しになってた。

「はぁ。今日はディだって言ったよね?わたし、さっきパンツもズボンも履かせてるよね?なんでまたベッドに寝てフルチンになってるわけ?1度で済む手間を2度かけさせるな」

再びパンツとスウェットを履かせ、今朝2度目の車椅子移乗。腰痛い。

 

その時に「ディに着いてから着れば?」と上着を渡して目を離した後、上着の袖を無理やり足に通し履いてる父を発見。

「気慣れた上着を下半身に履く」

これ、母もよくやるんだけど認知症重度の症状だよねぇ(遠い目)。

 

 

昨日は、在宅医の往診日だった。

仕事中が往診時間だったから、今までのデータはすべて記録して置いておいた。

が、なにせレビー服薬調整中だし、先日の「紹介状」のお礼も言いたい。

なんとしても医師に会いたく、仕事を巻きで終える。

…マジ、わたしの仕事の将来もヤバい。

 

で、リビングのドアを開け‥開かない!全開に出来ない!

  • 廊下にあるはずの車椅子がリビングに。しかもリビングドア&仕事場ドアを塞ぐように置かれてる。
  • わたしの足元には父の頭。また床に仰臥してる。
  • 向こうのダイニングテーブルには在宅医。その向かいで母は得体の知れないモノを食ってる。

「はぁ?わたしが仕事に入る前はベッドにいたのに、なんでまた床に寝てんの!」

医師「どうも~。朝はベッドにいたんですね。なんか夫婦げんかしてバリケード作ったらしいですよ」

 

夫婦喧嘩‥。

 

また母に車椅子持って来させてグダグダやったな!数日調子がいいだけで「在宅で行けるかも」なんて血迷った自分を呪いたい。ホントこいつ無理だわ。

今後も父の「波」の中でわたしの気持ちは翻弄され続けるんだろう。クソ腹立つ。

 

「起こして」と期待に満ちた目をした父を無視して跨ぎ、医師の元へ。お礼と進捗状況を伝える。

医師「まぁ…検査内容を見てもレビー小体型認知症ですよねぇ」

「ですよねぇ。こんなに検査しなくていいのに。ねぇお母さん、なんでお父さん床に寝てるの」

母「え~わたしは何も知らないの~」

イカを貪る母。そのイカ焼きどこから?

わたしは朝、母に、

「今日の昼は仕事でいません。転ぶと危ないから買い物1人でいかないで、今川焼(生協の自然解凍)をお父さんと食べなさい」

今川焼を見せてテーブルに載せた。

 

しかし、毎度のことながら母は「それを食べ物と認知できない」。

テーブルの上には母が買って来たらしい「イカ焼き」「さつま揚げ」。他に「バナナクレープ」×2、ポテチ、チョコクッキーが散乱してる。今川焼は手付かず。

「あぶないから買い物行かないで済むように今川焼置いたのに」

母「違うの。お母さんは買って来てない。誰かが買ってきた!」

 

「‥先生、この家ヤバいですよね!」

医師「でも、わたしも慣れてきましたよ!」

 

その翌日(本日)に母の転倒。父のソファ。

ようは夫婦ふたり、目を離したら何が起きても不思議じゃない状況。

3日ほど前のディの朝は、父の支度をしている間に、先に支度を終えた母が徘徊に出てしまった。

送迎には父だけ乗せて、仕事前のわたしが母の帰宅した時に保護。

 

わたしの仕事開始に間に合わなければ、もう放置しようと思った。マジで。

 

手をつなぎ、ディに歩きながら、

「お母さん、どこ行ってたの」

母「大事なところよ。電車に乗っていったの」

…区長選候補者のリーフレットを持って帰ってるから、最寄りのJR駅まで行って帰宅してるはず。帰宅直後でも母の記憶は曖昧だ。

 

わたしとJR駅まで歩くと、手を繋いでいても転倒する日もある。

買い物したものを持たせると、バランスが崩れるのか転倒率も上がる。

7月のように道で転倒するか、赤信号に突っ込んで車に轢かれるか‥。母の外出で何が起きても不思議じゃない。

1番最悪なのは赤信号待ちの通行人に突っ込んでいくこと。

これも、わたしが何度も母を阻止してるから、十分危険水域。

でも母本人は「大丈夫よ~」と全く自覚がない。

拘ってる行動が違うだけで、ようは父も母も因果関係が理解できない。家族以外に被害を与える可能性が高いのは、父よりむしろ母の方。

 

母の徘徊を回避するために、翌日の食事まで用意しても無駄だし。

父に手をかけてれば母が徘徊、転倒。母に手をかけてれば、父がベッドや床に放尿。または床に転倒。

プロのディのスタッフさんだって、父に手をかけてれば母から目を離さざるを得ない。その隙に母が転倒し頭をぶつけたのが今日。

 

父の介護が厳しいとか、外部のサービスを入れるというより、2人それぞれの認知症・パーキンソニズムが進行し、自宅での暮らしが厳しくなりつつあることを実感する最近。

 

今月7日、父の介護認定が来まる(長かった…)。

その日に母の介護認定見直し申請もすることにした。

 

 

死んでる人は見えますか?

昨日、初診予約が取れた大病院へ診察に行って来た。

 

大病院の初診や初診療科は手間もかかるし待機も長い。通院ヘルパーさん・介護タクシーを手配し万全の態勢を敷いた。

 

案の定、初診手続き、紹介状のアレコレ、問診シート記入などにわたしが飛び回ってる間、通院慣れしたヘルパーさん(先輩)に車椅子介助を頼む。

どんどん座位が崩れる父。先輩に持ち上げ直してもらう。

わたしが通院を渋るのは、父が「座位を長時間保てない」のが大きな理由。

 

診察室前でも待つこと40分。どんどん落ち着きがなくなる父。

なのに本人は「(医大の)皮膚科に行く」だの「(医大の)泌尿器科に行く」だの、気軽に言うんだよなぁ。理性がない奴は最強。

 

神経内科の待ち合い、他の患者さんもパーキンソン病かな?レビーかな?と思う椅子利用の高齢者が多い。この時点で微妙に察してたけど、診察で腑に落ちた。

 

やっと診察室に呼ばれ、まず、

医師「在宅の先生の紹介状、ものすごく詳しく書いてくれてますね。おかげで大体の状態分かりましたよ〜」

先生…!さすが一緒に全裸の父をベッドに抱え上げた仲!ありがとうございます…!

 

医師「お父さん、長生きですね~。これはもう素晴らしいことです。まずはそれが大前提として」

暗に「高齢ゆえ"治療"が出来ないこともある」とくぎを刺される。

 

神経反射や動き、認知の検査をテキパキこなす医師。もちろん、今の季節すらわからない父。そこにぶち込まれた質問。

 

医師「死んだ人は見えますか?」

え!

父「見えません」

医師「そうですか〜。割といるんですよね。影がないから死んだ人、影があるから生きてる人って区別する人もいます」

ほぉ。アルツの母もよく「さっきお母さんがいた」と言うけどアレは「作話」。

父が見てる「モノ」はまた別物なのはわたしも分かる。が、死者を見る人もいるのか。

「父は糸が見えるみたいです!」

医師「糸や虫も多いですねー」

「あと電波にハマってます!」父「言わないでよ!」「いや、それを言いに来てるのここに!わざわざ!」

医師「大丈夫ですよ。ここはそういう人ばかりですから」

そうなんだ…脳神経外科とはずいぶん趣が違うのね…(察し)。

 

医師「お父さんの血縁で神経系の病気の方は?」

父「‥」

母型の叔父はパーキンソン病だけど、父方の叔父2人は脳出血系ですでに他界。叔母‥杖ついて引きずるように歩いてたな。あれなんだろう。

自分の学歴や仕事すら返答できなかった父は首をかしげるばかり。

 

そう。

父は「自分の仕事・務めた会社名」も失念してた。「昔のことはよく覚えてるアルツ」と「レビー小体型認知症」は違う認知症なのだと痛感する。

 

医師「よし。パーキンソン病の検査もしましょう。認知症と‥自律神経も気になるなぁ。全部調べましょう」

やはりパーキンソニズム‥!

医師「お父さん、便秘は?便秘してない?」父「してません」

「いや、してると思うんですよ。でも絶対にしてないって言うんですよ」

医師「ですよねぇ。してると思うんだけど…」

言いながら、10月に検査予約をガンガンぶち込む医師。

 

脳シンチダットスキャン(ドパミン神経の変性、脱落検査)、頭頸部MRI、脳血流シンチ、心筋交感神経シンチ(心臓)

10月は4回も通院…。しかもシンチグラフィーと言えば!

 

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クッソ腹立つトラウマの記憶がよみがえる。

しかもめちゃ時間かかるじゃないですか!

レビー小体型認知症をガチ治療する為にシンチグラフィーが必要なのは知ってる。でもそこまでやらなくてもいいんですけど…。

「今日MRIってわけにはいかないですかね」

医師「そうですね、ただ空いてる日があれば早めに入れますから!」

10月中旬なんて3日連続で通院。

家族も暇じゃないんですよ…

「検査はわたしが来なくてもいいんですよね?」

医師「そうですね。全部の検査を終えて11月に診断になります。その時は関係者全員集めてください」

関係者‥

 

いま父母を取り巻く関係者=肉親ではなく、ケアマネさん、ディの皆さん、在宅医、ヘルパーさんが思い浮かぶ。

この場合はどの関係者?

医師「今、ご家族は?娘さんが主たる介護者ですよね?」

「そうです。わたしとアルツハイマーの母、3人暮らしですが、わたしの兄弟を呼ぶべきですか?」

医師「いいですね!ご兄弟!いいです」

先生の勢い良すぎて、よくわからんw

 

母のアルツハイマー診断では「関係者集めろ」なんて言われなかった。

レビー小体型認知症…というか、重度レビー小体型認知症でパーキンソニズムが出現しほぼ寝たきり状態の父の場合、また「何かの選択」を迫られるのかもな。

 

医師も一応、

「僕はただの検査は薦めません。治る可能性があるから検査を薦めます」「パーキンソンなら投薬で治りますよ」

とは言ってた。言ってたけどね!

 

この2,3日、父は割と落ち着いてる。

幻視・妄想・「歩ける」「トイレいける」錯誤で床に転倒することもない。

ただのバイオリズムかもしれず、投薬効果はあまり期待はしてないけど、まぁ平穏。母の徘徊・妄想の方が今激しい。

 

これがパーキンソニズムの治療に入ると、妄想・幻視が復活する。

逆に妄想・幻視の投薬をすればパーキンソニズムの症状が悪化する。今はどちらかと言えばこの状態。

 

身体が動くようになれば、また転倒を繰り返す可能性もある。妄想でまた杖を振り回すかもしれない。

レビー小体型認知症の投薬はこのバランスが厄介なので、入院加療させたかった。

 

もし11月に医師がパーキンソニズムの投薬を始めるというなら、わたしは入院加療を頼む気がする。

だが、年齢を考えると多少動けるようになったとしてもほどが知れてる。

抗がん剤治療も止めてるし、ガンの進行も加味すれば、わざわざ入院させ、パーキンソニズムの投薬を開始するより、家で枯れていくのを見守った方がいいのかなぁと思ったりもする。

 

もちろん、この数日が穏やかだから「家で見守る」なんて発想が出るだけで、また「電波が」「俺はトイレに行く」なんて言い出し床に仰臥したら、

「おめぇさっさと入院加療して来いや!」または「もう加療はいい!さっさと施設!」

と思うんだろうけど。

 

または有効な治療法がない宣言が来る可能性もあるな。医師もその予防線で、

医師「お父さん、長生きですね~。これはもう素晴らしいことです。まずはそれが大前提として」

と言ったんだろうな。

 

診察を終え、外で介護タクシーを待ってる間、父がタクシー乗り場を指差した。

「タクシーに移乗できないっしょ」

自分で立ち上がることも出来ないのになぜタクシー移乗ができると思うのか。

っていうか、この人を連れて10月は4回の通院…目眩。

ヘルパーさんに、

「‥タクシー移乗、行けると思いますか?」

先輩「え〜と、ご自分で立ち上がることが出来れば‥」

デスヨネ。

通院時は特に、移乗で体力使うと病院で持たないしな…。3時間の待機時間も病院で待てないだろうな。

1度自宅に連れ帰り…10月は何回介護タクシー使うんだ‥??

 

わたしの仕事とすり合わせ、ヘルパー手配と介護タクシー手配、そしてイマイチ理解してなさそうな父への説明…

その苦労の果てに来る11月の診断は、どう転んでも「ハッピーじゃない」ことは確定してる。

母の認知症認定以降、ずっとこんなことの繰り返し…で、難易度は上がり続けてる。

これが嫌だから入院加療を…あ、入院させてくれる病院がなかったんだった。

 

 

そんな1日だった昨日。

病院からのタクシー待ちで父が連呼してたのは、

「ワイフに会いたい」

wwwwwww

2~3月入院した時も、「ワイフに会いたい」と言って看護師さんに受けてた。

ま、そのワイフはアルツハイマ―絶好調で父のことともわからない時が増えてる。カンファレンスで退院を決めたのも、ケアマネと連携し1階に介護ベッド入れたのも、全部娘のワタクシなんですけど。まぁそれはいい。

 

父にとって、家に帰る=ママ(妻)

 

これはまぁ微笑ましくもある。

 

 

しかし本日。

夕食を作ってると母の友人から電話が。母を呼び聴くとはなしに聴いてると、

母「お父さん?旦那は今、仕事よ~!まだ帰ってこないの」

母、何歳設定のスイッチだ?

母の親しい友人たちは我が家の状況を知ってる。

介護歴のある人も多いから「お母さんに続いて、お父さんまで…○○ちゃん、大丈夫?」と、わたしのことを大いに案じてくれてもいる。

 

母「え?寝てる?ああ、寝てる人はいるけど、あれは旦那じゃないわよぉぉぉ~」

アルツハイマー、残酷。

「何言ってるの。あそこで寝てるのはお父さん。あなたの旦那」

母「え!アレ旦那なの?…え?そんなこと言っちゃダメ?でも旦那じゃないわよ~だって寝てるの。サボってる!元気じゃないのは旦那じゃない」

父「ひどいな…」「お母さん、ひどすぎるよ…」

 

以前は、母にその手のことを言われるたびに不穏になってた父。

今は「ワイフ」にそんな言われ方しても不穏になる気力もないらしい。

せっかく電話してくれた母の友人も「しまった」と思ったろうな~。

 

母はいつだって友達と楽しくお喋りしたい人。

でもそうやって縁遠くなっていく。お友達の気持ちもわかるし、母が悪いわけでもない。

認知症、恐ろしいな。

 

 

叔父に介助をさせてしまった

今日も床にいた父。

想定外だったけど叔父たち(母の弟たち、後期高齢者)に床からの介助を手伝わせてしまった‥。

 

朝、

  • 今日は叔父たちが来る。
  • ディもヘルパーもない。
  • よって絶対床に寝るな。

と強調したのに、目を離したらベッドからずり落ち、床に仰臥してる父がいた。

父がベッドから床に移動し、ベッドの大きなシミに気づいた。本日もベッドに放尿してる。

 

「あんたその床につけた背中、尿まみれじゃん!介助もしたくないわ!てめぇの力で這い上がれ!」

「お母さんは昨日、お父さんが歩けない立てないなんて知らない〜聞いてない~とか抜かしてたけど、今日じっくり見てろ!」

とりあえず放置。

昨日の今日でまたベッドに放尿。昨日の今日でまた床に仰臥。くらくらする。

 

父母タッグ、昼過ぎても床から微動だにしない上に、床でリハビリパンツ脱ごうとしてる父を発見した。

「床はトイレじゃないよ!脱ぐな!」

「来客がある」と言ってるのに、床に放尿しようとするのは、マジキチですわ。

そのくせ叔父達が到着する前に母に「ズボン履かせろ」と指示してた。

実にレビー小体型認知症的なマダラ認知。

短時間、父と接してるだけなら「認知症」だと気づかれないはず。マジ、許すまじ。

 

そんなわたしも麻痺してるのか、

(叔父たち来た時、床に仰臥しててもよくね?全裸じゃないしアリじゃん?)

と叔父たちの導線だけ確保して、叔父2人、叔母2人、従姉妹の総勢5名を迎えた。

 

叔父たちは3月の父の退院後も来ており、父の妄想垂れ流しを聴いてる。母の認知が重度であることも理解してる。

だけど、床の仰臥は驚いたらしいw

 

「え、気にしないでくださいよー我が家の日常ですよ!ケアマネですら頭と足持って2人がかりでベッドへ上げるんですよ。いいですよ、無理ですよ!」

必死で止めるのに、介助すると屈む叔父たち。

叔父1「じゃあボクがベッドの上に上がるよ」

母「やってちょうだい(長女)」

きゃああああああああ後期高齢者ぁぁー!

結局、叔父たちには父を床で座位にしてもらい、わたしがベッドに押し上げた。

 

叔父2「位置がアレだね?」

ベッドの下半分に丸まる父。

「わたしがベッドに上げるとコレが限界なんで☆」

と言っても、また叔父たちが動きそうで、わたしが父を引きずりあげベッド上の位置を正した。腰と背中が…腕が…死ぬ。

 

息がゼーゼー上がるわたしを見て、

叔父1.2「これ、○○ちゃん1人でいつも‥?(ドン引いてる)」

「ええ。だから2時間に1回はブチギレて罵声飛ばしてます」

叔母1「(父に)○○ちゃん、怖い?」

父「怖いねぇ」

 

ダイニングテーブルは6人がけ。親戚と母で席が埋まる。しかしケーキのお土産を聞きつけた父はベッドから、

「ケーキがあるんじゃないのか!」 

もちろん、わたしも席はないしケーキも食ってない。父だけ除け者にしてるわけじゃない。

あーん、すればベッドでも食えるかもしれないが。わたしにそんな気力体力は残ってない。

それでも、可哀想なので父にケーキより食べやすい大福をくれてやった。のに。

父「おい、タバコ!」

構って欲しいんだろうなぁ~。甘いんだよ。

「ざぁけんな!ベッドでタバコ吸うなって言ってんだろうが!」

秒で飛ぶ罵声。

 

叔父叔母はもう諸々察した‥て感じで、

「ベッドでタバコはダメだよね…」「○○ちゃん大丈夫?」「これは○○ちゃん、大変すぎる‥」「兄弟は?週1日でも手伝わせないと」「ホントに体は大丈夫?」

と案じてくれた。

実は前回叔父たちが来た時、

 

最後、帰り際に叔父から、

「(母の弟ゆえ母を)よろしくお願いね」

と言われた。

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この時、何とも言えない気持ちになった。

母の兄弟だから母を頼む。父の兄弟なら「(お父さんを)頼むね」になるだろう。わかる。

でも、頼まれるわたしは「独り」なんですよ~。限界ってものがありますわ。

とモヤったから、図らずも状況を理解していただけてよかった。

 

 

が、母の弟たちだって後期高齢者。他人事ではないらしく話はそちらに流れる。

叔母1「わたしたちもこんな(母が妄想作話披露後)なっちゃうのかな」

叔母2「早めに施設入らないと‥子供に迷惑かけられないね‥」

叔母1「ウチは娘が遠方だから、お父さんと早めに施設入るわ」

女性の方がリアリスト。

リビングに各種積まれた父母のオムツ見るだけでも、親として感じることは多くてあっただろう。

 

うちも母は元々「お父さんの面倒はわたしが見る!わたしの介護は施設入るからしなくていいよ!」てタイプだったんだよね。

さっさとアルツハイマーになったけど。

 

父は死や老いの話が大嫌いで「大丈夫大丈夫」と逃げ続けレビー小体型認知症だし。

父は入院も多かったから、わたし定期的に保険や暗証番号を詰めてたのに、この顛末。

 

そう。父の暗証番号も銀行印も保険各種も誰にもわからないなう。

 

叔父の1人は元検事で公正役場。

準備しつつある法定後見人の書類の書き方を訊いてみた。

 

叔父1「うーん。いま仕事・家事、この2人の介護を○○ちゃん1人でやってて…法定後見人は、なってから大変だよ。○○ちゃんが収支を全部報告しなきゃならないから、月々お金払ってでもプロに頼んだ方が絶対いいよ」

「後見人は大変だから、カードさえあれば預金は引き出せるし‥(普通はわざわざ後見人にならない的なニュアンス)」

 

確かに「法定後見人」は「裁判所が選んだ人がなり、月々費用が掛かる」ことは知ってたけど、ウチはわたしがやる予定だった。

そんなに大変なのか。そこまで考える余裕がなかった。

 

「叔父さん。でも父の暗証番号も銀行印もわからず、銀行行ったら"本人連れてくるか後見人になれ"と言われたんですよ〜」

叔父1.2「え!暗証番号わからないんだ!」

 

父から聞き出したことはあるんですが間違ってまして。ええ2回ほど!ついでに銀行印に至っては全くわかりません。

 

遠い目になる叔父たち。そらそうだ。詰んでるもんね。

 

でもなるほどねー。

法定後見人になるより、暗証番号や銀行印で動かしてしまったほうがいいのね。(もちろん悪用ではなく、家族が家族の医療介護に使う前提で

 

父の認知が小康を取り戻すなら、一緒に銀行行って暗証番号と印鑑確認するに越したことないとは思うんだけど…

今、頭の調子良さそうな時に暗証番号の話をしても、とんでもない妄想で返ってくる。

そして1回訊いただけなのに、「お金の不安」が生み出したであろう妄想が次々に展開して来る。

お金がない話じゃなく、「暗証番号と銀行印」を思い出してほしいだけなんだけど…父はいつも着地点を「不安」に持って行ってしまう。性格かな。

 

 

そんな今、某ホテルから電話があった。

どうやら1か月半後に、父が30名で予約してるらしい。幹事としての連絡先は父のみ。

多分、同窓会。会合の名前は聞いたことある。

父の認知が本格的にイカレ出した春かな?電話を受けた父が、

父「ええ、予約は生きてます!」

と切っていたことがあった。

(まさかおまえ、その頭心身で何かの幹事でも…?)

と思った記憶があるけど、それか?

 

大口開いて寝る父の横で電話を受けつつ、

「何度もお電話いただいた?すみません~わたしは娘です。父は今、寝たきり認知症でして…。ええ。キャンセル料は?あ、事情を踏まえて無料?ありがとうございます!可能ならキャンセルは2,3日待ってもらえますか?出来る範囲で調べて、幹事さんを移動できればしてほしいので…」

父のPCはほぼ起動しない状態で(古い)、メール確認できるかどうか…

しかも同年代なら似たり寄ったりだろうし、率先して幹事やりたがる人がいるとは思えない。

でもまぁ、わたしが独断でキャンセルするのもアレなので、明日明後日で父の頭の具合が良さそうな時に確認してみよう。

 

父を見てると、

「出来ないだろうから、手放す」

ことが出来ない人だなぁと痛感する。

立つ・歩く・トイレに行く…が諦められないのは分かるし、父は最悪な形で出てるけど、認知症じゃない人ならリハビリ頑張って回復するタイプかも。

でも「高齢者の同窓会の幹事」なんてねぇ…。

「手放して身軽になる」ではなく、「失う=怖いこと」なんだろう。

 

その点母は、あらゆる活動を早めに終了させてた。

脳卒中で高次機能障害になった(急にできないことが増えた)のも大きいだろうけど、

「出来なくなった自分として存在するより、いなくなる」

方を選んでた。

 

人それぞれだなぁ。

 

 

トイレに行こうとして転倒

今朝の父。

 

床下に綺麗なオムツが脱ぎ捨ててあり、本人はベッド上で全裸。

昨日の今日、またオムツ脱いでシートの上に排泄してる。

「ねぇ、ベッドはトイレじゃないって昨日も言ったよね?」

虚空を見つめる父。

 

今日はディサービスの日。パンツとスウェットを履かせ車椅子に移乗し食卓へ。

その間、わたしはベッドシートを張り、洗濯し、2階の掃除機をかけ…なんか階下が騒がしい。

2階の廊下から覗くと、ちょうど1階のトイレ前が見下ろせる。

 

なぜかトイレ前にいる車椅子の父。せっかく履かせたスウェットは脱いでリハパンだけ。

車椅子を押してるのは当然、母。

 

週4日ディに通所してるので、父の排便全てを把握してるわけではないけど、多分、父は今便秘してる。

昨夜夕食時も「牛乳飲みたい」と言って飲ませた。

「便秘?」→父「いや、大丈夫」

変わらぬ会話を繰り返してるが、便秘はレビー小体型認知症の特徴でもある。

 

今日は多分、大便したい→トイレ!「ママ、車いす押して!」だと予測。

 

「おめーらふざけんな!トイレなんざ行けるわけないだろうが!」

母「ええ~トイレくらい行けるわよ~。ほら、お父さん歩いて!」

恐るべしアルツ。昨日もリビングの床に2時間はいたのに。わたしが死ぬ思いで床を引きずりベッドに引き上げたのに父当人も分かってない。

ずっと見てた母も全く記憶してない。

母に至っては、昨日は「施設行け」と言ってたのにね。

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こういう両親を制止するのも疲れ果てた。

危険を事前回避するため介入し続けても24時間監視なんかできない。

問題が起きれば丸投げ。 

で、当人たちは何も覚えてないときた。

エンドレスな毎日に正気を保つのが難しい。

 

わたしは掃除を続ける。

 

しばらくして階下を見ると、当然トイレに行けない父が、車いすの上で座位を崩してる。

「姿勢を直せ!そのままじゃまた床に落ちるってのが何故わかんないの!」

2階から怒鳴る。

母「ほらぁ~。パッパッと立ってトイレに行けばいいのよ」

 

更にしばらくして見ると、トイレ前の床にまた仰臥してた。昨日の今日でまた床に!!

状況としては、この時とほぼ同じ。

 

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「ほら見ろ。目に見えた結果だわ」

母「お父さんがトイレいけないなんて、お母さんは聴いてない!」

また、そこからですか?

「聴くとかじゃねーんだよ!おまえ一緒に暮らしてんだろ!昨日も目の前で見てんだろ!」

「そんなの見てない!」

じゃあ認知症同士、お好きな場所へ突入して行ってくださって構いません。

 

「ディの人に起こしてもらう」

と説明しても、スイッチが入った母は理解できない。メリマー仕事しろ。

 

母「お父さん、わたしに掴まって。せめて畳の上に行かないと」(畳の部屋は2階にしかない)

父が母に掴まったらダブル転倒なんですが。

でも今回避したって、明日も回避しきれるか分からないもんなぁ…

掃除機を続ける。

 

ディの送迎の連絡が入る。玄関開けたら全裸の父。これはマズい。

「せめて人として服は着ろ」

服を投げつける。

「お父さん、うんこしたいんだろけど、ウチのトイレや洗面所は車椅子入らないわけよ。ディのトイレは車椅子も入れるでしょう?なんのためにディに週4回行ってるの。ディでクソしろ」

父「はい」

こんなこといちいち言わせんなよ。

 

 

その後、わたしは18時まで仕事だった。

メリマーを飲ませ始めた母。仕事場突入はなくなるかと期待してたけど、まんまとリビングとのドアから突入された。まじメリマー!仕事して!

 

瞬時に母を押し戻し、

「(小声)仕事中。ドアを、開けるな!!!」

ドアに貼った仕事時間の張り紙を指さす。

視界の端には、見たことない黄色いTシャツを着てベッドに寝る父。下はフルチン。

何食わぬ顔でお客さんの前に戻る。

めちゃくちゃ精神力が鍛えられる…ってかホントきつい。

 

18時過ぎにリビングに戻ると、なぜかシンクに豆乳。母は不在。フルチンの父は変わらず。黄色いTシャツが似合わなさ過ぎて痛い。

ディの手帳を確認すると、Tシャツは借りもの。食べこぼしか??

「お父さん、そのTシャツどうしたの?」

父「これは…買い取った」

いやいやいやいや。

ところで豆乳。家に普段無い物。父はやはり便秘か?母に牛乳を買いに行かせたら、豆乳買って来たパターン?

 

「お父さん、便秘してる?」父「してない」

じゃあなぜシンクに豆乳が…。父の身体や認知への自認は全く信用できない。

 

わたしは父の排便なんか興味ない。

けど、先日の悲劇は2度とごめんだし。

今朝のような目も当てられない事態も願い下げ。

訪問看護入れて浣腸かましたいんだけど。

 

 

その後、夕食を作って食べさせていたら、母が、

母「今日は来なかったわね。この家の持ち主」

「…持ち主とは、どなた?」

母「ええ~ほらぁ。わたしたちはこの家を借りてるけど、持ち主がいるじゃない」

「この家はお父さんとお母さんの家。固定資産税はお二方の名前で請求が来ますんで、国が保証してるよ」

母「え!そんなの聞いてない!」

出た出た。

毎年6月、母と一緒に銀行行って振り込んでるんですけどね。

父「…俺はいま、すごく嫌な目をしてる」

父、遠回しすぎる批判。

こういう互いの会話が、互いの不穏を誘い合ってる地獄。

ああ、さっき仕事中にドアを開けたのは、もしやフルチンの父の指示が理解できない母が不穏になったのかもなぁ。(遠い眼)

 

 

 

昨日、友達がわたしを案じて、

「多分、およそ大抵の人は入院させてくれる精神病院」

を教えてくれた。精神病診断も認知症診断ももらってない父が対象かは分からないけど。

 

友達「あんた死んじゃうよ!早く入院させなよ!明日電話しな?」

「まぁ、水曜日に診察行ってからね…」

友達も母親が統合失調症

イカレた家族と暮らす辛さは良く知ってる。

しかもウチは父母二乗なのでとても案じてくれてる。

友達「なんなら、わたしが電話しようか?でも家族じゃないとだめって言われちゃうんだよね…」

そりゃそうだろうけど、気持ちが嬉しい。

 

そういえば在宅の先生も先日電話くれて、

医師「お嬢さん大丈夫ですか?限界なら鎮静かけちゃってくださいね!応援してますから!」

嬉しいわ〜

 

 

 

 

 

施設に入りなさいよ

今朝の父。

 

ベッドの上でノーパン。脱ぎ捨てたオムツ・リハパン。

全然、許容範囲。

今日はディがない。ゆえに朝、父を車いすに移乗させる理由はない。

しかし、最近「天井から吊るされてる妄想」に憑りつかれてるし、彼にとって長い夜が明け、母と(わたしは食べないけど)朝食を食べるのは夜明けの儀式として重要なのでは…と仏心を出したのが運のつき。

 

朝食後、ベッドに戻そうとするもグダグダ理由をつけ「大丈夫」と拒否。

次に見たら車椅子から滑り落ち、また床で仰臥してやがった。

一昨日の夜はわたし不在でヘルパー長さんが床からベッドに上げてくれた。

昨日、ヘルパー長さんから状況を聴きつつ「四つん這いにさせる」「テーブルを上手く使う」キーワードだけは覚えてたわたし。

…まさか、一昨日の今日も床に仰臥するとは夢にも思わず、しっかり聴いてなかったんだよね。信用すれば裏切られる。

 

朝から仕事であれば完全放置だけど、今日の仕事は午後から。

「ほら、四つん這いになれ」「ここに手をかけ膝に力を入れろ」

介助しようにも、甘えてるのか、わたしの指示が下手なのか…全くやる気のない父。

そのうちベッドの下に頭を突っ込み、

父「中国では焼いた肉と業務用の油を並べていて、それがすなわち飛行機の燃料になるんだが…」

別世界へと旅立った。さようなら。

 

2時間後、ベッドの下から引きずり出し渾身の力を入れベッド上に放り出す。

その衝撃で父の尿が出た。ズルズルにズレたリハパンの間からそれが飛び出しわたしにかかった。

シーツの上に敷いてる尿漏れシートでベッドへの被害は避けられたのが不幸中の幸い。

重い父の身体をどかして新しいシートを張ることはできないが、夜ヘルパーさんが来た時にやろう。1人で孤軍奮闘してた時より、そう算段が出来るだけマシになった。

‥マシになったと思ってたのに!

 

(でも、わたしが床からの介助やったのは久々かもな…もしや薬が効いてるのでは?)

とこのブログを確認したら、

 

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18日も床から介助してるなぁ。

身体がもっと動くときは、1日に複数回床から介助してたから、5日ぶりでも「久々」とか思ってしまった。

 

 

 

なんとかオムツをつけ、わたしは仕事に。で、仕事後ドアを開けると母の声。

母「やだーTシャツも濡れてる~」

????

ベッド上の父はフルチン。足元に脱ぎ捨てられたオムツ。父の尻の下、ベッドシーツには排尿後の大きな尿シミ。

 

あんな死ぬ思いでベッドに上げてやって、おしっこかけられても怒らずにいたのに、ノーガードのベッドに排尿しやがった!!!!!

父をひっくり返しながらゼーゼー言いながらオムツつけたのに、それを脱ぎ捨てコレかよ!(激怒)

 

「お、おまえまた…ベッドはトイレじゃねぇんだよ!何度言ったらわかるんだよ!!!」

仕事場のドアを開け10秒でキレた。

父「ああ、ママが余計なこと言うから…」

「ふざけんな!おしっこの上で一生寝かしといたろうか!ベッドも床もおめぇのトイレじゃねぇんだよ!」

 

わたしがずっと父を見張ってれば、奴が排泄したくなってオムツやリハパンを脱ぐタイミングは雰囲気でわかる。

「脱ぐな!」

と一喝し、排せつ後に替えてやればいい。だから「父が床やベッドに排泄してる現場」自体をわたしは見たことがない。

でも、母はわからない。わからないし止めない。

 

母「あんまりダメダメ言うから、反抗したくなっちゃうのよねぇ」

「はぁぁぁ??反抗ってレベルじゃねーんだよ!人としての最低限だよ!オムツ替える、身体介助する、別にいいよ。病気もあるかもしれないし、年齢もあるだろう。それは構わない。でもつけてるオムツわざわざ脱いで、床やベッドで排泄するって、それはもう反抗じゃねーよ!頭おかしいんだよ!一般家庭でそんなん始末し続けられるか?できねーよ。もう施設一択だよ」

母「あら、じゃあ施設入れちゃった方がいいわよ」

…あっさり。

 

母「ねぇお父さん、施設入りなさいよ。また戻って来れればそれはそれでいいけども」

なんの躊躇もなく、父に言う(笑)

 

今の父の頭ではイマイチ理解できてないだろうけど、「とても不快なことを言われた」ことはわかったらしい。しかも「ママ(妻)」に。

わたしが仕事場に戻ると、母への八つ当たり開始。

父「ママ!タバコ!」

「ざぁけんなよ!ベッドにおしっこして、おしっこの上に寝てる奴がタバコとか贅沢言ってんじゃねぇよ!!」

秒で舞い戻ったわたしが、父が手にしたタバコを別方向にぶん投げる。

やーばーいーこの家。

 

 

その後、来訪してくれたヘルパーさんに頼み父を車いすに移乗。

「おら、その尿まみれの身体を上げろ」

父に言ったら、またすっごくビックリした顔して見られた。

「え。尿って?汚い話するなよ」「まさか俺に言ってないよな?」的な顔。

マジ認知症怖い。てめぇがベッドにわざわざ排せつした尿の話してんだよ!今現在、おまえの背中から尻の下にある尿の話だよ!

 

シーツを替え、尿に塗れたTシャツを替え、色々な現場を見てるだろうヘルパーさんに、

「オムツ脱いでベッドや床に排泄する人って他にいます?」

聞いてみた。

「あまり…いないですね」

で、す、よ、ね!!!!!!

 

認知症が重度になると「トイレに行き、用を足したつもり」で風呂場やキッチンに排泄してるのはよく聴く話。

母は、もっと悪化したらそっち系になるだろうと予想はしてた。そしたら施設かなぁと。

 

しかし、

すでにオムツ状態の人が・汚れてもいないオムツを脱いで、その場で排泄する

ってあまり聴いたことがない。

 

 

しかも、母がノーパンでわたしに注意されてると、しかめ面して、

「ママ、パンツは履け!」

と言ったりもする父。

どの口が言うんだコラ。おめぇだよ!おめぇの方が問題デカいんだよ!

とは言わないようにしてるけど、もう喉元まで出て来てる。

 

でも、ヘルパーさんが最後に、

「○○さん、ベッドにトイレしないでくださいね」

と言ってくれて「そうよね?普通はベッドに排泄しないよね?」と大分溜飲が下がった。

 

介護は家族だけでやるな。他人を入れろ

 

昔から聴いてたけど、家族だけ…しかも認知症&認知症を相手に家庭内を修めようとすると、何が正しいか分からなくなる。簡単に言えば、

こっちの気が狂いそうになる。

 

懲りずに床に寝る父

今朝の父。

また床に仰臥してた!!!

柵の隙間を塞いでたテーブルは足で蹴られ、ベッドの上と下には使用済みオムツ&リハパン。本人はリハパン履いてる状態で床。

 

「…なにやってんの?」父「いや大丈夫」

 

そうか大丈夫か。ならいいわ。

ゴミをまとめゴミ捨てに行き、朝食を作り、起きて来た母に食べさせ、

「お父さん、大丈夫ならさっさと起きてよ。わたしは9時から業者来て10時から仕事だから」

「お母さん、今日の昼はわたしはいないから。サンドウィッチを昨日買ったでしょ。アレを食べてね」

と指示。

 

9時から仕事場のトイレ修理が来てる間、父を観察。案の定、床に仰臥したままリハパンを脱ごうとしてる。

「なんでパンツ脱ぐの?そこはトイレじゃないよ!」

父「でも催した」

「出すならパンツの中に出しなよ。今ならすぐ替えるから」

 

濡れまくったリハパンで床に仰臥し床を尿だらけにしたり、大便の上で寝たり、排尿したリハパンを履いてるのが嫌で床に排泄し、その床の上で寝てたり…

カオス!

 

父の排泄後のパンツを替え、仕事場のトイレ修理も来客直前に終わり、仕事を終えた15時過ぎにリビングに戻る。

  • 当たり前のようにまだ床にいる父。
  • 当たり前のように手がつけられてないサンドウィッチ。
  • 母が買いに行ったらしい長崎ちゃんぽん。の2名分の麺だけなくなり、タレは2名分手つかず。

床の父がちゃんぽんを喰えるとは思えず、母、まさか2名分の麵だけそのまま食べたのでは…。

ってか父は朝から何も食ってないのでは…

母に頼み、仰臥したままの父に粥を食べさせる。

 

レビー小体型認知症をガチで調べると、あまり専門医がいない上、やはり専門医の投薬コントロールが重要らしい。

で、そのためにやはり様々な検査データが必要らしい。

江東区に高齢者医療専門病院があり、レビー小体型認知症専科もある。でも、今の父を連れていくには遠い…。

蒲田のメモリークリニックもレビーに詳しそう。しかし入院設備もMRIもない…

 

よって昨日、認知症外来とMRI・入院病棟を持つ大病院いくつかに連絡してみていた。

そしたら仕事中に1件の病院が電話をくれた。

28日に神経内科で初診受付可能!!!!!やったー!!!

統合失調症の可能性も考慮すると精神科がよかったけど、贅沢は言ってられない。

「当日にMRIまで撮ってもらえますか!?」

病院「それは医師の判断によります」

それでも、1か月先以上先の医大の予約を待つより全然いい。

外来行けば、今後入院させてくれるかもしれないし!(淡い希望)

 

 

床の父を跨ぎながら在宅医に電話し、紹介状の手配をする。初診までの間に訪問日がないから、わたしが空いてる日にクリニックへ紹介状を取りに行くことに。

 

介護タクシーも手配し、通院のヘルパーさんも手配する。

床に仰臥したままの父へ、

「来週水曜日、病院に行くよ」

父「え、医大の皮膚科の予約は取ってるけど」

この期に及んで「皮膚科」の心配かーい!もっと重篤な問題が山ほどあんだろうが!

 

「皮膚科って簡単に言うけど、お父さんは今タクシーも移乗できないんだよ?通院するのは簡単じゃない。まずは体の状態を診てもらわないと」

母「そうよねぇ。せめて希望が欲しいよねぇ」

お、母。いいことを言う。

「そうそう。まずは診断して、身体の状態を診て、リハビリがいいのか薬がいいのか検査しないと」

あえて「認知症検査」とは言わなかった。

が、また妄想が始まったのか、虚空を眺める父。

「ガンが悪化した」妄想が暴走するより「身体に症状が出る認知症」と言った方が良い気がするんだけどまぁいいか。

 

父を床に放置したままカレーを作り、母の認知症病院の通院時間が迫る。

昨日の母の不穏を見たら「置いていけない」と思ったけど、今日は父の妄想や指示が少ないので母も安定してる。

「わたしはこれからお母さんの病院に行ってくるから。ちょっと留守番しててね」

母「わかった!」

一応ヘルパーステーションには「父が床に寝てるが転倒ではない」旨を伝えておく。

 

通院中、不在でつかまらなかったケアマネから電話。

今朝も父が床に落ちており、車椅子やテーブルで柵を塞ぐのでは無理。介護用品レンタルで柵を塞ぐものはないか?

ケアマネ「ああ~今、ベッドの四方を囲むと虐待なので…」

「え!虐待!いや自宅でですよ?」

タクシー内で叫んでしまった。

 

ケアマネ「徘徊するから鍵をつけて閉じ込めるとか、今はそういうのも虐待なんですよ…」

そりゃ介護殺人も介護心中も介護鬱で自殺もなくならないわなぁ…

 

どう説明しても懇願しても理解できず、1日に数度床に転倒する巨体。

来る日も来る日も床やベッドから父を引き上げるのに、背骨と腰が限界を迎えてる。

よって夜のヘルパーさん頼り。今日の父は朝から床にいる。

それも可哀相だから、夜間、床に落ちないように柵を塞ぐのは虐待なんだ…へぇ。

むしろわたしが虐待されてるんですけど、その件は。

ケアマネ「でも何かよい案がないか聴いてみますね」

 

 

 

 

母の精神科では、担当医にも父の件で相談したことが伝わっており、母が父に巻き込まれ、昨日は「家の札がない」と騒いだ件なども伝える。

 

もちろん、サンドウィッチを買いおいても食べられない状況や、過食で下痢をまき散らすこと、上着を下半身に履いてしまうことなども。

「順調に進行中です」

先生「ですねぇ…」

「もう、わたしが診察受けたいです」

先生「その状況じゃ、そうなりますよねぇ…。まずはお父さんを適切に医療と繋げるのが先決ですよね…」

 

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この3年、母はアリセプト1錠で乗り切ってきたけど、

先生「そろそろ薬を増やすタイミングかもしれません」

 

増えたのはメリマー。

これも認知症薬でよく聴く。アリセプトがやる気を出すとすれば、メリマーは落ち着かせる作用があるらしい。

昨日の母の不穏の勢いを考えると、確かに落ち着かせる薬効も必要かも。

 

ギリギリ人並みのモラルや社会性を維持するため、ケミカルで精神や脳を弄りギリギリ暮らせる状態を作られてるのが認知症かぁ。

人間が人間らしく生きられる適正年齢は、やっぱり50代くらいなのかも。

 

 

ダッシュで帰宅すると、ヘルパーさんたちは帰宅した後だった。今日も2人体制で来てくれたらしい。

父が24時間ぶりにベッドにまっすぐ寝てる。そう。これが正しい姿勢。

推測だけど、この状態で寝ていたら床に落ちないような気がするんだよね…。

でも父自身が、それを理解できず拒否する。

 

幸いにも1日床にいてぐったりした父。

ここで「食卓に行く」と言われたら逆上する自信があったので、

「はいお母さんご飯だよ。お父さんはベッドから降りられないから、大福(父の好物)食べる?」

父「…うん」

大福を食べ、吸い飲みを吸いつつゴホゴホ噎せる父。

同時に、カレーを掻きこみウェっグェッと噎せる母。最近、嚥下が危うい。

母の背中を叩き「ゆっくり食べて!」と言いつつ、父を見守る。

 

毎日毎日くっそ疲れるなぁ。今日なんて仕事中に、

あ、わたし今、遠い眼してた!

って5回は思ったもんね。お客さんにバレていませんように…。

 

しかし、8月30日、もし父の「前立腺がんの抗がん剤治療」固執に付き合ったまま在宅医療にも繋がれず、ただ奇行を繰り返す父を見ていたら、今頃どうなってたんだろう。

想像しただけで白目剥きそう。