さっさと施設探した方がいいんじゃないですか?

現在、母は1.5か月に1回認知症外来、3か月に1回脳神経外科へ通ってます。

脳神経外科は、10年以上前に脳卒中で救急搬送された時に入院してた病院。

 

先生は、

ほぼ寝たきり宣告⇒胃ろうサイン当日に回復を見せ、リハビリ⇒3か月入院後自宅に。

そのすべてを診てくれているし、当時はまだまだ元気だった父のこともよく知ってます。当初は父が母の通院に付き添ってたので、行くたびに、

「お父さん、元気?」

と聴かれます。

 

正直、もう認知症外来でアリセプト処方されてる母が、今脳神経外科に通院する必要があるのか?脳神経外科ではエパデールと便秘薬処方されるだけだしなぁ~と思うけど、認知症外来ではMRIは撮れないし、まぁいいかなと通院し続けてます。

 

※母は自分が脳卒中やった記憶も、入院してた記憶もないので、なぜ通院してるかよく理解してないはず。

 

認知症外来でも心療内科でもない「脳神経外科」の先生なので、

「で、認知症外来はどうです?」

母「…え、わたし、認知症なんですか?(認知症であることを忘れてる)」

重い空気。

が多々あって、わたし的には面白い(笑)

 

介護の現場や認知症外来は、被介護者に配慮する。けど、正直介護者的にはそんな空気がもう嫌!ってなることも多々あるんですよねぇ。

 

そんな先生、今日も、

「お父さん、どうです?」

わたし「聴いてくださいよ~!」

と一連の流れを話した。しかも本人に病識がないから、今日もわたしと母の出がけに、

父「税務署行ってくるから」

わたし「はぁ?」(結局、タクシーで独りで行ってきたらしい)

という話もした。ら、

「いやぁ…衰えましたねぇ~」

「しかも本人、自分の状態をよくわかってないんですね。そりゃ大変だ」

「それは…さっさと施設探した方がいいんじゃないですか?」

「僕だったら嫁に悪いから、さっさと施設探すなぁ(先生はわたしと同世代なので、我がこととして置き換えたんでしょうね)」

 

wwwwwwwww

認知症外来や介護職の皆さんからは聴けない言葉だなぁ。

 

現実問題、父のレベルで施設は…有料サ・高・住しかない。し、母の徘徊が強まってる今、諸々現実的ではないけど、爽快(笑)

 

一応、先生の質問を1度母にうながし、わたしが喋る形にしてますが、ほぼわたしが喋ってたかもしれないw

 

驚いたのは、

先生「お子さんは何人?息子さんは?」

母「娘は…一人家にいるんだけど、息子は釣りが好きなの。だから釣りが出来る場所へ行っちゃった」

…兄は海沿いに住んでいるので、当たらずとも遠からず。

昨晩は「もう一人女の子がいるはず!」と家中探してたけど、「娘ひとり」って認識はまだあったのかw

弟の存在はないことになってたけど。

 

先生「それはご兄弟にも協力してもらわないと…」

わたし「ですよねぇ?わたし詰んでますよね?しかも遺言書の1つも書くわけじゃなし」

と話してると、

母「それは…わたしは自分のお母さんにそういう失礼な気持ちを持ったことない」

わたし「いや、あなた母親の介護してないでしょうが」

(ついでに父も、女兄弟に押し付け自分は介護してない)

 

最後は先生も

「いや~ここに何しに来てるんだって話ですけどね、じゃあ3か月後で(笑)」

「いえいえ、知ってる方に話せるので助かります」

もはやわたしの吐き出し場所のようだった脳神経外科

 

思えば、母の脳卒中…突然の寝たきり宣言だわ、3か月の入院中毎日見舞いに行ったわ(夕食時間、わたしを待つので)、退院後は鬱を発症するわ、わたしはバセドウ病になるわ…大変だったけど、父も母も(?)元気だったなぁ。

 

退院後「良くなる」って信じられてたしね。今はもうねぇ。

逆に、鬱になるわ311は来るわ、「母が退院さえすれば良くなるはずだったのになんで」って怒りも強く、わたし自身のアンガーコントロールもグダグダだったけど。

あの頃と比較すると、今はある程度心の準備が出来てる気がする。

 

そんな我が家の衰退を、この先生は全部見て来てるってことで、妙に親近感があるのですw