認知症にブチ切れる

今日は朝から父にブチ切れ、吐き出すためにもこのブログを書いたわけですが…

もちろん母(アルツ・要介護1)だって日々色々やらかし続けてるわけで。

 

認知症介護は不穏時であれば1時間に5回ほど「オイ~!」ってことが起きる。介護者も麻痺してくるので、排泄大惨事レベルじゃないと友人に吐き出す気にもならない。

家族ならではの慣習、そこからの不気味な齟齬なんか説明するのも面倒だし。

「介護の愚痴」も面倒になる…これ介護して初めて理解した。

でも吐き出さないとストレスだけが蓄積されていく。

 

そんな母のアルツハイマーストレス蓄積中に父への「エンドレス・説明地獄」が加わり(ガンと介護プラン見直しの地獄のような説明業務がなければまだまだいけたと思うんだけど)、わたしも表面張力ギリギリにストレスフルだったと思います。先ほど母が、

母「ローソク(仏壇の)買いに行く」

と言い出しました。

 

 

ちなみに、昨日はわたしが終日仕事。

事前に明言しないと母が徘徊したり、得体の知れないモノを買い込む(本人は夕食のつもりで大量なせんべいとか)ので、

わたし「今晩はフライね。目的もなく外をうろうろするならレタスか醤油を買ってきて」

とメモを渡した。で、仕事後自宅側に戻って大量な刺身を冷蔵庫で発見。

わたし「え。レタスは?」

母「ええ~レタス?なんでぇ?」

父「(父は理解してるので)もうママは全然言うこと聴かないんだよ!」

母「そんなのちゃんと言ってくれなきゃわからない」

わたし「今晩フライにするよ。だからレタスか醤油買ってきてってメモ渡したでしょ」

母「そんなの貰ってない(キレる)」

ここまでは日常茶飯事。

唯一想定外だったのは、フライは父と母の好物なこと。

(もう好物すら記憶できないのか。メモ渡してもダメなのか。打つ手なしだな)

とは思った昨日。

 

で、今日。

ディサービスに行かせたとて、秒で忘れるのが認知症。帰宅後はいつもソワソワ。

わたしは来週の仕事で使うものを買いに行きたかったので、徘徊を避けるため一緒に買い物へ。

わたし自身、父にも母にも反省はある。色々優しくしてやるべきだとか、出来ればブチ切れたくないとかね。

わたし「今日は大好きなフライだよ。レタスと醤油も買うよ」

と繰り返し叩き込みつつ、

母「お父さん(母の父。わたしの祖父。わたしが生まれる前に亡くなってる)がそろそろあぶないのよ~」

わたし「へーそうなの。わたしあったことないけどね」

母「うそぉ~」

わたし「マジ。わたしが生まれる前に死んでるから。もうとっくに生まれ変わって、どこかの幸せな子供になってるよ。よかったねぇ」

母「それならいいけど、お母さん(母の母。わたしの祖母。40年前に亡くなってる)が看病に行ってるから。じきに帰ってくるかしら」

わたし「大丈夫だよ。おばあちゃんももう生まれ変わってるよ。良かった良かった」

と、いつもの会話をしつつ、母が食べたいといったプリンを買ってあげて、帰宅後父と3人で食べる。

その後仕事をしつつ、母がうろうろし始めたので、

わたし「ご飯のスイッチだけ入れて。フライはすぐ揚がるからね」(米はわたしがといでセッティング済)

 

ようは「もう夕飯の準備するよ。好物のフライだよ。今はごはん前の時間だよ(徘徊すんなよ)」と刷り込んでる後に、ローソク買いに行く発言。

それを避けるため、仕事後夕食作るまでの間に一緒に買い物行き、プリン食わせたのにな。徒労感。

 

父が入院した後、2階の仏壇に行けなくなり、母に「夕食前に炊きたてご飯をもっていかせ、線香をつける」仕事を任せた。彼女にも1つくらい役割を持たせたくて。

しかししかし、わたしがその間夕食を作り、リビングに降りて来た母と父と食べ終わり、風呂を準備するためにリビングを出ると廊下に異臭と煙充満。あわてて仏壇に行くと、線香立てにローソク!大惨事!

ということが2回もあった…(遠い目)

2回目は、ローソクで激熱な線香立てをわざわざ食卓にもって降り、淡々と、

「どれほど危険で危ないことか」

注意した上で、母了承の上でローソクは隠し、わたしが仕事場で使ってる小さめのチャッカマンを仏壇に置いた。

そうすれば、「ローソクは危ないから無くなった」と母の記憶に残ると見込んで。

 

それから2週間。時には一緒に仏壇に行きチャッカマンで火をつけ、ローソクの話が出れば、

「うん、ローソクは危ないからね。ホラ、このライターで線香もばっちりよ~」

と努めてきたのに、今このタイミングでローソク買いに行くとな。徒労感再び。

 

わたし「ローソクはあるよ。あるけどしまってる。なぜなら火事の危険があるからね」

母「いやぁやっぱり仏壇にはローソクがないと」

わたし「ダメダメ。お母さん2回ローソクで煙だらけにしてるんだよ」

母「わたしはそんなヘマしない」

そこから母が切れだした。いわく、

自尊心が傷ついてる!制限されてる!ローソクを燃やしたなんて記憶にないのに!!あーだこーだあーだこーだ!

ブチっ!

おめぇのその記憶のなさがヤバいって言ってんだよ!どうでもいいことなら蒸し返さないよ?あんたがメモも見ず記憶もなく、刺身買ってこようが別に責めないよ。でも火事はダメだろうが!この家燃えたらこんな風に3人で暮らすこともできないんだよ!あ~もういいわぐちぐちぐちぐち仏壇行かなくて結構。わたしが行くわ!で、あんたの自尊心ってなに?は?ローソク?馬鹿じゃねーのローソクがどんだけ大事だよ。ごはん持ってって線香つけりゃいいんだよ。食事もゴミも掃除も出来ない。全部わたしがやってる。あげく仏壇の世話もできねーで何が自尊心だよ!こっちが病気になるわ!

捲し立てましたよねぇ…。

 

父、怯えて無言。

母「病気になりたいなら好きにすればぁ?お母さん知らないから」

 

アルツハイマーは病気であり母のせいではない。と日々平常心を保とうと努力し上げ膳据え膳してるわたしに、なんつー。。

ブチ切れながらもわたしは夕食を作り、3人で食卓へ着いたところで、

母「○○(わたしの名前)たちをご飯だよって呼ばないと」

わたし「○○はわたしですが。他に誰かこの家にいるの?」

母「いるわよ~娘があと2人(わたしは三人兄弟。兄・わたし・弟)」

 

母はわたしにブチ切れられると娘を増殖する。

もっと優しい素敵な娘を望んでるのかもね。わたしだって女手がもう1人2人いればと思うわ。でもな、わたししかいないんだよ。仕事しつつブチ切れながらも食事作って皿洗って風呂準備して…全部わたし1人だよ。


あー疲れる。

 

食後「認知症 怒る」で検索。

検索しなくてもわかってる。一番やっちゃいけないことをしてるってわかってる。でもいつも思うけど、

認知症の人たちも不安なのです」「怒っても不快な記憶しか残らず介護拒否につながります」「認知症の人を怒らない。否定しない」

ねぇ介護者は????介護者の人生や感情や気持ちは???

父と母の世話…はいい。世話も家事も自分が忘れられることも、感謝されないことも別にもうどうでもいい。

わたしは元々父母との精神的関係が希薄なので、忘れられる、感謝されないことへの感情の痛みはない方だと思う。

 

でも、

「火事の危険と、病院・ディなど他組織のルールが関わることを理解させるため、わたしが父母に支払い続けている精神的疲労。報われればまだしも、全ての努力が速攻ゼロに戻されるむなしさ」

が耐え難い。

しかもそれが明日も明後日もずっと続くのかと思うと背筋が凍る。

 

老々介護殺人の気持ちわかるわ~。うちはまだ世代が違うわたしがいるからいいけど、コレ老夫婦なら速攻殴り飛ばすわ。

 

としみじみしてると、リビングで父と母が揉めてる。

(そんなの責任問題じゃないの。警察沙汰よ!放っておくわけにはいかないの!)

面倒臭そうだからスルーしてると父に呼ばれた。リビングに行くと母の腕をとらえる父。抵抗する母。

 

わたし「なに。どこ行くの。またお母さん迎えに駅に行くの?」

(これを時々やるので「祖母や祖父が生きてる説」を否定せざるを得ない。「否定しない」対処をすると、「あんたこの前いかにも生きてるようなこと言ったじゃない!」と母の不信感が募る)

母「違うわよ。娘たちを迎えに行くの!」

そう来たか。娘って誰よ。

 

こんなことばかりやってるけど、食卓には「家族構成(3人家族)」を書いた紙が置いてある。

わたし「あのね、あなた○○さん(母の名前)、お父さん○○さん(父の名前)おっけー?」

母「うん」

わたし「で、その子供がわたし。おっけー?」

母「うん」

わたし「で?娘2人って会ったことないけど、あなた生んだの?」

母「わたしは生まないわよ~」

わたし「じゃあ誰か生んで、この家族の中にいるの?わたしは生んでないよ?」

母「じゃあいないの?」

わたし「いないよねぇ」

母「じゃあ迎えに行く必要ないじゃん」

わたし「だよねぇ。あっ、風呂沸いたよ。風呂入って寝ないと」

 

一件落着。こういう去なす程度なら特になにも感じないんだよなぁ。父はそれも出来ない。大抵の高齢男性は出来ないだろう。世代的価値観としても、当人の頭の硬さ的にも。介護殺人あるよねー以下同文。


そんな高齢者を二人抱えて「理やルールを理解、納得させるのをエンドレスでやる」のがまじキッツい‥

 

その後、父がまたポイントズレてて、

父「またお母さん(祖母)の話もしてたんだよ!」

わたし「あーさっきわたしと買い物行った時もしてたよ」

父「今度、お母さん(祖母)の最期と遺書の話をしないといけないなぁ」

…バカ?

 

chika05.hatenablog.com

 

そういえば、母の希死念慮が強く毎日自殺に出向いてた時も、

父「お母さんのお母さんは電車に飛び込んで…」

とか説明したんだっけ。バカだった。バカだった。エコー

幸いにも、母の記憶は維持されず、その後も生きてると思い込んでいるけども。

 

はぁ疲れるなぁ。

 

母の不穏や自尊心の傷つきは、父とわたしが頻繁に病院やディの話で揉めているのを見ているせいもあるんだろうな。

わたしと父が揉めてる。でも母は何が起きてるか理解できない。過去、家庭や父の世話を焼いてた母としては疎外感に繋がったり、その話が理解できない自分に傷ついたり、あるんだろうな。

せめて父が病院とディに関してだけでも理解してくれれば、全然状況が変わるんだけどな~。