介護うつの入り口かなぁ

昨日、こんな記事を書いたけど、この後20時半にまた同じ「TV前の椅子から尻を落とし、床に寝たきり」をやらかした父。

もちろん、わたしが介助してベッドに戻した。

 

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で、今朝の朝イチ。

またまたTV前の椅子でリクライニング思い切り倒した状態で座ってた。昨日の朝晩2回の騒動も忘れてるのか。

「その座り方やめろ!」

一喝すると姿勢を直した。

 

朝食中、TV前の椅子を見る。またクッションに貼ったシートに黄色いシミ。

入院後は多用してたオムツ取り換えシート、ここに来て連日消費するとは思わずにラスト1枚だったのに。

ネットで注文したけどまだ届かず替えがない。そっと目線を外す。

 

食事後、その汚い椅子でいびきをかいてる父。

「寝るならベッドに行け!連日それで床に尻ついてんのわかんないの!手伝うから立て」

父「大丈夫だよ、自分でいける」

自分で動く気がない父を動かすパワーはない。じゃあ知らんわと仕事をしてると父母の声。

母「寝るの?ベッド行かないと」

父「行くよ。ちょっとここ押さえて」

あーだこーだしつつ2人でベッドに移動出来たらしい。

 

しかしその後。

「やだ、びちょびちょじゃない~」

ものすごく嫌なワードが母の声で。

リビングに行くとベッドシーツに大きなシミ。

昨日、わたしがリハパンのパッドを教えた。しかし夜間にでも自分で履き替え、パッドをつけなかったんだろう。

リハパンが飽和してパンツはもちろん、びしょぬれのシーツに背中をつけベッドから降りようとしてる父も尿まみれ。そのまま床に尻をついたら床も大惨事だが、身体介助するわたしも大惨事になる。

「待って!ケツをつくな!ベッドに座れ」

飛び込んで父を止め、ベッドに戻そうと試みるが足に力が全く入らない。

試行錯誤して座位にし、昨日のように立位でパンツを着脱させようとするも父が立てない。

 

立たせるのは諦め、濡れたシーツに父を仰向きで転がす。脚を持ってびしょ濡れのリハパンを脱がせ、パットを仕込んだリハパンを履かせる。

そこから父を床に降ろし、Tシャツ、シーツを剥がし、張替え、父を再びベッドへ。腰が死ぬ。

 

父は基本、自分で排泄したい人。それは良いことだし尊重する。

しかし3月の退院時は、寝たきりオムツからスタートしてる。

「トイレに行くのが間に合わない」「トイレに行くのがキツイ」ならそう言ってくれれば、以前のやり方に戻すだけ。

「ねぇ、具合悪いの?トイレいけないの?だったら別のやり方があるんだけど!」

父「いや、どこも悪いところはない」

面倒くさい!

 

「じゃあ昨日、今日と続くコレはなんなの。不調がないのに毎日コレ。限界だわ!」

父「……」

 

昼食はベッド際に持って行った。食欲が旺盛なのがまた恐ろしい。

 

 

で、午後。徘徊する母と手を繋ぎ買い物へ。

とりあえず気になるクッションの黄色いシミ。椅子に敷くおむつ取り替えシートを購入。クソ重いからネットでポチったのにな。

以前から母が買いたがってたズボン3本。全部を試着までして購入した。

また、先ほどの騒動時に母が「汚い」と拘ってた父の枕。

そして、父が欲しがった31のアイス3つ。

 

片手で大荷物を持ち、片手は母と手を繋いで帰宅すると父がまたTV前の椅子に移動してる。

なんなんだろう。見たいTVがあるわけでもない。ただひたすらリモコンを押し続けてる。リモコン弄りはベッド上でも出来る。なぜ椅子に行くのか。

 

再び仕事場で仕事してると、

母「眠いの?ベッドに行けばいいのに」

そうだそうだ、たまにはいいこと言うやん。しかし動く気配がない父。

昨日に続き、1日2回も父を引き上げるのは無理。絶対に無理。

あと、尿の沁み込んだシートの上に座る父にも苛立つ。シートを買って来たんだから早く取り替えたい。どけ。ああ集中できない。

 

「ねぇベッド行くなら手伝うけど?」→父「いや、大丈夫」

「いや、大丈夫じゃないから昨日も今朝も大惨事だよ。眠いならベッドに行けって言ってるの!わたしは無限の力持ちじゃねーんだよ」「…ちょっと待って」無言でザッピングし続ける父。

1分後。

「ちょっと立ってよ!」→父「え?」

はじめて聴きましたけどなにか?

的な顔をしてわたしを見る。会話リピート。

「お互い妥協し合わなきゃ、わたしも親の気分や都合に付き合えるわけじゃないから!」→「わかってる」。しかし動かない。

 

母がよくやる感じと似てるので、認知症ゆえのソレかもしれん。しかし介護者はこの連日の父の身体介助、昨日からの排泄失敗などの記憶がある。自分の限界もわかる。

それを踏まえての先手を打ちたいだけなんだが。

そしてそれは、介護者が必要な要介護者が、自宅で自由に生きるため妥協しなきゃいけない部分でもある。

介護者側がこれほどストレートに言ってるのに、添う気はないのか。

 これぞ認知症か。母と同じだが巨大な分さらに辛い。


床が尿まみれになるのを許せば、別に父が床で暮らそうがどうでもいいわけで。別にいいか。尿まみれでも。いいよね。いやよくねーよ!わたしが諦めたらこの家、一瞬で糞尿だらけだよ!しかし回避するにも撒き散らしは2人。1人では限界がある。

 

ちなみに母。

手を繋いで買い物から帰宅直後、仕事場に来て、

母「○○(わたし)のお土産買い忘れちゃったの~」

「お土産…ああ、アイス?いやあるよここに。っていうか一緒に買いに行ったでしょ」

母「違うの。あなたは○○のお姉さん。わたしが言うのは○○」

「うん、わたしがあなたの娘の○○だから。○○に姉も妹もいませんし、あんた産んでませんから」

母「ええ、そうなの?」

という会話があった。

最近「手を繋いで帰宅直後」に記憶が喪失されてることも多い。まぁ慣れてるはずだった。

 

その後、わたしが夕食を作っていると「もうすぐご飯みたいだから、○○呼ばなきゃ(仕事場へ行こうとする)」「おい、やめろ。誰もいないよ」という父母の会話。父は家族構成ネタに関してだけはクレバー。

だから母の作話にダメージ受けるんだろうけど。


父に止められた母は、キッチンのわたしの横に来て、

母「ねぇ○○の家族をたまには呼んであげたら?」

「わたしに家族はいませんよ。結婚してないし子供もいない」

母「ええ~そうなの?」

「わたしに家族がいれば、両親のご飯三食作ってお世話なんかできませんし」

母「そりゃそうよねぇ。よかったわいなくて」

 

まぁコレもよくある会話。その後食事中また、

母「今日は○○はいないの?」

「うん、わたしがその○○ですが?」

母「あらっ、そうなの?」

…別にわたしにだけではなく、父にも同じようなことやってるし、認知症あるある。わたし自身はさして気にしてなかった。

(父が食卓に来た今がチャンスだな。あの椅子の上のシートをさっさと取り替えて…)

と考えつつ、さらっと、

「さっきも手を繋いで一緒に買い物に行ったのに、わたしが○○だってことも忘れてしまうのね」

瞬間、滂沱のごとく涙が出て来た。

 

ギョーザとマーボーナス。食べながらも涙が止まらない。

 

悲しいとか辛いとか悔しいとか寂しいとか理解して欲しいとか、そんな感情は伴ってないのにただ涙が出続ける。

 

これ介護鬱の手前かなぁ。

 

このまま泣きわめいて、この煮詰まった状況を認知させる手もあるな~と思ったけど、どうせ2人ともすぐに忘れるから意味ないな。

兄には、もう1人で抱えきる範疇を越えたから、弟も呼んで1度状況をシェアするとは伝えてある。(問題は弟の連絡先を兄もわたしも知らないw)

介護認定見直しもかけるし、打てる手は打ってる。


父母にわたしの立場や心情を理解しろとは期待しないし、それよりリハパンちゃんと履くとか、椅子でうたた寝しないとかそっちをお願いしたい。

が、涙が止まらない。

席を立ち、仕事場に行って泣いた。

 

もちろん父母は、食事中に席を立ったわたしの様子に気づくこともなく、わたしが作って並べた品をガツガツ食べ、わたしが切って出したデザートの果物もガツガツ食べ、わたしが皿を洗い、わたしは食べないスイカやリハパンの重いゴミもわたしがまとめて捨てに行き‥

彼らは好きな時に好きな場所に座り、好きなものを好きなだけ食べ、好きなように介助を必要とし、好きな時に漏らし…


両親に自由にしてもらいつつ、わたし自身の仕事とメンタルともバランスが取れるように、互いに少しずつ我慢や妥協をし合う道を模索し続けてきたけど、ふたりがすごい速度で悪化して行く中で、

その道どこ?そんな道ないじゃん。

と、見えなくなりつつある。