回し蹴り入れるところだった

介護殺人や暴力のニュースを見るたび、

「四六時中、脳のリミッター外れた親の相手してりゃ、こっちも外れるよね」

共感度100%。

日々蓄積された徒労感がブチっ!と切れる瞬間にセーブできるか出来ないか、運みたいなもの。

 

先々週、朝から神経使う仕事の合間に抜けて、昼飯を作り急かして食べさせ夕食を仕込み、2人の排泄処理してダッシュで仕事に戻り、仕事を終えて18時過ぎにリビングに戻ったら、

ヘルパーさん「驚きました~。お父さんベッドに大量なウンチしてて、その上に寝てて」

粗方、ヘルパーさんが始末済みだったんだけど、

もし、仕事を終えたわたしが発見してたら父を殴り殺してたかも。

と思った。マジで。

 

 

そして昨日の17時過ぎ。

杖も持たない父が、ヨチヨチ歩いて玄関から出て行こうとしてた。一応着衣。だがサンダル履きで。

「なにやってんだ!この期に及んで外に徘徊かよ!!おめーは歩けねーんだよ!」

怒鳴りつけた。

その腰、二度と立たないように物理的に潰すか。

回し蹴りが出かけたところをギリギリセーブ。

「なんなの?お母さん探しに行くの?靴見ろよ。家にいるんだよ!さっさと戻れや!おまえ前も徘徊してそこの薬局で保護されたの忘れたか!」

父「ずっと昔な!」

まるで「昔の失敗、今は問題ない」と言わんばかりだが、おまえは病気で日々回復してるんじゃない。日々認知も身体も悪化してる認知症高齢者なんだよ。身の程を知れ!

 

 

そんな昨日はディが休み、わたしの仕事も午後からだった。

70ℓゴミ袋にぱんぱんに詰まった父母のオムツ(重い)ゴミを捨てるため、わたしは起きる。

もう父母は朝食ナシでブランチにしたい。どのみち3食食わないんだよ!特に父!

なのに、最近の父は朝わたしを見ると起き上がる。起き上がってベッドから降り食卓に来ようとする。

9月の救急搬送以来、放置してた腰痛がまた治ってきたらしい。

(この数ヶ月、わたしが朝食準備を完了後に「廊下の車椅子をリビングに入れ、ベッドから移乗。食卓へ運んでる」のに、それをもう忘れてる)

で、転倒する。もちろん引き起こすのはわたし。

 

「おら、勝手に降りんな!車椅子を待て!」

制しながら仕方なく朝食を作ってると、ディの日は30分かけても起きない母が、珍しく8時に起きてきた。

2人に朝食を取らせ、排泄物を回収しゴミを捨て、仕事せねば。

個人事業ゆえ、企画立て営業かけ集客せねば一銭にもならない。集中集中!

リビングでは母の声。

母「ちょっと出かけてこようかしら」

こういう日は母、徘徊不穏の日。速攻で集中途切れる。

「今日は水曜日。ディもありませんし、2人とも予定はありません。のんびり過ごしてください」

しかし、収まらないのが母。しばらくして、

母「ねぇお父さんはいつまで寝てるの?起きるの?いつ起きるの?」

父を煽ってる声がする。これをスルーし続け仕事するのが難しい。

母「ねぇ起きないの?」「そうよ起きなさいよ」

リビングを覗くと案の定、父がディサービスに行く準備をして車椅子に座ってる。

 

母に煽られた父は、「今日は起きなきゃいけない=ディサービスだ」とスイッチが入り、起きたんだろう(推測)。

解除しないといつまでもスイッチが切り替わらず不穏になる。

 

「お父さん、まるでディサービス行くかのような格好だけど今日はありません。さっきも言いましたよね。そもそももう9時半。ディの迎えは9時!お母さんはお父さんを煽らない」

断片的情報で事態を推測し、父母のスイッチを解除するのがホント疲れる。

父はベッドに回収するも、母の不穏は収まらない。

 

「なんか落ち着かない気分」→「家の中では何もやることが見つからない」→「外に行こう(きっといいことあるかも)」。

母の徘徊のプロセスはこんな感じだ。

 

「じゃあお母さん、朝ご飯のお皿洗おうか」母「お皿は洗えない」

「じゃあ外出るなら顔を洗って、着替えないとね」母「いや」

寝乱れたままの母。これで外出たらガチ徘徊老人。触れちゃいけない人状態。

「髪伸びてるんだよね?じゃあ美容院(徒歩2分の行きつけ)行って髪切りなよ。まずは顔洗って着替えないと」母「それはいいや」

万策尽きたわたしが黙ると、

母「外行ってくるね」

「だぁーかぁーら!まずか顔を洗え。着替えろ!」

こういう時間をめちゃくちゃ取られるのが認知症介護。クソ。

 

別のことやらせると徘徊を忘れる。

が、最近はもう「母が出来ることが減りすぎ」て、使えなくなりつつある。

本当は「一緒に散歩行こう」が1番有効。

でもこの数年、母に付き合い過ぎて事業がやばい。夏以降は父も加わり、父母の救急車や怪我で仕事を飛ばすことも多い。そのツケが数字で出はじめた今秋。

 

母「じゃあまた寝ようかな」「おお寝てこい。だけど今は朝で、朝ごはん食べたことは忘れないでね」母「うん」

ポチポチやってると、11時前にまた母が降りてきた。

母「寝坊しちゃった~。朝ごはんは?」

出たよ!

「お母さんは8時に起きて朝ごはん食べて、2度寝しにいったでしょ」

母「ううん。だから2階に朝ごはんあるの。食べてくる」

2階に食い物はない。何を食う気だ。認知症は異食症状も出る。

「もうお腹空いたの?お腹空いたならお昼作るけど」

母「お腹空いた」

…わたしは朝食食べてませんが、別に腹減りませんけど?

 

母を収めるために、早めの昼食としてパスタを3人分作る。

父は爆睡してて起きない。時間をかけて叩き起こしても一口食べて終わりなのに、時間かけて起こして移乗させ…ああ面倒。そして仕事は何も進まない…もう起こす気力もない。

 

「お母さんいい?これはお昼ごはん。今は昼の11時過ぎ。わかった?このあと食べるのは夜。晩御飯だからね」

母「うん」

「これはお父さんの分。起きたら食えって言っておいて」

母「お父さんて…?」

「そこのベッドで大口あいて寝てるじーさんのこと!」

父の昼食は食卓に置いたまた、夕食のための大根を煮る。タイマーをセットし、わたしは仕事(来客)に。

 

16時前、仕事を終えリビングに戻ると変わらず爆睡中の父。

テーブル上にはカピカピに乾いた父のパスタ。

だからね、ブランチでよくねーか?

父と母バラバラなペース。日時見当を維持するために三食作ってきたけれど、意味なくねーか?

母も2階で寝ている。

 

2人のリハパンを替えないと漏れて大惨事になる。2人を叩き起こしてリハパンをチェンジ。そこでも、

「今、夕方ね!夕方の16時半」

声をかける。

夕食のおでんを煮込みながら仕事を片付け、来週の確定してる企画を考えねばならない。なにすっかなぁ。イメージを膨らませてると、

母がまた降りて父とリビングで会話しはじめた。

(わたしは仕事場で聴いてるので、父の声は小さすぎて聴こえない)

 

母「わー朝の17時だぁ~こんなに早く起きちゃった」

…ちげぇだろうが!夕方だよ!

母「ええ?新聞?ないよそんなの」

…朝刊ならテーブルの上に置いてあるよ。夕刊はまだとってきてないけど。ってか夫婦ともに今は朝だと思ってないか?

母「そうなの?じゃあ取ってくるね」

…不穏時の母は「玄関に新聞を取りに行って戻る」ことも出来ない。記憶が持たない。父はそれを理解してない。

音を聴いてると、案の定玄関ドアを開け、また2階に戻る母の音。

 

その後ですよ。リビングからの不審な音でわたしが飛び出し、玄関を出る父を捕獲したのは。

回し蹴りしなかった自分を褒めたい。

 

玄関から車椅子で父を連れ戻し、罵声を浴びせてると、母は階下に降りてきて、

母「えーなになに?わたしを探しにぃ?私は寝てたの。わたし悪くないし、関係ないわよね〜」

‥‥。

仕事場に聴こえた範囲で推測すれば、

・母の認知を理解してない父が「新聞(たぶん、朝刊のつもり)を取りに行けと指示」。

・母は玄関を出たけど何をしに出たかは忘れ、2階の自室へ。

・父は「母が戻ってこない」と思い、母を探しにヨチヨチ外へ行こうとした。

だろう。

三者のわたしがその流れを説明する気力は皆無だし、説明しても理解は出来ないし。

認知症同士が日々展開する狂騒を回収するのがクソ疲れる。当人同士は記憶も学習もしない上、悪化の一途。

 

ちょっと早いけど夕食食わせて、わたしの1日のミッションを終えようと、放置されたままの父の昼食を捨て、煮込んでたおでんを食卓に並べた17時すぎ。

「ほら、晩御飯!」

一度ベッドに寝かせた父を車椅子に移乗し食卓へ。TVを見る母に声をかけると、

母「ええ…晩御飯?こんな夜遅くにご飯は食べれないわ」

は?

「お母さん、いま昼?夜?何時?テレビ見て。何時って出てる?」

母「えー今は…夜?17時16分」

「だから、晩御飯の時間だよ」

母「そんな…こんな遅くに食べるの?」

‥‥。

「あんた9時に朝ごはん食べて、11時にはお腹空いたってお昼作らせて、それから6時間。腹減ってないの?」

母「うん。空いてない。だってこんな夜遅くに!」

はぁぁぁぁぁぁぁ。

「あ、そう。食いたくない奴は食わないでいいよ。捨てるから」

 

父は食事をほぼとらない。

嚥下に問題が出てるなら食事自体を見直す時期だし、認知症は食事を認知できなくなることもままある。

が、そうではなく、一口二口食べて飽きるのか止めてしまう。

昼から煮込んだおでんも、父は大半残す。

昼のパスタを捨てたゴミ袋に、2人分のおでんもぶち込む。

 

以前なら腹が立って泣けてた状況だけど、もう慣れてしまった。慣れたけど毒は吐き出す。

「わたしが仕事の合間に昼から煮込んだ大根も、わたしがわたしの金で買ったおでんの具も全部ゴミだわ。あんたらに最低限の人の暮らしを維持しようと思って色々なことを犠牲にし続けてきたけども、あんたらの認知症が重度すぎてもう手に余る」

母「○○(わたしの名)は最低限の人の暮らしは出来てるの?」

「出来とるわ!!!!だがしかし、素人1人であんたらの暮らしと安全を背負うには無理なレベル。もうプロの手が24時間なきゃ無理。ってことで、1月から施設行きなさい。まずは2泊3日からスタートね。プロの手を24時間借りて、安全な場所で暮らしなさい」

 

そう。1月下旬ショートスティにねじ込んだ。

ホントは「2か月前に申し込み→抽選」の手順を踏む。

でも「要介護4と3の認知症を1人で在宅介護」は、介護施設から見ても「え…大丈夫ですかそれ…」というパターン。

抽選を待たずに受け入れてくれた。

問題は、両親にいかに上手く伝えるか…。

と考えてたんだけど、秒で言っちゃったwwwwwww

 

初回は必ず「お試し2泊3日」があり、1日目は午後家族が送り、3日目は家族が迎え。

中日1日しか解放されないじゃーーーん!

と思うけど、その後は1か月2週間滞在できるらしい。

 

とにかく時間をくれ!

来客時は全方位鍵をつけてる。その間、自宅側で糞尿が撒き散らされようが、徘徊出ようが、もう知らん。

でも回収するのはわたし…。

よって集客にも躊躇するんだけど、集客以前の「企画・告知」が作れない。介護・医療関係との、契約、調整、電話、行政・銀行へのアレコレもあるけど、昨日のような、

放置すると面倒になる。だけどいちいち芽を摘むと1日がそれで潰れる予兆。

に1日が追われ、脳が疲弊してる。

 

前頭葉使わなきゃいけない仕事なのに、前頭葉萎縮し続けてる2人を人間レベルに修整かけ続けてるんだから、こっちがヤラレル。

ショートが月に2週間使えるようになれば、集客(収益)まで時間がかかるにせよ、ズレた軌道を大分修正できる気がする。

 

はやく1月下旬にならないかな~。