父がついに、
「俺の東大受験は明日か?」
と言い出した!
前頭側頭葉型認知症やレビー小体型認知症は母のアルツハイマーと違って、記憶はまぁまぁ保持される。
もちろん「アルツと比較すれば」であり、健常ではない。わたし(娘)を「妹」と言ってみたりする。が、母よりは大分マシ。
だったのに、いきなり学生気分とは…。
今日の夕方、父はまた不穏に。朝も昼もクエチアピン朝昼飲ませてんのに、腰の痛みが良くなれば常同行動しやがる。またトイレに行き転倒した。
仕事場にいたわたしは、爆睡してた父がトイレに立った直後に気づいてた。(音で)
けど、明後日の年末企画資料作りに追われてて、放置した。
今までも「制止するわたし」vs「制止を拒否する父」バトルに時間と気力を消費してきたけど、
前頭側頭葉型認知症の暴力・暴言は、常同行動を止められると起きる。
と知ってしまってる今は、
身体的に歩けない状態にならなきゃ常同行動し続けるなら、腰でも大腿骨でも折ればいいんじゃね?頭蓋陥没もアリよ?
と思ってる。
行き先がトイレゆえ諸刃の剣。排泄垂れ流し・父の排泄塗れを処理するのが嫌だから、時間があれば制止するけど。
30分以上が経過し、夕食を作るためリビングに。 廊下からリビング前まで這ってきてる父を発見。
ちなみに昨日も同じことやって、わたしに罵声を浴びせられてる。
「てめぇ、懲りねー野郎だな」
父「頭がおかしいんだよ」
「おお、おかしいとも。さっさと施設で暮らしてくれや!」
言いながら父を引きずりベッドに乗せ、汚れた上下を着替えさせる。
父を介助するこの手が、いつ殴り倒す手に変わるのか、ホント紙一重。
母は午後からずっと寝ていた。
「起きて!晩ごはんだよ!いまは夜!わかる?」
叩き起こしに行き、リハパン交換。
「はいさっさと起きる!」
秒で記憶が失われるから、食卓についても、
「あらー朝なのに暗いわね」「朝ご飯!」「今日は会社?」「何時に出かけるの?」
言い続ける母。
「ちげーよ!外見て、暗いのに夜か朝か分かんないの?今はよ、る、の、ろ、く、じ、す、ぎ!これは、ば、ん、め、し!あとは寝るだけ!」
その合間、ベッドから車椅子に移乗させ食卓につけた父が、
父「ちょっと混乱してるんだが、受験は明日?」
「‥どなたの?なんの受験?」
父「俺の東大受験」
‥‥!
「受験するのは何歳でも構わないけど、今は2022年。あなたは86歳。受験するんです?」
思わず笑ってしまった。
10分前、床に仰臥し起き上がれなかった老体。そこからなんのスイッチ入って、父は何歳設定になったの?(過去、東大受験したのは事実だけど現役ではなかったような。20代前半か?)
父が受験とか言い出すから、母は、
母「今日、学校行かなきゃ」
騒ぎ出す。
「行かねーよ?夜だって言ってんだろうが!今食ってんのは晩飯!てめぇらは80越えの老夫婦!」
父「いやー安心したよ。明日受験かと思ったよ」
カオス。
ここまで脳が壊れたら本人たちは幸せなのかもしれない。
母「今が夜なんておかしいわ。だって今起きたところだもの」
「夫婦揃ってまじやっべーな!しかも別ベクトルでキチガイ。収集つかねーわw」
ガチで両親の認知症在宅介護なんかしてると、
- いつかは自分もこうなるのか。さくっと死にたい。
- この人たちを、せめて人間らしさが欠片でも残ってるうちに死なせたい。
(以前は「本人らしさ」だったけど、今はもうそんな高望みは出来ない)
という気持ちしか残らない。
以前、レビー小体型認知症の家族が医師に、
「せめて葬式で泣けるように、(症状をなんとか)してください」
と懇願した話を読んだけど、わかるわかるー。
在宅の診療時、仕事中で先生に会えない時は、父の奇行を記した用紙を先生宛に置いておく。
そこで、
ほぼ食べてない、ほぼ寝たきりの86歳が、常同行動で多少なりとも歩けるようになるのが不気味です!!!!
と記した。
朝昼晩、さして食べずに食事を残しやせ細り、水分もほぼ摂取しない、基本寝たきり・車椅子の座位も1時間持たない後期高齢者(父)が、突如ヨチヨチ歩き出すのは「脳の誤作動の奇行」にしか見えない。
歩けるようになった!すごい!
と喜び、褒めてた頃もあった。でも今はもうそういう段階ではない。
そしたら先生の返事が、
「メマリー5ミリ処方しますね!」
wwwwwww
鎮静かましてくれる頼もしい先生…!
問題はまだ薬局に行けてないことだけど、明日は貰ってくるぞ。