ショートステイの件、ケアマネさんに電話で確認した。
「ショート宿泊中からわたしも何度か連絡してるんですが、忙しいみたいで捕まらなくて…。でも、受け入れられないくらい大変なら、滞在中にわたしに連絡来てるので大丈夫ですよ」
と言ってもらったのが昼間。
15時過ぎ、ディサービス帰りの父母を迎え入れ、入浴グッズを回収し洗濯機に入れリビングに戻ったら、父がおもむろに長袖を脱ぎだした。
更にTシャツ…も脱ぎだす父。上半身裸体。不穏スイッチだ。
「この寒いのに?服を着なよ」
しばし上半身裸体のまま動かない父。
夏も毎朝、全裸で廊下に転がってた。がしかし。
当時はまだ認知症投薬開始前。もちろ抗精神病薬も飲ませてなかったし、暑かった。
今はドネペジル、メマリー、クエチアピンまで処方してる。しかも大寒波真っ最中!
わたしの中に途方もない疲労感・徒労感が湧き、
生理的嫌悪感になった。気持ち悪い。
当たり前のようにズボンに手をかけ脱ぎ始める父。
「マジで!気持ち悪ぃな!やめろよバカ!!!!動画撮るぞ!どんだけイカレタことしてっか自分で見ろ!!」
久々に動画撮影開始。しかし不穏スイッチが入ったら認知症は止まらない。
「ぎゃあああああ、ホント無理。マジ無理。このじーさん気色悪い!!」
わたしの悪い癖も全開。
てか、今日は本当にガックリ来てる。前頭側頭葉認知症、化け物か。
ベッドや床に全裸で寝てるのも気色悪いけど、座位や立位で全裸なのは変質者的な気色悪さが増幅する。
8月、全裸で1階を徘徊してた時を思い出し、心底うんざり。
繰り返すが、あんなことを繰り返さないためにこの半年、どれだけ苦労して投薬調整してきたか。
でも、同じなんだ。変わらないんだ。絶望しかないよ。
「パンツ脱ぐなよ!女2人の前でてめぇなにしようとしてんだよ!!」
そう、母もその場にいた。
母はもう、目の前の状況を理解・処理することも出来ない。とりあえず「自分に有利な状態だけを判断」する。
母「やだぁ~これじゃあもう、離婚するわ」
は?
驚いたのは、全裸になろうとしてる父を「旦那」と認知してたこと。珍しい。ま、瞬時に別人になるんだけども。
母「だってこんなのおかしいわ。離婚するしかない」
父「…」
「離婚はさておき、おまえパンツ脱ぐなよ!!汚ねぇじじいの裸なんさ真冬に見たくねぇんだよ!!!」
「昨日も聴いたけど!パンツやズボンのゴムが不快だとか、お腹が気持ち悪いとか、理由があって脱ぐの?」
父「理由はない!!!」
死ね!!!
一時は「便秘がひどくなると、リハパンの着脱を常同してた」。
今は訪問看護で浣腸してるけど、浣腸直後もリハパン着脱し続ける。
なので「もしや前立腺がんで、排尿困難がある?」とも考えてる。
がしかし、血尿はないし、本人が全く自認出来てないから、全然わからん。
全裸、座位で排尿されると大惨事なので、ドン引きしつつ見てると、脱いだズボンを再び履きだす父。
そしてまた脱ぐ。また履く。
上半身はずっと裸。常同行動、怖すぎ…。
不穏が去ったあたりで、
上着を投げると大人しく着た。が、またズボンを脱ぎ始める。
「脱ぐな!」父「脱いでない!」「てめ、パンツ半分以上出してズボンずり下げてんだよ!てめぇで見てみろ!」父「…」
「理性」で行動してないから本人もわかんないんだろうけどな。
この異常行動、父本人も母も秒で忘れ、わたしだけが記憶に刻んでるなんて気ぃ狂う。
母「ねぇ。誰かが洗濯機使ってて、おかしいの」
「え、さっきわたしがあなた方の洗濯物を引き取って、あなたの前で洗濯しはじめたでしょ」
母も不穏開始。あと一息で終わるはずの洗濯機を止めてやがる。明日は雨なのに!
洗濯セットし直し、リビングに戻るとまた父が下半身むき出し。
「てめ、チンコ出すなって言ってんだろうが!!!!」
父「今、途中なんだ!」
帰宅後、わたしが替えて汚れてないリハパンの片側が破かれ、脱ぎ捨てられてる。父はベッドに積んだ新しいリハパンを手に取ってる。
「おまえ、年末からずっと"汚れてないリハパンを脱ぐな!捨てるな!"って言ってるよな?あ?おまえの奇行でリハパン代がクッソかかってんだよ!しかもゴミの量が尋常じゃねーんだよ!いいか?汚れたリハパンを脱いで替えるのはOK!でも汚れてないリハパンを履き替えるな!」
父がひたすらリハパンを取り替える&ベッドに日に数回排尿するので「リハビリパンツ」「使い捨てシート」代だけで、1か月2~3万かかる。
金は父の預金から回収するけど、重い排泄ゴミ、オムツ類が入ってるデカい段ボールのゴミが増える一途。
更に尋常じゃないハイ・ペースの消費に、ネット購入が間に合わない。
この常同行動が加速したら、1日10枚レベルで捨て使かねないから、一時は父が捨てたリハビリパンツを漁り、汚れてない物を拾ってた。
が、それはわたしの精神が持たない。
ゴミ回収がなかった年末は何度も父に説明していた。
しかし今日、ぽかんとする父。
「‥てめぇ、理解出来てねぇな?」
父「わからない」
そもそもリハビリパンツ(5回分の尿吸収)を理解してないんだよな。リハビリパンツ脱いでベッドに排尿する認知レベルだもんな。
母はわたしが強制的にリハビリパンツに替えたが、父は前立腺ガン前に自分でリハビリパンツに切り替えてたから、自分が選んで過去使えてたパンツなんだけどね。
そんな折、ショートの担当さんから電話。
担当さん「2月の2泊3日と、3月の1週間取れましたよ」
ありがとう!ホントは父母がショートでどういう状態だったか訊きたい。めちゃ訊きたい。
しかし、今は場が悪いので涙を呑んでお礼を言い、電話を切る。
とりあえず、施設利用の道は確保できた。
その後、不穏が落ち着いた父は母へ偉そうにアレコレ指示を出しはじめる。
不穏の全裸状態と、不穏じゃない時に(母よりは)意思疎通が出来てる時のギャップが、本当に本当に本当に心底気持ち悪い。
なので夕食後、リスパダールを飲ませた。
ショートスティですら飲ませず対応してくれた抗精神病薬。
現在の父の投薬、
ドネペジル3m、メマリー10m、クエチアピン朝昼晩2,5m
それでも鎮静できず、挙句に真冬に全裸になりリスパダール。
普通の人が飲んだら3日寝込む投薬だな。はぁ。
※
母は母で、不穏を収めるために一緒に買い物に行く途中。
「ああもう無理。生理的に無理。生理的に無理ってことはマジでもう無理だな」
ブツブツわたしが文句を言っていた。
母「ええ~でもあの人、○○(母の生まれた他県)の家に帰るでしょ」
「何言ってるの。アレはあなたの旦那。わたしのお父さん。わたしたちは家族」
母「あら、アレ家族なのぉ?」
さっき離婚て言ってましたよね?とは突っ込まない。どうせ忘れてるから。
「あの裸のじーさんとあなたは、もう60年結婚してる夫婦」
母「60年?それはないな!わたし今、よんじゅう…よんじゅういくつだもの!」
わたしより年下かい。
帰宅したら父は服を着たままだった。不穏は終わったのか。
母と洗濯ものを干し、階下で夕食を作る。
母「ねぇ、2階にいたわたしの友達は?」
「2階で洗濯物を干してたのはわ、た、し。今、1階でご飯作ってるのも同じわ、た、し。あなたの娘」
母の設定が40代だと、50代のわたしが「自分の娘」とは認められないのでよくこういう会話になる。
しかし今日のその後は違った。
母「ねぇ、さっきここでご飯作ってたわたしの友達知らない?」
「それ、わたし」
母「違うの。なんていうか我が物顔でそこを占領して、ご飯作ってたの。ウチを乗っ取るんじゃないかしら」
「うん、それわたしね。あなたの娘。つか、我が物顔で晩御飯作ってくれる友達いるなら連れて来て!作ってもらうから!」
母「あら、そんな人いないかしら」
なるほど。今度は「乗っ取り妄想」かよ。認知症あるあるだけど!
わたしが父にキレ、今日は母にも「生理的に無理」と言い。
母は頭のどこかで「父=自分の旦那」とは理解してる。でも、わたしに投げられても父の面倒は見れないことも理解してる。頭のどこかで。
ゆえに「キレた人=自分の友達」作話が加速する。
かもしれないし。
母は「旅行」と思ってるショートスティ。
でも、母なりに「老人介護施設」と理解して、わたしが介護スタイルを替えようとしてるのを察知してる=「自分たちは追い出される」と考えてるのかもな。
わたしの算段では、とにかく父を特養にぶち込んでから母のことは考えたい。
母の方が動ける分、施設の選択肢も増える。
父を入所させないと探す余力もないし、金銭的にも全くイメージがつかめない。
施設のイメージが出来ないから、母は在宅介護の前提。
独り介護でも、父より母の方が物理的(体格含め)に介護出来るし、わたしも「気ままな独り暮らし」を目指してるわけではない。寂しいしね~。
しかし、ただでさえ「大家族」を妄想し、「お父さん。お母さん」「母の弟、妹(最初からいないけど!)」「息子、娘2人(わたし1人しかいないけど!)」を探し続けてる母。
父母わたしの3人家族ですら足りないらしいのに、父が入所したあとにどんな不穏が出るか、在宅で介護できる状態なのか見当がつかない。
だから未定。母のことは未定。
母の性格上、
「お父さんは施設。でもお母さんとはずっと一緒にこの家で暮らすよ」
と繰り返し伝えれば、乗っ取り妄想はなくなるだろう。乗っ取り妄想があるとショートスティに支障が出るから、ないに越したことはない。
でも、わたしは嘘をつくのが苦手なんだよな~。