認知症と希死念慮・その2「脳卒中」

2009年、母が脳卒中で倒れました。

わたしと母の関りは、この時から密度を増します。

 

2008年、わたしは自宅の一角を改装し自分の事業を移転させました。

この時は「一時的な」移転の予定でしたが、わずかその半年後に母の脳卒中

おのずと自宅を出るに出られず…という状況になります。

 

母が倒れたのは3月でしたが、なぜかその年の1月頃から、

母にまつわる嫌な予感

に苛まれていました。当の母は社交的かつ活発な人間で、日々遊び歩いていたのですが。

倒れた前夜、母はマーラー交響楽団を聴きに行き、翌日は水泳教室でした。

わたしは自宅の仕事場でクライアントさんと話していました。

そこへ父から電話が。

「お母さんが水泳教室で倒れた」

 

丁度話も終盤だったので、クライアントさんにお帰り頂き急遽病院へ。

ICUにいた母は脳幹部分の脳卒中で、四肢麻痺言語障害・自力嚥下不可…いわば「寝たきり」状態の診断でした。

この時は、奇跡的な回復を見せたのですが本筋と違うので飛ばします。

 

ただ、その当時わたしを襲ったのは祖母のパターンを踏襲する不安。

助かったのはよかった。けど、本人にとっては「ある日突然」今まで出来ていたことが全て出来なくなったわけで。

母はこの現実を受け入れられるのだろうか。

むしろ、死んだ方がマシだと考えるのではないか。(わたしならそう考える)

 

案の定、奇跡的な回復を遂げ、3か月後に自宅に戻った母はその後1年ほど、

「こんなんだったら死ねばよかった!!」

と叫び続けました。

これも、今思えば高次機能障害&鬱だったと思うんですけど、母もまんまと、

「おばあちゃんみたいに死にたい!」

とか言うわけですよ。

 

当時はわたしも仕事と急に始まった介護&家事で余裕が全くなく、あと、機能的にも性格的にも、急に家族や日々の暮らしが急変したので、

「だったら死ね!間違いなく死ね!」

と怒鳴ったりしてね(遠い目)

 

話はずれますが、入院中って日々のリハビリで状態が良くなる家族に一喜して、毎日見舞いに行って、麻痺が残らないようにマッサージして…これって、

退院さえすれば、家族も暮らしも全部元通りになる期待

があるんですよね…。

でも、高齢者の入院(高齢者に限らないか)はかならずしもそうとは限らなくって。

これまた振り返れば、そういう自分の「当てが外れた」感と覚悟のなさで怒鳴り返していたんだろうなぁ。

 

なにはともあれ、わたしが小学生の頃の祖母の自殺が、30年経ってほぼ同じパターンでわたしの前に再び浮上したのです。