認知症と希死念慮・その3

まぁそんなこんなで自死遺族である母は、ちょっと特殊な自死概念を持っていました。

なので2019年6月、認知症診断を受けさせることも躊躇がありました。

認知症になるなら死ぬ」

とか言い出しかねない…。

実際に実行するしないはさておき、看護や介護してる身内に自死したい!と騒がれるのは精神的にキツイ。

 

で、実際に2019年から1年ほどはチラチラと自死を仄めかしはじめました。思えばこの頃は葛藤もあったんでしょうけど、

「おばあちゃんは(自死に)成功したのに、わたしは成功しない。これはわたしが弱いからかなぁ」

とか、突然言い始める^^;

ただこの頃と、脳卒中後の「死ぬ死ぬ」騒ぎはある意味「言ってるだけ」でした。

 

今年、9月の中旬。

 

午後、「ちょっと散歩に行ってくる」「はい」という母と父の会話が仕事場のわたしに聴こえました。

直感的に「ん?」と思ったわたしは、仕事場の外でタバコを吸いつつ母を待つことに。

しばらくたつと、黄色いチェックのシャツを着た母が帰ってきました。

 

その夜、夕食を一緒に作っていると黄色いチェックのシャツの胸ポケットに安全ピンが止まっています。

これも直感的に「遺書??」と感じたわたしは、

「これなに?」

「んー大事なもの」

「なになに見せてよ」中に入ってる紙を取り出すと、自分の字で「住所」「名前」が書いてあります。

 

あ、遺体回収時に必要だからかな。

 

と思えど、認知症は気分変動が激しい&思い込んだら一直線に行動するので、「今現在死にたいと思ってない」母に自死の話をしたくない。

 

「なんで名前と住所w迷子札?」

「そうそう、迷子になったとき困るから(やや動揺してる母)」

「迷子札ならもっといいやつ作ったでしょうに~」

…以前、住所・名前・電話番号・私と父の携帯番号などを記載した母の名刺を作っています。財布などにはそれを入れているんだけど、母が自作した紙にはなぜか「電話番号」が一切書かれてない。

名刺を持ってきて、

「電話番号がないと意味ないからね~。こっちを入れておくよ」

とポケットに。

 

この時点で、母自作の紙と名刺の2枚が黄色いチェックシャツの胸ポケットに入ってます。

 

その数日後、仕事の休憩時に一度自宅をのぞくと、母が1人でテレビを見ていました。

父は洗面所か2階か…身体的に、何をするにも時間がかかるので母が1人だった時間はそこそこあるかも。(しかし、家で1人ぼっちで留守番してるわけじゃない)

 

最初はわたしと普通に話していた母はふいに泣き出し、

「昨日の夜、考えたんだけど、お母さん泳げるから川に行っても死ねないかもしれない…」

 

や、先日自殺しに行ったんじゃないかと思ってたけども!

川かい。入水自殺かい。

しかもまだ自死願望は維持されていたのか!?

色々思いながらも、

「えーと、一昨日ポケットに入ってた紙は…」

「遺体くらいは家に帰してほしいじゃない~(泣く)」

やっぱりそういう紙ね。想像はしてたけども。

 

「ん?でも、川では死ねないって思ったの?そうだよね、泳げるもんね」

「そう~だから死なないんだけど、いつも1人ぼっちで留守番させられて寂しい!」

(新型コロナ以降、父も予定がほぼ白紙になり認知症を疑ってるくらい家にいるので、「1人ぼっちで留守番」はあり得ない)

「いや留守番じゃないし。お父さん2階にいるでしょ。音してるし。とりあえず死ぬのは諦めな!」

わたしは仕事に戻らねばなりませんから^^;

 

で、その日の夜。夕食を作っていると母がまた黄色いチェックのシャツを着ています。昼間は着てなかったのに。しかも胸ポケットにまた安全ピンが。

「ねぇこの安全ピンさぁ」

とポケットの中を探ると、「母自筆」の名前と住所の紙は入ってるけど、わたしが先日入れた名刺はない。

となると、意図して名刺(電話番号つき)は抜いて、名前と住所だけの紙にしているわけで…

「死なないって言ってたのに、また川行ったの?」

「うん。向こう側の岸からなら深いから、泳げないかもしれないって思って」

…マジかよ。

「でも、水が冷たそうでね~やめたの」

「そうね~これからどんどん水は冷たくなるから、もうあきらめた方がいいねぇ」

 

 

この時は希望的観測もあり、

自分でやるだけやって諦めたかな。

と思ってたんですよね。なのでこれ以上突っ込みませんでした。

 

ただ、

  • 1回目は父もわたしもいる状態で自死しに行ってる。2回目は父がいる状態で自死しに行ってる。
  • おそらく2回目も、普通に「散歩行ってきます」的な…周囲が異変を感じにくい状態で家を出てる。わたしが家にいればともかく、父には母の状態を察することはできない。

1人暮らしで孤独が募り…って話でもない、家族が不在中に…でもない。会話がないわけでもない。

どうせいっちゅーの。

と、その時はまだ、わたしは見て見ぬふりを決め込もうと思ってました(笑)

 

 

 

ただ見て見ぬ振りも限界になり、せめて本人が少しでも「楽しく長く毎日を過ごせる」ように