脳の萎縮も年相応

医大の救急外来で腰のレントゲンと頭のCT、血液検査をした父。

chika05.hatenablog.com

 

救急外来としては(認知症や整形、前立腺の専門的検査ではない。専門医にかかれば何か見つかる可能性はある、とは書面でも説明された)、なんの異常もなかった!

 

先生に「最近、頭を打ったことは?」と問われ「ありますあります!」と勢いこんだのに「脳の萎縮も年相応」ですと。

頭なんじゃん?転倒時の脳出血認知症か‥あの道理の通じなさは脳に理由があるに違いない!この救急搬送はそのためによいタイミングだ!と思ったのに。

 

じゃあ毎日毎日垂れ流しで転倒し続けるおまえはなんなんだよ!

 

母にキレることも多々ある。が「病気(アルツハイマー)だからな」と思えば冷静になることも多い。人は理由があれば気持ちを保てる。

認知症だろうなぁ…と思ってたうちは「もしかして投薬でマシになる?」という期待も持てた。

しかし父は…ただの化け物じゃん!

 

11時に救急車を呼び結果を訊いたのが15時。

ケアマネの時間をズラしたがゆえに午後に移動してもらってたお客さんに謝罪して。

母へ何度も電話して徘徊を阻止し。

母「お腹空いたの~」「テーブルの上にどら焼きやワッフルがあるでしょ(緊急時の為に食べ物はテーブルの上に置いてる)」

母「えーどれどれぇ?これぇ?あ、食べ物なのね!」

もう1人じゃテーブル上の食べ物の認識できないんだな…なんて発見をした4時間を費やし、

「何らかの異常はあるだろうから、別の病院を紹介されて入院かな?」

と考えてたわたしは、帰宅を促された。

 

といっても看護師さんに上体を起こされただけで「痛い痛い」と大騒ぎの父。

車椅子で玄関ポーチを上がれるか?そもそもタクシーに移乗できるのか?

 

介護タクシーって手配してもらえるんですか?」「ちょっとこちらでは…受付に聴いてください」。

受付に行き聴くと「紹介はしてないです」。

 

スマホで検索しつつ救急外来に戻ると、相変わらず「痛い痛い」と大騒ぎの父に看護師さんたちも困ってる。

「受付では介護タクシーを手配してないそうで…。1日2日でもいいから入院できませんか?」

ダメ元で聴いてみる。

コロナ禍の大学病院の救急外来でずうずうしい。

けど、玄関ポーチの段差を上げる自信がない。もちろん「最悪、救急車のお世話になる」のが心の支えだったのに、それも折られたショックもある。

このままの父の面倒を家で見続けるイメージが今はできない。

 

先生「点滴で痛みは緩和できるとは思いますが、例えば今、ご自宅でベッドから降りて転倒する、その力はまだあるということで…入院するとその力もなくなる可能性が高いので…」

寝たきりの方がどれほど楽か!!!!

父も「入院は嫌だ嫌だ」騒ぎだす。おまえどの口が言うんだよオイ。揉めているとサポートの方が介護タクシーの一覧をくれた。端から電話し、

「今すぐ○○医大まで」

来てくれる会社を探してる間に、看護師さんたちが父を車いすに移乗。お金を払い、父の救急外来は終了した。疲れた。

 

父には院内でも繰り返し、

「お父さんは今朝、救急車で医大に運ばれたの。わかる?」

と説明し続けてた。が、外に出ると見慣れた風景で調子に乗ったのかタクシー乗り場を指さす父。

ぷちっ

「ちげーよ。あんた救急車でここに来たの。自分で歩けないの!だから介護タクシー手配して待ってんだよ!!!」

理解してない。でも「脳の萎縮は年相応」…

 

介護タクシーの運転手さんに手伝ってもらい、なんとか父を自宅ベッドへ。

わたしは朝から何も食べてないし、もうほんとに疲れてる…

母「お母さん今日大変だったのよ!!ずーーーっと留守番!!!!」

「ああ…しょうがないよね。そこのおっさんが朝救急車で運ばれたからね…」

母「え、そうなの?そんなことよりお母さんの方が疲れたわよ!!」

母は、ケアマネさん2人がかりで父をベッドに運んでくれたこと、救急隊が来たことももう記憶にない。あるのは自分の不満だけ。

 

父は高いびき。もちろん今日の記憶もないだろう。

「じゃあ、今度はあんたが付き添いなよ!!車いすや保険証、診察券、靴、全部抱えて救急車乗り込んで色々訊かれて説明して、長い待ち時間を過ごし診察結果を聞いて来いよ!わたしは留守番したいわ!あんたらのためにどんだけ仕事減ってると思うの!」

母「ええ~それは出来ないんだけどぉ」

 

本当に疲れる。話すだけで疲れる。諸々の謝罪メールも送らぬまま仕事場の床に倒れて17時。

 

「やばい。30日の通院時にもらった処方箋(抗がん剤以外)は今日が期限だ。そして今日も腰の痛み止めを少し処方してもらったんだ!」

 

また留守番させると母が不穏になるので、母を連れタクシーで薬局があるイオンまで。もう夕食を作る気力もなく弁当を買う。

母を調剤薬局の椅子に座らせ、母が見える外に出てケアマネさんに電話。

今日報告する必要はなかったけど、記憶を共有する人間に訴えないとわたしが潰れそうだった。

 

帰路のタクシーが捕まらずイライラしながらもやっと帰宅。

ずっと高いびきで寝てる父をたたき起こし(昼夜の区別がつかなくなるので)、

「晩飯だよ!!起きろ!!!ベッドから動くなよ!」

ベッド脇に食事を運ぶ。

食べるんだな~これが。バクバクと。わたしは眩暈と吐き気で床に座る。

「疲れた~」「もう無理だぁ~」。

ブツブツ言ってるとトンカツ弁当をたいらげた母が、

「あらーじゃあお母さんが片付けとくわよ」

「あ~そう~じゃあ、お父さんのオムツ替えといて」

「あらやだ。お父さんオムツなの?お母さんやったことないわ」

「大丈夫。わたしもやったことないし。見よう見まねでやってるから。適当でいいよ」

 

母には無理だろうけど、言葉だけでも誰かに投げたかった。しかしこの会話がまた間違いの元だった。

 

母に託し、再び仕事場の床に倒れるわたし。

父がリビングから出ていく気配がする。「まさか」と思うが確認する気力もない。父が玄関やトイレに倒れてたらそのまま放置しよう。

母は父のオムツなんて忘れて「寝るわ~」と2階に上がっていった。

仕事せねば…メールを打たねば…起き上がって1件メールを打ち、ビリビリビリビリという音が気になり、ふとリビングを見ると…

 

全裸の父が!ソファで!股間大開きの変な姿勢で寝てた!!!!!!

ソファの下にはビリビリに破かれた新聞。

「おまえ!!!!!いい加減にしろよ!!!!!!!」

向こう三軒にまで響く声で叫んだ。びくっと起きる父。

 

あんたなにしてんの。なんで全裸でソファで寝てんの?今日救急車呼んだの覚えてないの?馬鹿なの?あんたが入院は嫌だっていうから連れ帰ってんだよ!こんなん家でなんか面倒見れるわけないだろうが!そのソファに漏らしてみろ全部捨ててやるからな!少しは頭使えや毎日毎日バカなのか?

 

言いながらオムツとパッドを装着しようとするも、ソファは座面が安定せず何をするにも鬼門。介助するにも鬼門。

わたし1人では父を起こせないし、オムツもつけられない。

写真に撮る。親戚中にハガキにして送ってやる。

 

寝た母を起こし母と二人で介助。

「痛い痛い」とへたる父に、

「うるさい!!家で過ごしたいなら立てよ!!歩け!!!」

怒鳴ったらベッドまで歩いた。そのままベッドに転がしオムツを装着。わたしの罵声は止まらない。

「すまない」「すまない」「すまない」

そんなこと言わせたいんじゃない。家で過ごすなら最低限の道理を理解をしろ。認知症なら仕方ない。でも「年相応の脳の萎縮」なんだろ?

(と言っても意味わからないだろうから言わなかった)

 

「お母さん、お父さんのオムツ替えておいて」という言葉が、父の「ヤバい。自分でトイレ行かねば!」の気持ちを生んでしまった可能性はある。

あれ言わなきゃよかったのか。そのくらい言わせてくれよ。

 

「お母さん、ありがとうね~!」

お礼を言うと母は役立ててうれしそう。

が、廊下に出るとトイレ前にリハパンが転がってる。そしてトイレの中にもリハパン。

「あらーなにかしらー」

母は汚物を平気で触る。

「あっあっ、いいよお母さんわたしが拾うから。どうもありがとうね」

母を2階に送り、再び仕事場の床に倒れる。

 

猫…猫がいてよかったなぁ。

明日…明日は母だけディサービス。そしてゴミの日。あの大量なオムツとリハパンをまとめて…母を起こして朝食を作り…で、父はまた全裸で床にいるのだろうか…いるんだろうな…。

明日からの暮らしがもう見えない。