めちゃくちゃ忙しい‥。とりあえず覚え書き。
1月28日
午後、施設から電話。父がまた誤嚥し血中酸素濃度が下がり救急搬送。搬送先が決まったら再度連絡くれるとのこと。
午後のお客さんを断り、母に準備させてると救急隊員から電話。
昨年入院したK病院、2月に外来予定してたT病院など近隣は受け入れ出来ず、隣区のK大学病院へ搬送になる。
車椅子の母を連れていくにはアクセス悪し&土地勘がないが仕方なし。
今回の誤嚥、直感的に「大したことない」気がする。が、電話の背後で地獄の底からの唸り声みたいな音が聴こえる。
救急隊員「今、痰の吸引してます」
痰の吸引‥!
2010年、母が脳卒中で意識不明の時に痰吸引を初めて見て「あんな辛そうなことやらなきゃ生きてられないのか!」と衝撃を受けたのを思い出した。
母と救急外来で待つこと3時間半。処置室からも地獄の底からの唸り声が‥
「レントゲンです」
父がストレッチャーに乗り通る。「お父さん」「パパ」呼ぶと父が手を振ってくる。
やはり危篤宣言受けた昨年に比べたら全然大丈夫そう。
が、タオルがかけられた父の腹、丸々と膨らんでた。
「次はCTです」
CTか‥。2月は腹の中で何が起きてるか知るために外来受診する予定だったけど、図らずも今日わかるかぁ。
その後、救急外来の内科医いわく、
「肺炎は大したことないです。が、腹部リンパ節が腫れていてこちらがかなり悪く腹水が溜まり始めてます。私は泌尿器科ではないし、過去のデータを見てないので、かなり悪いとしか言えませんが、しばらく入院したほうが」
ええ、お願いします!
延命の説明を母と聞く。メマリー断薬中の母は頼もしい限りだが、
母「まぁ、もうなにしたってねぇ」
無理な治療は苦しいだけ‥だけど大事なのは、
「本人が、痛みとかない方向でお願いします」
もうこれに尽きる。
入院病棟に行くと、また地獄の底からの唸り声が‥
看護師「いつもこんな大声を?ちょっと個室じゃないと対応できません」
個室でもいいですが、普段はこんな声出しませんよ!
看護師「あ、痰の吸引が辛いみたいですね」
やはり、あの痰の吸引でかなり辛いんだな。
こんな辛そうな吸引しなきゃならないのに「大したことない」のか‥。
この日は日曜日で入院手続き出来ず。
1月29日
仕事の合間に施設へ寄り、必要なものを揃えて病院へ入院手続きに。
施設スタッフさんたちが「お帰りお待ちしてます!」と見送ってくれた。施設看護師さんも、
「どのみち来月は外来連れて行って下さる予定でしたし、今回の入院で前倒しで色々分かれば安心ですよ」
ホントそれ。
検査だけじゃなく医療看護もしてもらえるし、むしろ良かったかもしれない。
K大病院では、改めて看護師に「施設復帰のための、緩和ケアを希望」「退院に向けた医師とのカンファレンス希望」を伝える。入院予定は2週間。
「2週間、出来るだけ楽になるようにお願いします」
ちなみに、昨年もそうだったけど「結核検査」をしている。
看護師「会っていきます?まだ検査結果出ないので、完全防護しないと会えないですが」
「えーでも面会時間じゃないですよね(面会は14時〜16時半)」
キーパーソンだからか、会っても構わないと言われたが、昨日の今日だし時間もないので帰宅した。
この日あたりから「病院のタクシー乗り場にはタクシーいないし、流しを拾うにもタクシーが捕まらない立地⁈」と気づき始める。
2月1日
母を連れて面会に行く前に、病院から電話。
医師「腫瘍が血を持って行ってしまって、貧血がひどいです。すぐにどうこうはないですが、いつ何が起きてもおかしくないです」
在宅時代から毎回毎回「いつ何が起きてもおかしくない」言われ続けてるから慣れた。
それより衝撃だったのが、
「施設に戻したいんです。大丈夫ですよね」
医師「施設に戻す時は'看取り'になるかと」
え!
今の施設、看取り対応してないんですが‥。
まぁわたしの数々の経験からも「入院直後の医師は最悪なことしか言わない」のは知ってる。
が。
とにかく施設に戻してもう少しアクセスがよく、緩和ケアをやってるT病院に外来させたいわたしとしては衝撃だった。
(施設に戻せないってことは、看取り対応施設をまた探さなきゃならないのか?療養型病院を探すのか?または緩和ケア病棟がある病院に転院‥いやホスピスだと2週間くらいで退院させられちゃうよね?)
色々グルグルするも、入院中に父の貧血が改善するかもしれず、今の段階で医師にそれを言っても仕方ない。
その後、母を連れて面会に。さらっと通してくれた看護師に、
「あれ?結核検査してるから完全防衛では‥?」
看護師「わたしたちは完全防護ですが、ご家族様にもとは言われてないので」
みんな言うこと違うなぁ。
「ところで痰の吸引はまだやってますか?」
まだ吸引中だった。
あの地獄の底からの唸り声は続いてるのか‥。
母と病室に入り、寝てる父を起こす。寝起きでボーっとしてるのもあるし、顔色悪し。
「お父さん、ご飯は食べ‥あ、まだ点滴か」
父「食べてる」
寝ぼけてるのもある。が、その後別の話をするわたしに、
父「おいしいよ」
‥いつもいつも、わたしが「ご飯食べて」「コレ(差し入れのアイスやプリン食べさせて)美味しい?」というからだよね‥。泣けてくる。
母と一緒に、
「早く良くなってさっさと退院して帰ろう!」
と言うと、
父「うん、それだけ聞ければもう充分だ。帰っていいよ」
寝始めた。
そうだね、家族に「はよ退院して帰ろう」と言われれば「なるほど、頑張れば退院できるのか」と安心するもんね。
で、この日の帰路が本当にタクシーが捕まらず!
薄々気づいてたけど、車椅子ってタクシーに微妙に避けられる感もあり、ターミナル駅まで車椅子押して1時間ほど歩いてしまった!
マジ、アクセス悪すぎるんだよ‥
2月4日
午後、母を連れ面会。
父の部屋から、処置中の看護師ふたりの声がする。しばし待つも終わらなさそうだから、ノックして顔を出すと‥
看護師「あらすみません、まだ結核の検査結果が出てないので、わたし達は完全防護ですが、ご家族様はまだちょっと会えないんです‥」
毎回言ってることが違うな!
でもドアの外から処置中の父を見れた。
父「おお、入ってこいよ」
看護師「明日以降は検査結果が出るんですが、今日まではダメなんですよー」
考え方を変えれば、病院はやばい時ほど融通利かせて会わせてくれる。
まして車椅子の母を連れ、会いに来てるわたしを追い出すくらいには、父は回復してきてるのではないか。
「じゃまたきますねー」
諦めドアを閉めたら、痰の吸引が始まった。
(救急搬送から1週間、まだ痰の吸引必要なのか‥)
しかし「地獄の底からの唸り声」ではなくなってた。
あと1週間くらい入院すれば、また施設戻れるんじゃないかなーと希望的観測をしてしまう。
で、帰路。
やっぱりタクシーが捕まらない!
先日を教訓に、歩きながらタクシー捕まえるのではなく、タクシー乗り場で待ったけど全然来ない。
母「もう帰りましょうよー」
「帰りたいんだけどね!タクシーがいないの〜」
タクシー捕まえる→足場悪い中で母を立たせてタクシーの座席に持ち上げ、車椅子畳んで積んでもらい、また車椅子下ろしてもらって広げてセット、母を抱え下ろし‥
この介助が大変すぎて、タクシー乗るのも体力消耗が激しい。
歩ける距離なら、正直歩いたほうがいい。
が、K大病院は歩くには遠すぎる微妙な距離(タクシー代で2.500円ほど)。
2月7日
夕方、また母を連れて面会に。
結核検査も出てるだろうし(陰性だろう)、ようやく堂々と見舞いに行ける感。
また寝てる父を起こす。
が、いまいち意識朦朧としてる。先週はついてなかった鼻酸素が増えてる。
施設ではペーストやわたしの差し入れを口から食事していた父。仲良しの介護スタッフさんに囲まれて、4人部屋で刺激も色々あった。
それが病院で点滴だけになり、個室にポツンと1週間半。急激に衰えたように見える。
ナースステーションに行き、担当看護師を呼ぶ。
一体、いまどのような状態なのか。あとあの恐ろしい痰の吸引はまだやってるのか。
看護師「えーと、熱は下がりました。痰は回数は減ったけどまた吸引はしています」
「今すごく危ない状況とかではないですか?」
看護師「それはないと思います」
うーむ。
大病院の看護師さんはシフトで、会うたび違う人だし、人によって言うことが微妙に違うからよく分からない。
医師としては入院3日目の「今すぐどうこうはないけど、年齢的に何が起きてもおかしくない」をキープするんだろう。
昨年も医師から「危篤」宣告されたまま話がなく、せっついてせっついてカンファレンス求めて、結果2ヶ月半で復活したから、高齢者は常に「何が起きてもおかしくない」前提で、今は良い話を聞けない確信がある。
2022年の2月、救急搬送した父が寝たきりで帰宅する際、病院のSWさんとした会話を思い出す。
施設入所か退院かの話で、
「父は入院もめちゃくちゃ嫌がるんで、施設なんてとても‥」
と言うわたしにSWさんは、
「病院は治療の場で、施設は生活の場ですから全く違いますよ」
と説明してくれた。
当時のわたしは「??どう言う意味?」と疑問だったし、まして父がそれを納得するとも思えず(実際、その後ショートスティと言っただけで嫌がって泣いた)、退院させたんだけど、今は病院と施設の違いがよーく分かる。
施設に戻してやりたい。
もちろん治療が必要で入院させてもらってるから、病院に文句があるわけじゃないけど‥