父、危篤から回復中

6月12日、父が施設から救急病院に搬送。

危篤宣言された。(医師からの話はまだないけど、多分もう危篤解除)

 

6月12日 危篤

母のショートスティ迎えのため、10時半に施設へ行く予定だったわたし。

10時前に施設の特養から電話。

父が朝食を嘔吐、血中酸素濃度がかなり低く危険な状態とのことで通院を要請された。

 

が、今まで施設側から聴いてる父は「施設ではとてもよく喋るようになった」「食欲旺盛」「オヤツを大量に注文し平らげてる」話ばかり。

「えーわたし午後仕事ですし、様子見してもいいのでは?」

数々の救急搬送を経験し、一度救急外来行くと半日潰れることを知ってるので、特養とも様子見で合意し、母を迎えに行く準備をしてるとまた電話。

嘔吐、2度目。

施設の看護師さんが病院搬送してくれるとのこと。

施設「ただ入院となるとご家族が来てくれないと‥」

ですよねー。

 

わたしのお客さんに状況と午後の仕事をキャンセルする可能性をメールし、母を迎えに行く。

ショートと特養は同フロアなので、担当さんや看護師さんから父の様子を聴くも、電話で説明された「昨日まで元気。今朝いきなり嘔吐」の状況しかわからない。

 

母を連れ帰宅直後、父の病院同行した看護師さんから電話があった。

看護師「状況はかなり悪いので、このまま連れ帰ることはない(入院)です」

母には「徘徊すんな」と言いふくめ、病院へ。連れて行くか迷ったけど、多動徘徊の母を連れ救急外来⇒入院手続きの長丁場は無理すぎるので、いつもこういう場合は放置だ。

 

で、診察室の医師いわく。

  • 新型コロナ検査は陰性
  • 施設入所以来測定してた血中酸素濃度は良好(肺の持病があるとは思いがたい)。
  • しかし誤飲でこんなに白くなることはないほど、肺のレントゲンが真っ白。
  • よって原因不明。
  • 万が一の可能性として結核‥?
  • いずれにしても呼吸がかなり危うい。年齢的にも認知症的にも、気管挿管は薦めない。が、気管挿管しなきゃならない肺の状態ではある。

⇒入院中にできる範囲のことはするけど、危篤です。

「え、危篤!」

医師「会わせたい人がいればすぐに」

いきなり!

 

施設の看護師さんもショックを受けてる。

「あーまぁそうですか。ええ、延命はしない方向で。はい。‥て、お父さん、いたんかい〜!」

処置室の背後に父がいた。

 

酸素マスクを装置し、不随意運動というか痙攣が激しい父。便失禁もしたらしく、ビニールに入れた汚れた衣類を施設の看護師さんが渡されてる。

「あ、それはわたしが持ち帰ります」

危篤ってことは、父は施設には帰れないわけで、父の衣類を施設に戻す意味がない。

(最期の最期までクソの始末かよ…)

と思いましたよね、ええ。

 

入院の書類を書いてたら、父が特養入所した5月12日からちょうど1カ月なことに気づく。

看護師さん「あ、まだ1カ月じゃないですか〜。早すぎる〜」

絶大な根回しで入れた特養。父も穏やかに過ごしてたのに施設ライフ1カ月で終了なんて洒落にならない。

「いや、回復して帰れるかもですよ!ただ管つけたら特養帰れませんもんね‥」

父が入所した特養は看取り無し、医療対応も少ない施設。

仮に助かったとしても、管がついたら療養型病院か?有料を探すか‥?

 

お客さんに仕事のキャンセル、兄と弟に危篤の知らせをし、施設の看護師さんは施設に帰宅。

わたしは父の入院フロアに付き添い、

看護師さん「ちょっとここで待っててください」

言われてずーっと放置。

駆けつけた兄には自宅で母の監視を頼み、弟とようやく病室に行けたのは14時。

病院が悪いわけじゃない。でも、だから救急搬送嫌なんだよぉぉぉぉ~

 

「今まで、なにしていたんですか?」

看護師「点滴入れたり、オムツ替えたり、導尿…あ、前立腺は」

「ええ、前立腺がんです」

看護師「だからか。腫れてるみたいで管が入らなくて」

「んん?この肺って、前立腺関係あります?」

看護師「いや、前立腺がんは骨やリンパに転移しますから…」

いきなり肺に転移しないか。

 

結核の疑いが晴れるまで、個室で隔離とのことで、入室前に医療マスクと手袋を装置。

酸素マスクと点滴に繋がれた父は意識不明。

認知症診断前から、父は「入院せん妄」が激しく、入院時は必ずミトンで拘束・床にはセンサーマットが定番。

なので、拘束なしで横たわる姿に「なるほど、危篤かぁ〜」と思う。

 

その後、一度帰宅し兄と母を連れ父の病室へ。

ちなみに、隔離に限らず面会は14時〜16時の間だけ。10分許されている。

昨年2月も同じ病室に入院しているが、その時は一切面会できなかった。

 

わたしの知る限り、大学病院や救急病院って、最初に医師から説明され、その後1~2週間は放置。

退院目途立てるためにカンファレンス呼び出し→割とすぐに退院。

このパターンばかりなので、良くも悪くも入院中の変化を知りたくば、面会に来るしかないイメージ。

(今回の父も、17日現在も「医師の診断=危篤」のまま)

12日、危篤のまま放置されるのは真っ平ごめんだから「毎日来て、自分の目で確かめよう」と決めた。

 

6月13日 直感的には危篤脱出

「危篤」というからには、いつ呼び出され、未知なる世界の葬儀屋や菩提寺とのやり取りに忙殺されるかわかったもんじゃない。

その都度、仕事をぶっ飛ばすのはリスキー過ぎる(個人事業の接客業ゆえ、わたしがいないと仕事にならない)。今週の仕事はとりあえず整理した。

 

ナースステーションで「まだ危篤ですか?」と訊くも、父の容態をわかる人がおらず。

感染対策して父の個室に入ると、昨日はただ寝ていた父が、

布団も病衣もはだけ、オムツ剥きだしで寝てる。

(お?調子取り戻してきたな…)

直観的に「これ、死なないな」と思う。

 

寝てる父は起こさず帰宅。

特養に電話をし、昨日のお礼と「わたし的には、何がなんでも施設復帰望んでます!多分、死なないので!」とアピール。

 

 

6月14日 復活?

14時に従妹と約束し、車椅子を押し母と3人で病院へ。

看護師を捉まえ聴いてみると、

看護師「危篤?いや~お元気ですよ。あ、ただわたしは今日だけ担当なので。年齢的に何が起きてもおかしくないですが、危篤と言う状態ではないですね」

ほ~。

 

部屋に入ると、父は目覚めてベッドサイドのTVを見ていた。

この日は不思議なことに、父の認知状態が非常に良かった。

2年で1番まともにコミュニケーションが取れたと言ってもいいかも。

(入院の記憶もないし、自分の兄弟が10年ほど前に亡くなった記憶もないけど)

15時半に面会した兄も同じことを言ってた。

通常、高齢者の入院は認知症を悪化させるし、「入院せん妄」がある父なんて更にリスキーなのに、なぜだろう。

 

6月15日 トロミのお茶

母と病院へ。この日は母の調子がよく、往路タクシー・帰路は徒歩。

父は朝、トロミのお茶を噎せずに飲めたらしい。

ただ認知は元通り。言葉も不明瞭に戻ってた。

 

施設復帰にあたり「余計な管がついてないこと」「自力で嚥下できること」はとても重要。

また施設に電話し、快復を伝える。

 

6月16日 大部屋移動&酸素マスク外す・ミトン装着

結核の疑いが晴れたとのことで、ナースステーション横の大部屋へ移動してた。

重篤患者用の部屋なのか、ナースステーションから直結した男女共同部屋。

今朝はトロミ食をスタート。4日ぶりの食事を完食したらしい。

酸素マスクもはずれ、管を外すのを防ぐミトンを装着。

父「これ、非常に不愉快だ!」

「あぁ?管外すからミトンつけられちゃうわけ。仕方ないよ。この管があんたの命を繋いでんのよ」

これぞ父。施設復帰&退院も間近かと期待する。

 

「ご飯は?食べた?おいしかった?」

父「…いや。…おいしくは…ない」

看護師さん「あらぁ。やっぱり家族が来ると話すのね」

父、朝から一言も喋らなかったらしい。

 

月曜日は大部屋移動できるようになると思わず、TVレンタルの契約をしてなかったので、

「今から契約できるなら、TVを見せたいんですけど…」

TVと冷蔵庫(これは使えないが)のセットを契約。TVを運んでもらった。

 

看護師「何が見たいですか?相撲見ますか?」

「野球が好きです。相撲も見ます。大谷翔平が好きです」

父「…いや、あのね…」

父を注視するわたしと看護師。

父「相撲と、あと、野球ね」

うん、そうですね。

もしかしてTVがないから不機嫌になったのか?それとも認知症の進行か?

 

6月17日 再び酸素マスク

この猛暑の中、母を連れ歩ける気がしなく往復タクシーで行く。

正直、(もう週明けカンファレンスかな?今日、看護師から言われるかも。特養看護師さんもカンファレンスに呼べばいいのかな??)と考えつつ向かった。

 

しかし、TVを見る父の口にまた酸素マスクが。ガーン。

 

看護師を捉まえて聴くに、

  • 食事は変わらず完食した。
  • よく喋ってた(男女共同部屋なのが気に入らないらしい)。
    「お父さん、ここナースステーショ直結部屋。もっと良くなれば男性部屋に移動出来るよ」

だけど酸素濃度だけが問題。パルスオキシメーターの数値的に、

看護師「マスクつけずにこの数値ならいいんだけど…。マスク着けてこの数値って言うのは問題があるんですよね…」

うーん。やはり嚥下の問題ではなく、肺に病気があるのか…?

 

母とわたしが滞在中、父はほぼ無言。でも10分の滞在を終え、帰ろうとすると、

父「もう出かけるの?」

出かける…。ここをどこだと思ってるのかなぁ。

家か?施設か?

「10分の制限があるんだよね。明日、また来るよ」

 

危篤の恐れはなくても、こうして一進一退しつつ様子見を続けるしかないのだろうか…

または、昨日必要なかった酸素マスクが、今日は必要になるように、やはり急に危篤になるのだろうか。

 

12日月曜日から連日面会に来てはいるけど、入院中はコレ(食事は自分で出来る。が、調子によっては酸素マスク必須)で小康を保ってる感じなのかなぁ。

 

施設入所1か月。

父の特養に母がショート利用してるものの、「せっかく落ち着いてる父の帰宅願望を増長」させるので、母とはそんなに会ってない。

それもあったし、「危篤」だったゆえ、父と母を会わせてやりたいと、連日通ってみたけども…

なにせ母も歩行困難。

猛暑か雨(車椅子使えない)の最悪な気候の中で、父詣でを続けるのはキツイ。

母は来週またショートスティもあるから、そうそう父に会わせられないし、わたしは仕事もある。今週のようには動けない。

 

今日のようなことがあるので、医師も初日の診断のまま様子見してるのは分かる。

分かるし、何より患者の状態が安定しない以上、病院もどうしょうもないのも分かる。

けど、父の入院の度に思う。

 

早く~段取りを~知りたい~!!!!

 

どうせまた、段取りもクソもなくカンファレンスに呼び出され、説明され、サクサク出て行ってくれという(急性期病院だからね)態度を取られるんだろうなぁ…。