父の入院

めちゃくちゃ忙しい‥。とりあえず覚え書き。

 

1月28日

午後、施設から電話。父がまた誤嚥し血中酸素濃度が下がり救急搬送。搬送先が決まったら再度連絡くれるとのこと。

午後のお客さんを断り、母に準備させてると救急隊員から電話。

昨年入院したK病院、2月に外来予定してたT病院など近隣は受け入れ出来ず、隣区のK大学病院へ搬送になる。

車椅子の母を連れていくにはアクセス悪し&土地勘がないが仕方なし。

今回の誤嚥、直感的に「大したことない」気がする。が、電話の背後で地獄の底からの唸り声みたいな音が聴こえる。

救急隊員「今、痰の吸引してます」

痰の吸引‥!

2010年、母が脳卒中で意識不明の時に痰吸引を初めて見て「あんな辛そうなことやらなきゃ生きてられないのか!」と衝撃を受けたのを思い出した。

 

母と救急外来で待つこと3時間半。処置室からも地獄の底からの唸り声が‥

「レントゲンです」  

父がストレッチャーに乗り通る。「お父さん」「パパ」呼ぶと父が手を振ってくる。

やはり危篤宣言受けた昨年に比べたら全然大丈夫そう。

が、タオルがかけられた父の腹、丸々と膨らんでた。

「次はCTです」

CTか‥。2月は腹の中で何が起きてるか知るために外来受診する予定だったけど、図らずも今日わかるかぁ。

 

その後、救急外来の内科医いわく、

「肺炎は大したことないです。が、腹部リンパ節が腫れていてこちらがかなり悪く腹水が溜まり始めてます。私は泌尿器科ではないし、過去のデータを見てないので、かなり悪いとしか言えませんが、しばらく入院したほうが」

ええ、お願いします!

延命の説明を母と聞く。メマリー断薬中の母は頼もしい限りだが、

母「まぁ、もうなにしたってねぇ」

無理な治療は苦しいだけ‥だけど大事なのは、

「本人が、痛みとかない方向でお願いします」

もうこれに尽きる。

 

入院病棟に行くと、また地獄の底からの唸り声が‥

看護師「いつもこんな大声を?ちょっと個室じゃないと対応できません」

個室でもいいですが、普段はこんな声出しませんよ!

看護師「あ、痰の吸引が辛いみたいですね」

やはり、あの痰の吸引でかなり辛いんだな。

こんな辛そうな吸引しなきゃならないのに「大したことない」のか‥。

この日は日曜日で入院手続き出来ず。

 

1月29日

仕事の合間に施設へ寄り、必要なものを揃えて病院へ入院手続きに。

施設スタッフさんたちが「お帰りお待ちしてます!」と見送ってくれた。施設看護師さんも、

「どのみち来月は外来連れて行って下さる予定でしたし、今回の入院で前倒しで色々分かれば安心ですよ」

ホントそれ。

検査だけじゃなく医療看護もしてもらえるし、むしろ良かったかもしれない。

 

K大病院では、改めて看護師に「施設復帰のための、緩和ケアを希望」「退院に向けた医師とのカンファレンス希望」を伝える。入院予定は2週間。

「2週間、出来るだけ楽になるようにお願いします」

ちなみに、昨年もそうだったけど「結核検査」をしている。

看護師「会っていきます?まだ検査結果出ないので、完全防護しないと会えないですが」

「えーでも面会時間じゃないですよね(面会は14時〜16時半)」

キーパーソンだからか、会っても構わないと言われたが、昨日の今日だし時間もないので帰宅した。

この日あたりから「病院のタクシー乗り場にはタクシーいないし、流しを拾うにもタクシーが捕まらない立地⁈」と気づき始める。

 

2月1日

母を連れて面会に行く前に、病院から電話。

医師「腫瘍が血を持って行ってしまって、貧血がひどいです。すぐにどうこうはないですが、いつ何が起きてもおかしくないです」

在宅時代から毎回毎回「いつ何が起きてもおかしくない」言われ続けてるから慣れた。

それより衝撃だったのが、

「施設に戻したいんです。大丈夫ですよね」

医師「施設に戻す時は'看取り'になるかと」

え!

今の施設、看取り対応してないんですが‥。 

まぁわたしの数々の経験からも「入院直後の医師は最悪なことしか言わない」のは知ってる。

が。

とにかく施設に戻してもう少しアクセスがよく、緩和ケアをやってるT病院に外来させたいわたしとしては衝撃だった。

(施設に戻せないってことは、看取り対応施設をまた探さなきゃならないのか?療養型病院を探すのか?または緩和ケア病棟がある病院に転院‥いやホスピスだと2週間くらいで退院させられちゃうよね?)

色々グルグルするも、入院中に父の貧血が改善するかもしれず、今の段階で医師にそれを言っても仕方ない。

 

その後、母を連れて面会に。さらっと通してくれた看護師に、

「あれ?結核検査してるから完全防衛では‥?」

看護師「わたしたちは完全防護ですが、ご家族様にもとは言われてないので」

みんな言うこと違うなぁ。

「ところで痰の吸引はまだやってますか?」

まだ吸引中だった。

あの地獄の底からの唸り声は続いてるのか‥。

母と病室に入り、寝てる父を起こす。寝起きでボーっとしてるのもあるし、顔色悪し。

「お父さん、ご飯は食べ‥あ、まだ点滴か」

父「食べてる」

寝ぼけてるのもある。が、その後別の話をするわたしに、

父「おいしいよ」

‥いつもいつも、わたしが「ご飯食べて」「コレ(差し入れのアイスやプリン食べさせて)美味しい?」というからだよね‥。泣けてくる。

母と一緒に、

「早く良くなってさっさと退院して帰ろう!」

と言うと、

父「うん、それだけ聞ければもう充分だ。帰っていいよ」

寝始めた。

そうだね、家族に「はよ退院して帰ろう」と言われれば「なるほど、頑張れば退院できるのか」と安心するもんね。

 

で、この日の帰路が本当にタクシーが捕まらず!

薄々気づいてたけど、車椅子ってタクシーに微妙に避けられる感もあり、ターミナル駅まで車椅子押して1時間ほど歩いてしまった!

マジ、アクセス悪すぎるんだよ‥

 

2月4日

午後、母を連れ面会。

父の部屋から、処置中の看護師ふたりの声がする。しばし待つも終わらなさそうだから、ノックして顔を出すと‥

看護師「あらすみません、まだ結核の検査結果が出てないので、わたし達は完全防護ですが、ご家族様はまだちょっと会えないんです‥」

毎回言ってることが違うな!

でもドアの外から処置中の父を見れた。

父「おお、入ってこいよ」

看護師「明日以降は検査結果が出るんですが、今日まではダメなんですよー」

考え方を変えれば、病院はやばい時ほど融通利かせて会わせてくれる。

まして車椅子の母を連れ、会いに来てるわたしを追い出すくらいには、父は回復してきてるのではないか。

「じゃまたきますねー」

諦めドアを閉めたら、痰の吸引が始まった。

(救急搬送から1週間、まだ痰の吸引必要なのか‥)

しかし「地獄の底からの唸り声」ではなくなってた。

あと1週間くらい入院すれば、また施設戻れるんじゃないかなーと希望的観測をしてしまう。

 

で、帰路。

やっぱりタクシーが捕まらない!

先日を教訓に、歩きながらタクシー捕まえるのではなく、タクシー乗り場で待ったけど全然来ない。

母「もう帰りましょうよー」

「帰りたいんだけどね!タクシーがいないの〜」

 

タクシー捕まえる→足場悪い中で母を立たせてタクシーの座席に持ち上げ、車椅子畳んで積んでもらい、また車椅子下ろしてもらって広げてセット、母を抱え下ろし‥

この介助が大変すぎて、タクシー乗るのも体力消耗が激しい。

歩ける距離なら、正直歩いたほうがいい。

が、K大病院は歩くには遠すぎる微妙な距離(タクシー代で2.500円ほど)。

 

2月7日

夕方、また母を連れて面会に。

結核検査も出てるだろうし(陰性だろう)、ようやく堂々と見舞いに行ける感。

また寝てる父を起こす。

が、いまいち意識朦朧としてる。先週はついてなかった鼻酸素が増えてる。

施設ではペーストやわたしの差し入れを口から食事していた父。仲良しの介護スタッフさんに囲まれて、4人部屋で刺激も色々あった。

それが病院で点滴だけになり、個室にポツンと1週間半。急激に衰えたように見える。

ナースステーションに行き、担当看護師を呼ぶ。

 

一体、いまどのような状態なのか。あとあの恐ろしい痰の吸引はまだやってるのか。

看護師「えーと、熱は下がりました。痰は回数は減ったけどまた吸引はしています」

「今すごく危ない状況とかではないですか?」

看護師「それはないと思います」

 

うーむ。

大病院の看護師さんはシフトで、会うたび違う人だし、人によって言うことが微妙に違うからよく分からない。

医師としては入院3日目の「今すぐどうこうはないけど、年齢的に何が起きてもおかしくない」をキープするんだろう。

昨年も医師から「危篤」宣告されたまま話がなく、せっついてせっついてカンファレンス求めて、結果2ヶ月半で復活したから、高齢者は常に「何が起きてもおかしくない」前提で、今は良い話を聞けない確信がある。

 

2022年の2月、救急搬送した父が寝たきりで帰宅する際、病院のSWさんとした会話を思い出す。

施設入所か退院かの話で、

「父は入院もめちゃくちゃ嫌がるんで、施設なんてとても‥」

と言うわたしにSWさんは、

「病院は治療の場で、施設は生活の場ですから全く違いますよ」

と説明してくれた。

当時のわたしは「??どう言う意味?」と疑問だったし、まして父がそれを納得するとも思えず(実際、その後ショートスティと言っただけで嫌がって泣いた)、退院させたんだけど、今は病院と施設の違いがよーく分かる。

施設に戻してやりたい。  

 

もちろん治療が必要で入院させてもらってるから、病院に文句があるわけじゃないけど‥

 

 

 

 

 

娘さんが持って来たんですよ

先日の面会時、施設から父の衣類を頼まれた。

スタッフさん「腹部から足の浮腫みがひどくて、今のサイズだとお腹がきついんです」

父のボトムはLサイズ。

介護アルアルで、着脱しやすい大きめサイズにしてる。

トップスはM。これまた着脱しやすい前びらきのジップアップを揃えてる。

「え、Lより上ですか?」

固形が食べれずに食が細くなってる父、顔や肩は痩せてるんだけど、浮腫がひどいのか。

スタッフさん「そうですね‥。2Lとか‥。あと上着もお腹のあたりのファスナーが閉まらなくて」

見た感じは「痩せたな」と思うが、腹がきつかったり前が閉まらないのは可哀想。

父の腹を触って確認したけど、リクライニング車椅子に座った状態ゆえよくわからない。

「お父さん、お腹きつい?」

父「うーん、キツイね」

「じゃあ、大きなサイズ買ってくるね」

とはいえ、父の見た目と買うべき服が合致せず、上着はLL、ボトムスは2Lを買って持ち込んだ。

 

そんな状態ゆえ、改めて看護師や相談員に、

「浮腫が酷いならバルーン入れます?外来連れて行きますよ」

と掛け合う。

が、尿が全く出ないとか、血尿が激しいならバルーンだけど尿は出ている。腹部下肢の浮腫みは泌尿器に限らず、心不全や循環器系でもなるし、原因が1つとは限らないとのこと。

管を入れれば解決というわけではないのか‥

 

全員で検討し、2月に大きな病院の「内科」受診させることにした。抗がん治療は耐えられない、痛みがあるわけでもない。が、食事量が減り浮腫が酷いとなると「内科」しかない。

施設と提携してるT病院初外来。

内科‥この時期めちゃ混んでそうなんだけど!

相談員さん「午前中に受付して、帰宅は15時頃ですね」

気が遠くなる。が、浮腫みの原因は知りたい。

 

ちなみに月に数回、父にプリン、ヨーグルト、ゼリー、ジュースを大量に差し入れる。

食事量に波がある父だが、大好きなスィーツは食べまくるからだ。

でも昨日、

スタッフさん「最近、甘い物食べます?と聞いても"いらない"って言うんです。でも“娘さんが持ってきたやつですよ"って言うと"じゃあ食べる"って食べるんですよ」

と聞かされた。

なんだよそれ泣く。

 

ウチはスタッフ間でも有名なほど差し入れしてるから(何故なら、わたしが施設に行く機会が多いから)、「娘からの久々の差し入れ」て感覚ではなかろう。

そのココロはなんだろうな。

泣くほどのことではなく、この10年以上「娘=食事」だったから、単に刷り込まれてるだけかもしれないけど。。

 

 

代わって、母はメマリー断薬して頭は絶好調。

一昨日は母の友人3人が遊びにきた。

海千山千の女子?会で、母もマシンガントーク。すごいな‥。わたしは3時間で離脱したけど、4人で5時間喋り続けてた。

ちなみに全員、娘がいる。

昔から脳血栓脳梗塞脳卒中を繰り返してた母、その都度、

「娘がいて良かったわ〜」「娘がいるからわたしたち安心よ!」

と言い合う仲間たちでもあった。思えば大昔からわたしも「闘病、介護は娘」と軽く洗脳されてたかもな‥。

来月の父の受診話が出て、

ご友人連「○○ちゃんが行く必要ないわよ。お兄さんに付き添わせなさいよ」

面会にも足しげく通ってくれる兄の名前が出る。娘に介護もそうだけど、そういうとこだよ‥

親の介護って、1つ背負う人の背中にポイポイ~っと2つ3つ4つ5つ投げ込まれる。だから「やったもん負け」とか言われるんだよ!とわたしは思ってしまう。

(ご友人たちも、兄が両親を案じ実家に来てくれてることは良く知ってる)

 

「兄?兄ですか?いや~、親に会いにも来ない弟に、父の通院などは任せようと思って…た時期もあったんですけど(交渉決裂)ね?」

すると、

ご友人連「馬鹿ねぇ。やる人はとっくにやるの!舞台の幕が開いた時からやるの!やらない人が今更やるわけないじゃない!」

断言された。

「え?開幕は様子見してても、幕が降りそうなら慌てて参加しません?」 

そしたら母が、

母「あいつは絶対にやらない。あれは自分では幕を下ろさないタイプなのよ」

!!!!!!!

「え、お母さんとお父さんの息子の話なんだけど!?」

母「だから分かるのよ!」

 

もっと早くに聴けばよかったというか、その件については以前も母と相談してたけど、

母「あいつが手伝うわけないじゃない」

で終わってた。わたしもツッコミ入れなかった。

が、今回の「舞台の幕を下ろすわけがない」という言い回しが、なんかすごくしっくりきた。

なぜならわたしは「下ろす時くらいは手伝うよ」以外の選択肢は考えたこともなかったから。

むしろ、どうせ下ろす時は手伝うなら、最初から参加した方がいいじゃん?と考えてるので目から鱗

 

母が「だから〇〇(わたし)は、ずっと一緒に暮らしてくれてありがと」

ご友人達「あら、えらいわ。ちゃんと言えてえらい!」

母「そう思ってるんだから言えるわよ!」

逞しい80代女子たち。

 

ご友人たち「あなた(母)一時期もうダメかと思ったけど、今ホントにいい顔してるし頭も喋りもばっちりよ!」

そういうことを忌憚なく言ってくれる友達が母にいて、(わたしが)よかったなぁ。

 

そのご友人の1人が、

「○ちゃん(わたし)の年代で見ているお父さんお母さんの状態と、わたしの年齢で見ているお父さんとお母さんの状態は、見え方が違う。二人は充分に幸せよ」

と言ってくれた。

見え方‥違うかもね。母も「そうそう、幸せよ」と言ってくれた。

なんて記事を上げようとしてた本日、午後はまた父が救急搬送された‥。

それはまた改めて。

 

 

 

 

 

 

便秘改善・メマリーをやめたら3

先日、近所の美容院に母を連れて行った。

我が家近辺は古い商店街(半ばシャッター閉まってる)。

美容院もよく言えばレトロ。いやアナログ…。  

店内には引退閉店後の元商店店主が集い、近隣一体の情報が集まってる。茶の間のような美容院だが、お高い。

 

ウチはかなり出歩くので、ヨタヨタ歩きの母とわたしが手を繋いで歩いてたり、父が車椅子でディサービス送迎受けてたり、父の姿が見えなくなり母が車椅子になったり、年2回ペースで救急車呼んでたり‥

我が家の介護状況はダダ漏れだから、近所に推測拡散されてるが、噂の源はこの美容院だとわたしは踏んでる。(地域見守りがあり安心でもある)

 

母は社交の場として、この美容院に行くのを楽しみしている。

母「歩いて行く」

メマリーやめて歩行が安定したので、久々に手引きで歩いて連れて行った。

店主「あらあら、お姉ちゃんいつもありがとう。車椅子で良かったのに」

母「わたしが、見栄張りたかったのよー」

見栄!一時、そういう感覚すらなくなってた気がするけど、見栄って大事だよね。

 

店主「ところで、お父さんどう?」

目をキラキラして聞かれる。美容院は近隣ネタ(介護、医療、訃報)の宝庫。

 

父は、22年に車椅子になる前から、近所での立ち往生や転倒が多かった。

店前で転倒し血まみれになった父を惣菜屋が連れ帰ってくれたり、わたしが父を抱え歩けず往生してる時にカレー屋インド人が助けてくれたり、早朝に新聞取りに出て門扉で転倒してる父を発見しインターフォン連打で教えてもらったり‥キリがないほど近所に世話になった。

入所したての頃、顔だけは知ってる近所の人から「お父さん、最近ディサービスお迎えで見ないけど、どうしたの?」とよく聞かれた。

助けられているからイーブンだけど、無駄にネタを提供する必要もない。

「あーまぁ、大変です。ははっ」

誤魔化して退散し、カット後に母を迎えに行った。

 

すると母が、

「パパは病気なのよねー。でもあそこ(施設)病人多いのよ。あそこ行くと伝染りそうだから、行きたくないな」 

言い出した。カット中にどんな話で盛り上がったんだろうなぁ‥。

ショートスティに変なイメージつけないで欲しいけど、そこまで管理も出来ないし…。

 

その翌日は、母の仲良しであり、両親と一時同居してた母の友人に電話。

母「わたしは元気よー!でも旦那は病気でね。ありゃあ先は長くないかもね」

!!

昔の母は「亭主が死んだらいかに自由を満喫するか」を女友達とよく盛り上がってたから、そういうノリが戻った気がする。が、80代の今、言われたお友達は驚くよね。

「いや、まだまだそう言う段階ではないですよー」 

思わず、電話口で口を挟んでしまった。

 

以前のように、母とコミュニケーションが盛んに取れるのは嬉しいけど、忖度しまくってくれる介護職以外の人たちとのコミュニケーションの余波にドキドキする。

 

 

ところで、多動が加速するなら調整しなきゃならないから、ショートスティ先やディサービスにもメマリー断薬をシェアしてる。

昨日、ディサービススタッフさんから丁寧な返答があった。

  • (メマリー断薬の効果かは分からないけど)歩行も立ち上がりも非常に安定してきた。
  • トイレ誘導しなくても、自発的に「トイレ行く」と言うようになった。
  • 食事も咽せず、自分で食べるし、非常に良好。

 

足腰だけじゃなく、嚥下や腸の動きと言った「目に見えない部分」が改善したのはホントに謎。

メマリーなんて一般的な薬なのになぜ。

 

実は、訪看2回入れてもこの半年ほど、

「直腸に便が降りてこない。腸の動きが悪い」

と強固な便秘を指摘されていた母。マグネシウム調整してもなかなか排便コントロールが出来なかった。

それが、メマリー断薬後に2回目の下痢をしてる。

最初は大晦日にグラタン出したら下痢。

昨日、夕食にシチュー出したら下痢。

バイタルには問題なく、ただの下痢‥牛乳のクリーム系がダメなのかも…だけど、あんなに強固な便秘で困ってたのに。

 

看護師に「腸の動きが悪く便が降りてこない。先々腸の機能が心配」と言われ、暗澹たる気持ちになったけど(嚥下や腸の動きと言った「見えないエリア」は如何ともし難い)、便秘は結局、メマリーの副作用だったのか?????

調べるとメマリー、1~5%の副作用で便秘が出るらしい。

 

相変わらずメマリー断薬の効果かはわからないし、他の方にも共通するとは限らないけど、一応書いておく。

 

 

しかし、意思表示が明瞭になったのはいいけど、介護者からすると、叶えられない要望も増えるし、介護の方向性として悩む部分も増えた。

先ほど、ソファに座るわたしの横にぺったりくっ付いて、

母「このぐらいの傍にいたいの。独りは嫌」

あ、だから「小さな家で暮らそう」だったのか…。しかしくっ付きすぎ。

 

「…ねぇ例えばだけどさ、1人の部屋ってどう?」

母「いやよ。寂しいじゃない。もっと大勢がぎゅーぎゅーしておしゃべり出来るのがいい」

「でも、好きな人ばかりがぎゅーぎゅーしてるとは限らないけど、それでも?」

母「そりゃ、好きな人ばかりなんて都合のいいことは出来ないでしょ(どや顔)。喋る人なら、嫌いな人が混ざってたってしょうがないわよ」

すごい。大人だ。

 

そもそも当初、父は受け入れ施設がなかった。

多床型の特養と縁を持ち、父も母もショートから慣らして、父の入所に繋げたけど、当初から「父と母は同じ施設へ。ってことは多床型」を目指してた。

なぜなら、母は個室じゃ寂しくて死んでしまうから。(あと観察が好きな父も、実は多床型の方が向いてると踏んでた)

当時調べた時、有料の多床型タイプはなかった。ゆえに母も特養を狙うしかないんだけど…

 

母の主張を集約すると、

小さな家でわたしと2人で暮らす>>>>大人数でぎゅうぎゅうで暮らす。ただし無口な人は嫌&病人と一緒は嫌(母は施設入所を想定してないので、脳内では「自宅で大勢で暮らす」話)

って感じかな。

 

メマリー飲んで(?)ぼーっとしてくれていた方が、介護者が介護の選択をしやすいのかもな~。そっか、だから認知症薬ってあるのか~

なんて、今更気づいてみたりする。

 

母のアリセプトもメマリーも抜いてみれば、言ってることもやってること(徘徊・排泄)も、認知症初期とほぼ変わらない。

月末、MRIを撮りに行くけど、昨年?一昨年?の画像診断でも、

「脳の萎縮の変化もないですね」

との話だった。

当時は父も在宅で、父と母が絡まり合ってカオスだったので、

「え!萎縮進んでないのにコレ??」

と衝撃を受けたけど、めちゃくちゃゆる~い速度で低下する認知症タイプなのかも…

 

 

 

父の病状&メマリーをやめたら2

父の下肢の浮腫みがひどくて、先日は入浴中に皮膚が破れ、水が出てきたそうだ。

「バルーン?バルーン入れますか?」

スタッフさん「そういう話も出てはいますが、まだ僕らには決定で降りてきてないんです」

排尿困難ならバルーン一択だろうけど、悩ましいところなのかな‥

年末の面会では「体調はすこぶる良好」と言ってた父。

年始は「尻が痛い」と座位が取れず調子悪かった。

まだ様子見なのか。そもそも脱衣・脱オムツの父にバルーン出来るのか‥

 

 

ところで、わたしの作文が掲載された区の冊子が施設に届いたらしい。

chika05.hatenablog.com

 

「区から、当施設の感謝の声が選ばれたと連絡も来まして…。お名前はイニシャルでしたが、〇〇さん(わたし)というのは皆んなわかってるので、みんな喜んでましたよ」 

スタッフさんからお礼を言われた。

両親共に受け入れてくれたこの施設には、今だ感謝がたえない。

1階で面会してるだけでも、行き交うスタッフさん達が皆、両親に声をかけてハイタッチして行く。両親も「あっ!」とスタッフさんに声をかける。

本当に愛され、大事にしてもらってる。

 

だから、父の通院付き添いはキツイけど、まだまだこの施設で、父母が過ごせる時間を増やしたいんだけどなぁ。

 

母「えー何なに、何が載ったの?」

「いつもお父さんお母さんを大事にしてくれてありがとうって書いたわたしの作文が、区の冊子に載ったの」

母「へーそれは〇〇(わたし)の功績ね!」

功績!

相変わらずメマリー断ちしてる母は、トークスキルが磨かれまくってる。

 

スタッフさんから、「滞在中はお父さんと一緒に過ごし、おしゃべりしてましたよ」と申し送りされた母。

調子が悪い父と母がずっと過ごしてたわけだ。で、帰宅後早々に。

母「我々もそろそろ、そういう覚悟を決めなくちゃね。もうそういう年齢だからね」

  • 調子悪い父を見て母が何か感じたのか。  
  • 調子悪い父が、母に何が言ったのか。

突っ込む元気がなく、

「そうねーわたしももうそういう年齢だから、わかるー」

母「やだ!〇〇はまだまだよ!でね、もっと小さな家で暮らそうよ!」

ええ、そこ…。

 

12月は、

「こんなに面白いことを長々言うなんて!これが最後かも?」 

と動画を撮った。

 

chika05.hatenablog.com

 

リンク先は寝ぼけ半分。でも、今はめちゃくちゃ明瞭に饒舌。動画が増えてる。

かといって、

皆さん、メマリー断薬した方がいいですよ!

とは言い切れないのが、投薬調整の難しさ。

 

 

母「あそこ(施設)病人ばっかりなのよね。あんまりあそこにいると、お母さんにも伝染りそうで嫌だわ。もっと小さな家でふたりで暮らそう」

……この上から目線!これぞ母。

 

まぁ歩行困難で車椅子なのは変わらないし、脳の指示はうまくいかないからオムツだけど‥

あ、そういえば昨日、

母「トイレ行きたい」

「(オムツでしていいよと思いつつ)大?小?」

母「大!」

トイレに連れて行き便座に座らせたら立派な大が出た。大晦日から元旦はずっとオムツに下痢だったのに、

脳から大腸へ神経系等が繋がる瞬間を見た。

「わ、すごい!立派なうんち出た!お母さん、すごい!」

母「褒めてくれて嬉しいけど、恥ずかしいからやめてー」

 

メマリーなんて一般的な薬なのに、断薬でこういう変化が出るとは不思議。

 

メマリーをやめたら

先月、医師に相談してメマリーを断薬してみた。

メマリー半減期は55.3〜71.3時間。

昨日で1週間の断薬。

 

介護者を苦しめる周辺症状。しかし、

認知症周辺症状ではなく、投薬副作用では‥?」

と思い始めたのは、在宅介護後に入所して、落ち着いた父を見てから。 

 

2022年、認知症「急性期」から始まり、精神病院にすら断られた父の在宅介護中は、父に釣られ母もおかしくなるし本当に地獄だった。

投薬調整しなきゃショートスティすら繋げられないと言われ、ドネペジル、クエチアピン、リスパダール‥あの時期、医師に相談しながら各種試した。

でも睡眠導入剤だけは躊躇した。

夜間にベッドから降りて裸になり糞便を撒き散らす父に睡眠導入剤を飲ませたら、転倒リスクが上がる。

今なら、

抗精神病薬投入するなら、眠剤も試してよかったのでは?」

と思うけど、当時は本当に右も左もわからない中で余裕がなく、視点の切り替えができなかった。

 

入所した施設は、真っ先にリスパダール断薬し、クエチアピンも減薬。代わりに睡眠導入剤を加え微調整し続けてくれてる。

父の身体はリンパ転移、下肢浮腫など油断はできないけど、認知面での父は脳トレの計算がめちゃ早いくらい回復した。

 

となると‥母も減薬してみたらいいんじゃないか? 

そもそもメマリー飲ませてるのに、多動治らないし。

でも急に断薬するのも怖いなーと医師に相談したら、

「娘さんの判断で大丈夫ですよ。断薬しても、頓用にしても」

「ご家族の判断で、認知症薬使わず過ごすことを選ぶのもありです」

あっさり言われた。

 

で、減薬してみたら‥

 

  • 母のトークが復活した!ツッコミのキレも戻った!
  • 易刺激性もだいぶ治った!
  • テレビと現実の境界線が曖昧だったのが治った!
  • だがしかし、多動は復活‥?
  • 昨日はついに、階段ガードを破壊し2階に登頂した。(それだけ足腰がしっかりしたとも言う)
  • 断薬1日目も2階に登頂し、階段上で立ち往生してたのを背負って降りたけど、昨日は自分で階段降りた。

 

上記全てが、メマリー断薬が功を奏したのかは分からない。

ただの波かもしれない。

でもコレがなくなったのは大きいよ‥。てかなぜ鎮静系のメマリー断薬で易刺激性がなくなるのか謎。

https://chika05.hatenablog.com/entry/2023/11/29/124342

 

テレビを見たり散歩しながら、母と「あーじゃない、こーじゃない」と対話する時間が復活したのはめちゃくちゃ嬉しい。

年末年始ずっと一緒に過ごし、テレビで、

♩みーかんーのはーなが、さーいてーいるー

って曲が流れた時、うろ覚えのわたしが歌ってたら、母はフルコーラス歌い切った。

「お母さんすごい!歌詞を全部覚えてるの?」

母「そりゃ覚えてるわよ。みーかんーのはーなが♩」

ほぉほぉ。

 

薬は諸刃の剣なんだなぁ。

 

ちなみに一昨日はわたしの仕事都合で、朝から昼までクエチアピンも断薬してみた。すると‥

めちゃくちゃクレバーな母が戻ってきた。クエチアピン、おまえか??

 

ただやはり、不穏スイッチが入ると興奮し、階段、徘徊が危ないから鎮静系全てを断薬するのは悩ましい。

以前、アリセプト断薬した後に歩行がすごく安定して、

アリセプトの副作用で歩行困難だったの?」

と思った‥けど、しばらくしたらまた歩行困難が出てきたから、メマリー断薬後に足腰の力が戻ったと言っても、それが継続するとも限らない。

副作用以外に、加齢や、母は特に脳卒中後遺症による右半身の弱さなど、さまざまな要因があるんだろう。

 

だから「🟰メマリーやめたら良かった」という短絡的な主旨ではないけど‥

実際に、認知症薬を断薬した介護家族のブログが見つからなかったので、断薬したい誰かの参考になればいいなと思う。

 

ただ、この断薬は年末年始(わたしが母に張り付いて介護出来る)だから出来たことで、今後も継続出来るかはなんとも言えないんだな〜。

 

ちなみに昨日、母のショートスティを兄と送りに行った。

兄が車椅子を押し、ガタつく道で母を気遣った時、

母「大丈夫よ!〇〇(わたし)はいつももっとガタガタするから!」「〇〇は全然気にしないの。わたしもそんなこと気にしないから謝らなくて大丈夫!」「こんなの揺れたうちに入らないわ」

「ちょっと!確かにそうだけど!」

わたしが歩きながら爆笑してると、

母「こういう笑える話が受けるのよ〜」

母らしさ満開で、笑いが止まらなかった。

 

いや本当、兄の車椅子はいつもとても丁寧だと思う。

わたしは、玄関の階段から母を上げ下ろししてるし、基本1日1回は母を乗せて、坂道夜道だろうが車椅子を走らせてるので、かなりアバウトかもしれない。

自分でも自覚してたから、母のツッコミの正確さがツボに入った。

メマリー飲んでると、こういうキレのある会話がないんだよな‥。

 

 

認知症の持ち直し

先日、スタッフさんからサンタコスした父の写真を貰った。

微妙に戸惑い顔だけど、ピースしてる父。

父「俺、困った顔してるな‥」

そりゃ、父がサンタコスしたのは人生初だからねぇ。

自宅にいたらそんな機会は一生なかっただろうし。

本人のコメントに笑った。

 

みんなに言われるけど、父は入所後の方が色艶がいい。

1年前に比べ、嚥下障害やガン転移など身体的には色々進んだし、食べられる物は減った。

けど、自宅で認知症同士の父母がすれ違い混乱し合ってた頃に比べ、全然よい顔つきになった。

もちろん、施設のケアが行き届いてるのもある。

誕生日やクリスマスなどイベントがあったり、母が出入りし一緒に過ごしたり、わたしや兄が頻繁に会いに行ったり‥刺激が適度にあるのも良いんだろう。

 

自宅でも介護サービスはフル活用だけど、週4回のディサービスのために、わたしが1人で父と母を介護ベッドから起こし、オムツと排泄処理、食事に着替え‥

介護者に余裕がないと、被介護者への影響はやはり多大なのかも。

と振り返れるのは、今だから。

当時は「絶対に家にいる(施設は嫌)!!!!」と言い張る両親を抱え、わたしも目の前のことしか見えなかった。

アレはアレで本当によく頑張ったよ、自分…。

 

 

そんな母、今日も往診日。

母もまた、親戚友人みんなから「膚艶いい!」と褒められる。

そして、以前は出来なくなっていた「体温を測る」行為が、最近できるようになってきた。

М先生「へぇ。出来るようになったんですか!お母さんすごいですね。僕との受け答えもばっちりですしね」

母「うふふ~褒められた!」

 

へぇ。先生もそう思うんだ。ちょっと気になってたことを聴いてみた。

 

「最近、会話がいい感じなんですよね。もしかしてメマリー(認知症薬)減らした方が、一層よくなるのかなと思ったりするんですけど」

М先生「そうですね。娘さんの判断で減らしていいですよ」

減らしてみようかな…悩むけど…。

この頃から、母がちょっと変化した気がする。

 

chika05.hatenablog.com

 

認知症は治る病気ではないけども、父も母も、今はやや回復期なのかもしれない。

歩行困難やオムツは改善しないにしても、「母が母らしく」生きられる方向を選んでいけたらいいな。

 

М先生「でも娘さんが倒れないようにしてくださいよ」

そう。そこ…それなのよね…

 

 

 

罪悪感を降ろしたい

今日からショートスティの母。父とは別フロア。

朝は傾眠。

「起きる?起きないの?朝ごはんできるよ?」

母「うーん、まだ起きない」

今日はゴミの日。どうせまたオムツゴミは出るけど、できれば母が今つけてるオムツまで捨てたい。

 

身体を起こし、オムツを替えるために体勢を変えたらジャー!と勢いよくベッドと床に尿が飛び散る。

もうこんなの日常茶飯すぎて動じなくなった。

 

「今日は午後からお泊まりだよ♩」

極力楽しいムードで母をその気にさせる。

母「あら、じゃあ寝てる場合じゃないわね」

いや迎えは午後なんで。今は9時だから大丈夫ですけど‥。

母「あれよね、パパがいるとこ」

お、覚えてた!しかし残念‥パパとは違うフロアなんだよ‥。それは言わない。

 

で、午後。

迎車の時間に合わせオムツを替え、着替えさせていると、

母「今日はうちにいるのよね?眠くなってきた」

出たよ‥拒否反応。泣きたくなる瞬間。

「ん〜でもホラ、出かけるって言ったでしょ?お友達が大勢いるとこに行くよ」

淡々と着替えさる。

 

  • この家は〇〇(母)と△(わたし)の2人暮らし。
  • でもそれじゃ寂しいから、時々お友達がいる楽しい場所へお泊まりに行く。(父と同フロアの時は「パパがいるとこに泊まりに行く」)

と日々刷り込み、功を奏してる部分もあるけど、やっぱり家が好きな母は時にゴネる。ゴネまくる。最近多い。

 

これを丸め込まずに送り出すと、帰宅願望が高まり、以前はスタッフさんを殴ったり、死ぬ死ぬと騒いだ前科がある。

chika05.hatenablog.com

 

どうすればショートを嫌がる時に丸めこめるかを試行錯誤し、

「楽しい場所だよ!お泊まり、良かったね!」

モードに切り替えたけど、わたしのテンションがつらい。

父と同じフロアなら「でもお父さんが会いたがってるよ。お土産待ってるよ」と丸め込むのが有効だけど、今回のようにそれが出来ない時は気を散らすしかない

 

「お、今日は可愛いカッコになったね!」「髪型決まってるー」

テンション上げつつ車椅子を玄関に。靴を履かせて迎車のタイミングに合わせ段差を降ろす。

毎日のディサービスもだけど、タイミングがズレるとゴネ始めるから、めちゃくちゃ神経使う。

 

迎車の横でスタッフさんに車椅子を委ね、わたしが後部座席に座り、母が車椅子で背面から上がって来るのを迎える。

その間、母と離れるのは10秒ほど。

前回は「行きたくない」とゴネた直後、迎車の後部座席で迎えたわたしを見て、

母「知らない人がいる!こんな場所にいられない!」

と言い放った。

知らない人‥10分前にオムツ替えて着替えさせ、10秒前に離れただけの娘に、知らない人‥。メンタルが抉れる。

今日は、

母「あら、またすぐ〇〇(わたし)に会えてよかったわー」

 

どっちもつらいな!!!!と今日思った。

 

もはや排泄処理より、こういう小さな罪悪感がメンタルを疲労させる。

ショート拒否の被介護者がいる家族には、ケアマネが、

「心を鬼にして送り出してください」

と言うこともあるらしい。

鬼まで行かずとも、せっかく慣れさせた施設だし、わたしは罪悪感を飲み下し使うけど‥

スタッフさんに引き継ぎし、薬と荷物を渡して母と別れた時の、母の不安そうな顔が頭から離れない。

そろそろ1年通ってる施設じゃん!わたしが死んでしまう。拒否しないで! 

と頭では思うけど、気持ちはまた別問題だ。

 

 

高級老人ホーム受付スタッフ(介護士ではない)をやってる友人がいる。

友人「毎日毎日、受付て"家に帰りたいんだ!"ってゴネるおばあさんが数人いるよ。スタッフ(介護士)呼ぶしかできないんだけど」

という話の流れで、

「そのドアからは、死なない限り出れないよ!って言いそうになる」

と言ってた。もちろん入所金2000万払ってる利用者さんには言わないし、有料ホームは介護度が低い非認知症の利用者も多く、自力歩行で散歩行く人もいる。だから友人同士の軽口。

 

だけど認知症家族を背負ったわたしとしては、

死なない限り出られない。という言葉は重い。

 

実際は、入居した父も病院行ったり、兄と散歩したりで外に出てる。

母に至ってはショート利用しつつ、父との面会や差し入れにも来てるから、

「しょっちゅう出入りしてる施設」

なんだけど、本人の意思ではなく、全てわたしが選択しているから、当人的には「一度入れば、自由には出られない牢屋」に近いのかもしれない。

 

多くの介護家族が悩むんだろうけどね。悩むよね。

親戚や介護の先輩方は、

「罪悪感、感じちゃだめよ!」「あなた自身を大事に!」

と言ってくれる。

頭でも「共倒れは絶対に避けねば」とわかってるし、母もノリノリで行く時もある。けど、拒否されて悲しい顔をされるとホントにツラい。

 

この罪悪感から逃げるにはどうすればいいんだろうな。