今日は肺のレントゲン撮ってるはず。もしかして鼻の酸素取れてるんじゃ…?
期待して、このクソ暑中母を連れて父の病院へ。
鼻酸素はそのまま。父は全く変化なし。はぁぁぁ~
今週の金曜日から、また母のショートスティ送りで施設へ行く。
体裁的に、その時に進捗を言いたい。
理想は「肺はもう問題ないようです!膀胱がんも生研結果としてはとりあえず様子見で大丈夫そうです!」と言いたい(妄想)。
わたしの気持ちも知らず、相変わらず無言の父。
他の方のベッドを覗いてはアレコレ言い出す母。
母「あらぁ~みんな静かに寝てるのねぇ~(クソでか声)」
アルツハイマーの特質なのか、母の注意欠陥振りはADHDレベル。
飯を食ってても、道を歩いてても、とにかく気が散り失敗する。
毎回の面会時も、父以外が気になって仕方ない母。しかし今日はひと際ヒドイ。
「おまえこのクソ暑い中、連日なにしに病院来てると思ってんだよ。おまえの旦那の見舞いだよ。パパの見舞いに来てんだよ。よそのベッドを見るな。パパを見ろ!(超低音ボイス)」
看護師が来たら、肺のエックス線結果を聴こうと思うも誰も来ない。
「いい?ここ(ベッドの柵)に掴まって、よそ見せずにあんたのパパを見てなさい。わたしは看護師探しに行くから」
母を置き去りに看護師を探す。
結果、医師が外来でまだエックス線の診断は出てないことが判明。
「今週金曜日施設に行くので、出来れば木曜日までにさっくりとした状況を聴きたいんですけど。あ、先生忙しかったら、どなたでもいいです」
看護師「すみません、病状に関しては医師からしかお話しできないんですよ」
へぇ。そうなんだ。
看護師「施設、待ってもらうにも期限がありますものね。わかります。お電話でもいいですか?」
「電話でも何でもいいです。とりあえずサクッと施設に報告できればいいので」
一応、施設はマックス3か月は(お金を払えば)押さえてもらえる。
が、施設からすれば入居料は徴収できるけど、介護報酬は入らない状況。施設によっては3か月待たずに退去を促すところもあるらしい。
わたしが母のショート送迎で施設に出入りしてる以上、
「面会は行ってるけど、説明がなくわかりません」よりは、
「今、こんな感じです。ちなみにわたし的には施設戻したいんで!!!」
と熱意をアピールするに越したことはない。
こういう草の根運動で優遇してもらった特養なのに、たった1か月で病院って、ホント疲れる。
で、タクシーで帰宅後、母を近所にある行きつけの美容院へ。
カットし終えたら電話をもらい、迎えに行く仕組み。
帰宅して17時過ぎ。
母は8時半からディサービス。15時過ぎに帰宅し、わたしと手を繋ぎ父の面会に(往復タクシーだが)。そのままわたしの送迎付きで美容院。
84歳、充実してる1日だと思うんだけど、やっぱり夕方不穏は始まる…しんどい。疲れた。
最近の母、TVすら見れないというか、TVの情報とリアルが常に混在してる。
更に、窓の外の景色とリビングも混在する。
母「ねぇ。あの草はウチの?それともウチじゃないの?」
リビングの外、ウチの敷地内の雑草にスイッチオンする母。
「あれはウチの雑草。その奥は隣の家の雑草」
この会話を10回以上繰り返す。
ちなみにウチは、母の認知症が悪化する前から、母の友人Aさんの娘婿(植木屋)に年2回剪定&雑草処理に来てもらっている。
元々は母がAさんに頼んでいた。
しかし認知症が悪化し、雑草が生い茂り(Aさんに植木頼みなよ!と言っても、一向に頼まない)、ついには毛虫が発生。
母の仕事、ましてや母の友人関係かつ年2回の仕事を奪いたくないし。
なにより、なぜか我が家は「頼んだ人が金を払う」仕組み。
ゆえに薄目で見てたけど、毛虫発生で音を上げたわたしが年2回、Aさんに手配しており、現在も手配中。
母「ねぇあの雑草はウチの領分なんじゃないかしら…(20回目)」
「ああもううるせぇな!!気になるんなら雑草抜きに行けば?ただ、あんたが今見てるだけがウチの雑草じゃないから。家の周りぐるりと雑草あるから。だからウチは年2回、あんたの友達のAさんの娘婿を頼んでるの。昔はあんた頼んでたよね?でも今はあんたそれも出来ないの。だからわたしが頼んでわたしが金払ってんの。たまたま目ぇ向けたからって、いきなり雑草にフォーカスすんなや。雑草に限らず、朝昼晩の食事、洗濯、掃除、全部"今、気になる"だけじゃどうしょうもねーんだよ。継続的・全体的に考えろ。今だけじゃ成り立たねぇんだよ。それが出来ないなら考えるな!!!あの雑草は今、急に生えたわけじゃない。昨日も一昨日もずっと生えとるわ!!!!」
母「じゃあ抜きに行ってくるね」
ちーん。
どうせカギを開けられないので、放置して夕食を作る。
母「パパはいつ帰ってくるのかしら」
「おめぇのパパは病院にいただろ。入院中だっつーの」
母「あら、そうなの。じゃあ他の人は?」
「てめ、300回くらい言ってるけど、この家は○○(母の名)と○○(わたし)の2人暮らし。わたしが毎日毎日作ってる食事は2人分!他の人なんざいません」
母「(あまりに毎日会話をしてるので)そう?そういえばそう言ってたわね。でも、わたしはいつかもっと人が増えると思ってるの」
「おまえは掃除洗濯食事作り、何1つせんと妄想世界に生きてっからいいけど、その大量な人の飯や洗濯誰がやんの??わたしか?え?増えねぇよ。おまえは認知症だから全部忘れんだろうけど、もう何年も同じ話してる。家族はこれ以上増えねぇよ!」
この湿度と気温だけで気力体力削られてるのに、ホントに疲れる。
よく認知症の対応で、
「決して否定しない、怒らない」とか「聞き流す」とかあるけども。
18年当初、わたしもそれを意識づけてたことがあった。
あったけど、仮に「そうね、そのうち家族増えるかもね」とか「お母さん(祖母)、今日は帰ってこないよ」など、母に合わせるとする。
しかし家族は増えないし、お母さんは帰ってこない。すると、
母「さっきはまるでお母さんが生きてるかのようなこと言っておいて、騙したな!」
と母の不信感が募るだけ。
実際、「騙されてる」妄想に囚われてた時期もあった。
その頃、父の認知症もスパークしてたこともあり、わたしはもう、
立石に水のごとく、彼女(または彼)のおかれた現状を伝える
方法に切り替えた。
でもそれも疲れる。喋るのも疲れる。
でも我が家が置かれた現状を処理して飲み込み、わたしに妄言を問いかけ続ける母を否定せず飲み込み‥なんてことを独りでつづけたら、わたしが壊れてしまう。