畳にアイロン

今日の父。

面会に行き、わたしと母があーだこーだ言うも無言で過ごすのは通常運転。

しかし今日は一言。

父「そういえば、ずいぶん家に帰ってないなぁ」

 

今、それ?(笑)

 

5月3日のショートスティから特養入所、6月12日に救急病院入院。

約2か月、家には帰ってないねぇ~。

 

父は相変わらずナースステーション直結の男女混合部屋。

口からの酸素は外れてるけど、鼻からの酸素は装着のまま。

点滴は…先日は外れていて「点滴不要になった?」と思ったけど、今日はついてた。

明日で入院3週間。

このままだと特養費用、入所中より不在(入院中)時の支払い期間の方が長くなりそう…。

家には帰れませんけど、早く特養に帰ろうよ…。

 

 

父が入院中の記憶は秒で失念するけど、潜在的には何かを察知してるのか、先ほど母が、

母「もうそろそろお正月よね~」

「このクソ暑いのにお正月?あと半年あるよ。正月って真冬だよ。今はこれから真夏だよ」

母「だって遺骨があるじゃない」

「誰の遺骨?」

という会話があった。

わたし自身、今すぐどうこうはなくても「父は来年の正月には生きてないだろうな」とは思ってる。が、母もそう思ってるのかな。

 

 

そんな母の昨夜。

夕食後に鎮静剤を飲ませ、自室に連れて行き、オムツを替えパジャマを着せるルーティンをこなし、

「明日は(ディサービス)おやすみ。ごゆっくり」

と寝かせた。

 

刺激するから、母を二階の自室に送り込んだ後は階段や玄関の電気を消す。

で、21時頃。

わたしが仕事場から2階に上がると、真っ暗な和室の畳にぺったり座り、アイロンをかける母。

幸いにしてコンセントにコードは挿してない。

「なにしてんの?」

母「大変なことが起きたのよ」

おまえの頭が大変だよ!!!!

 

一時、仏壇の線香に執着して火事寸前だった。

 

chika05.hatenablog.com

 

しかし最近、火の気を扱える遂行能力もないから、油断してたよ…。

 

 

昨日の昼間は午前中から、母の友達が2人遊びに来てくれた。

「あなた、今日は(ディサービスは)休み。出かけません。でもAさんBさんが遊びくるよ」

母「そうなの。じゃあわたしは出かけるね」

なんでだよ。じゃあってなんだよ。

て会話を朝からエンドレスリピート。

 

AさんBさんが来てからも、

母「久しぶりねー(実際はよく遊びに来てくれてる)!じゃあわたしは仕事に行くね」

AさんBさん「やだぁ。わたしたちあなたの友達なのに、行かないでー」

AさんBさんは母と同世代。母と違い旦那や義理親の介護経験がある。

自分達の娘と同世代のわたしが、両親の介護で人生削られてるのを気の毒がって足繁く遊びに来てくれてる。

母「でもわたし、あそこに行かないと。あとは娘に任せるから。あら?娘がいないわ」

目の前にわたしがいるのに、娘を探しに外へ出用とする母。Bさんが玄関で母を宥める間に、

Aさん「毎日これ?堪んないわね…」

ええ、堪りません。

 

以前なら、家に誰かが来たりして刺激が入れば徘徊、不穏が収まったりしてた。

でももう不穏スイッチ解除法が見当たらない。

 

14時まで2人がお話し相手になってくれて、その後16時半から訪看。

そんな風に、母を孤独に(暇に)させないようにしても、不穏も徘徊も止まらない。

 

畳にアイロンを押し付けながら、

母「これをあそこに持って行かなきゃならないの」

 「あれとか、あそことか、彼とか、全部あんたの妄想。妄想じゃないならあそこってどこ」 

母「あそこよ。ケーブルテレビ」

なぜかいきなり固有名詞。しかしケーブルテレビとアイロンは無関係! 

「アイロン🟰電気を使う」

程度の認識から連想したのか?

 

父を入所させて以来、お金やコネをフルで使って母の心の隙間を埋めている。

極力独りの時間を作らないように、仕事を削り極力わたしもリビングに一緒にいる。

 

でも母の記憶には残らない。

残らないから不穏も奇行徘徊作話も全く収まらない。

 

と思ってたけど、父が衰退していく姿が意外とダメージなのか???

母本人が自分の年齢を認知していれば(84歳)、伴侶も自分の年齢的に致し方ないことと諦める部分もあるだろうけど、母自身が自分をもっと若いと思ってるからな…。

 

でもこればかりは仕方ないからねぇ。