今日、父を退院させ施設に戻した。
それは別でまとめるとして、昨夜の母。
寝かせる前にリハパン交換してたら、途中で放尿。汚れたパジャマなどを洗濯機に突っ込んだ。
最近、排泄問題と夜の徘徊がヒドイ。
昨夜は0時前からギシッギシッ(母が手すりにすがり、真っ暗な階段を下りる音)。
速攻「徘徊すんなー!冷房の効いた自分の部屋のベッドにいろー!」と制圧するけど、わたしもこの数年、夏はホントに体調が悪い。もう放置することに。
0時から1時頃まで、母の「ギシッギシッ」が続いた。
で、今朝。
7時半に起きてきた母。
すでにパジャマに盛大に漏らしてる。昨夜のパジャマと合わせて洗濯。となると母に履かせるズボンがない(2階に取りに行けばある)。
今日はディサービスもないし、まぁしばしパンツのままでいいか。
Tシャツ&リハパンのまま朝食を食べ終え、また2階に上がる母。
「(昨夜徘徊してたし)また寝るの?寝るならお母さんの部屋に冷房入れるけど」
母「寝る」
2階に冷房を入れ、1階リビングの冷房を切る。
こうして母の自室とリビングの冷房を管理してるけど、この猛暑にエアコンのリモコンも使えない親と暮らしてるとコレが地味に大変。
ゴミを出し、仕事を1つ片付け、カンカン照りの中歩いて病院へ。
病院から施設に行き、申し送りをして父を預け、真昼間の太陽の下汗だくで帰宅。
すると、母が冷房も電気もついてない1階リビングに座ってる。
(昼夜問わず、母は熱中症を避けるために空調管理してる部屋を抜け出し、一人で使用してない真っ暗な和室に転がってたりする)
「だぁかぁらぁ、電気ついてない部屋は冷房も効いてないんだから!なんで2階から飛び出してくんのよ」
ソファを見ると、母が2階で使用してる夏掛け。
こんなものをもって2階から階段を降りて来たのか。自殺行為だな。
で、よくよく母を見ると。
そういえばTシャツとリハパンだけだった母の、リハパン背中側がウンコ塗れ。
Tシャツの背中もウンコ塗れ。
炎天下帰宅し、冷たいお茶1杯補給する暇もないウンコテロ。
「人がクソ暑い中、あんたの旦那を退院させて施設に頭下げてきたのに、なんであんたはウンコ塗れなわけ?」
母「ええ~ウンコ?何言ってるの?」
「触るな!!!!!!「
なぜ。ホントになぜ認知症者はウンコやおしっこを触りまくるのか!!!!
待てよ。1階に下ろした夏掛けもウンコ被害か。ぅてことはベッドもウンコか。
2階の母の部屋に行くと案の定、ベッドがウンコ塗れだった。
てことは階段の手すりからドアノブまでウンコつけて動いてるな。熱中症と介護疲労で倒れそう。
母のクソ塗れの身体を拭き、リハパンを替え、手すりやドアノブを除菌する。
捨てれるものは捨て、洗わねば足りない肌着のウンコを手洗い。
そういえば!
と母の手の爪を見ると、また爪の間までクソが詰まってる。
暑さでクラクラしながら、母の爪の間のクソを落とす。
一応のぞいた1階トイレも、やはりクソ塗れ。とりあえず見なかったことにした。
母「ねぇ、お昼ご飯は?」
…わたしは朝飯も食わず、おまえのシモの世話、シモの大量なゴミの処理、洗濯、おまえの旦那の退院手続きと施設、そしておまえのクソの始末に追われてんだよ。
13時過ぎ、遅めの昼食。
その後、脱水か?ナトリウム不足か?ストレスか?わたしの頭痛と吐き気がとまらない。仕事場の床に倒れる。
営業もかけなきゃいかん。インボイス導入どうしようか。そういえば父の入院保険も請求しなきゃだなぁ…でも頭が割れそうに痛い。
昨年の夏も、よく仕事場の床に倒れてたなぁ…
今年の頭「昨年のような夏はもう越せない。わたしが死ぬ」と思い、なにがなんでも父を入所させようと決めた。
夏の今は「今年のような夏はもう越せない。来年の夏までに母も入所だ」と心に決めたぞ。はい、根回し始めよう。
夕方、嘔吐と戦うわたしを他所に、ガチャガチャと玄関を開ける母。
ちなみに昨日、わたしが仕事中に来たヘルパーさんいわく、「お母さん、玄関の鍵が開けられず…窓から入りました」。
でも今日はチェーンも上下の鍵も突破しやがった。
こういう認知症の「ムラ」がまた疲れるんだよ。
「おら。そこのばばぁ。徘徊すんな。わたしは具合が悪いんだよ。同じこと言わせんな」
母を回収し、また床に倒れる。
もちろんまたガチャガチャ。数回繰り返す。
ホント排泄問題と徘徊、キツイって。
母「ねぇ晩御飯は?」
84歳にして、この猛暑に食欲旺盛な母。わたしはもう3日くらい絶食でもいいレベルなんだが。わたしの方が先に死ぬわ!って去年の夏も父と母へ思ったなぁ…
で、夜。
叔母(父の妹)から電話があった。
ずっと父の兄弟に「入所した」旨を知らせようと思ってたけど、先延ばしになっていた。
そのまま「危篤」まで言われたし、とりあえず暑中見舞いにかこつけて「入所のお知らせ」を送っていた。
叔母はかなり足が悪いが、他県で一人暮らし。
叔母「まさか兄貴がボケるとはねぇ…。お母さんの方はね、以前から電話してもだいぶねぇ…」
そうですね。19年に母の認知症診断を受けましたが、父はあっという間に追い抜きまして。
叔母「○○ちゃん(わたしの名)、立派になってねぇ」
叔母は会うたびに、高校生の頃のわたしが髪を真っ赤に染めてブイブイ(笑)言わせてた頃の話をする。だからまさか両親の介護をするとは思わなかったんだろう。
しかし叔母、1人暮らしなのにものすごく頭がしっかりしてる。
週に4回はジム通い。足が悪く電車に乗れず歩行も問題あり、車は死活問題らしい。
が、わたしが従弟(子供)なら絶対に免許返上させる!
な~んて他人だから思うけど、親を独居で住まわせてる以上、地方暮らしで車ナシは難しいんだろうな…。
食事も栄養を考えて、自分で作ってるらしい。
父の認知症、祖父も最期はレビー小体型認知症っぽかった(妄想がね)ので、遺伝性?と思ってたけど、叔母を見てるとそんなことない気もしてきた。
じゃあ父はなんでレビー小体型認知症になりやがったんだよ(怒)!って話だけど。
認知症、ストレスや孤独から発症することもあるという。
でも「加齢のボケでは収まらないレベルで、異様な言動をしはじめた」だけで、認知症になったのはもっと前だった可能性もある。
なぜなら叔母は、長年闘病してた叔父を看取っただけでなく、娘(わたしの従妹)も自死で亡くしてる。ストレスレベルは父母の比ではない。
ご本人も足が不自由で独居してる。でも、認知症じゃない。
わたしの友人たちの親も、1年の間に旦那と息子をガンで亡くしても認知症になってない母親もいる。長らく精神疾患があり入退院を繰り返しつつ認知症にはなってない母親もいる。
どちらもディサービスやヘルパーは入れてないので、日中は独居。
5月までは常に夫婦で行動を共にし、衣食住衛生管理はすべてわたしがやっていたのに、まんまと揃って認知症になったウチの両親との違いはなんだろう。
あんまり「元気な高齢者も大勢いるのに、なぜうちの親が認知症に(わたしの場合は、なぜ両親揃って…だけど)?」とは考えないタイプだけど、
なんの違いだろうな???
と考えてしまった叔母との電話だった。