認知症と希死念慮・その4「川へ死にに行く」

9月、2回自死しに川へ行った母。

わたし自身は、認知症の周辺症状が強く出始めてるのか。

と推測。

なるべく母の部屋にも出入りするようにしました。その数日後…

ビニール袋でコーティングされた自筆の氏名&名前の紙を発見

1日目は見ぬふりを(笑)

2日目、「ねぇもう川に飛び込むのは止めたんじゃないの?コレ、水に濡れても文字が読めるようにビニールで包んだの?」聴いてしまいました^^;

 

「だって~遺体ぐらい家に帰りたいじゃない」

いやいや泳げるから川で自殺は無理だって、自分で納得したんでしょ?

「でもお守りみたいなものだから」

なるほど。お守りね…。

 

翌週、認知症の通院日だったのでそこで先生に相談しよう、と一旦引いたわたし。しかし、引くに引けない状況がやってきます。

 

母は脳卒中で倒れて以降、リハビリメイン・半日のデイサービスへ10年以上通ってます。

(今年の7月頃から「行きたくない」と言い出し、9月によくよく理由を聴くと「指示された運動が出来ない」という段階に来ていたようなので、現在は11月から別のデイサービスへ行くことに)

そのデイサービスから帰宅した母、

「○○(施設担当者)に心配されちゃった」

「なんで?」

「日記に、死にたいって書いたから」

 

!!!!!!!

 

デイサービスから渡されている日記には、

「天気が悪い日が続く。もう死んじゃいたい」

と書いてあります。ちょうど2回目に川に行った日でした。

 

「もう死なないことにしたんじゃないの?」

「でも、日記書いたときは死にたかったから」

けろっとして言う母。デイサービスの方にも申し訳ないので、とりあえずケアマネさんに電話。

さすがに、デイサービス側からケアマネさんに連絡が行ってました。

 

2回、川に行ったこと。その後ビニールコーティングした自筆の紙も作ってること。

今のデイサービスには問題ないけど、本人はもう行きたくないこと。

などを伝え、近所で別のデイサービスを探してもらうことに。

 

わたしが母に聞き取ったこと、デイサービスの人に母が言ったことを総合すると、

  • 近所に友達がいない
  • 寂しい・孤独感

が大きな問題らしい。

 

まぁ元々イケイケで友達が多く、その反面人の好き嫌いも多く…

認知症になってからは特に、好ましくない人間関係は自分で切ってしまってたし、なにより新型コロナの問題もあり、母の交友関係は今ほぼない状態です。

といって「誰とでもいいから仲良くしたい」タイプでもないし、認知症も相まってそういう器用さは皆無。

遠方から遊びに来てくれる友達はいるけれど、日々、ふとつまらなくなった時に遊びに行けるような場所がない。

  • コロナの影響は多大
  • 友人たちも高齢化で亡くなったり施設に入ったりしてる
  • 自分自身が切ってる関係も多大

なんですけど、そんな理屈は通用しない。ようは社会的交流や役割が皆無で空しいのかな。ただ「家族」がどうこう出来る話でもないわけで…

 

とりあえず近所の1日型デイサービスに行くことで改善を期待。

 

 

で、この騒動を認知症の医師に話したんですよね。

わたしとしては、

周辺症状で抑うつですね(でも普段は元気なんですけどね)とか、安定剤…までは行かずとも不安を軽減する漢方とか、何か具体的手段があるのでは?と考えてたんですけど、母の行為を話したら医師の顔色が変わりました。

 

自分たちの役割は患者のクオリティ・オブ・ライフを維持することであり、その責任がある。

もし患者が自分の命を絶つ行動に出ているのであれば、それは見過ごせない。

本来は本人の同意がないと入院はできないけれど、この状況なら家族が一致すれば入院させられる。

 

とのことでした…。

 

え、入院!!??

今、入院させたら認知症めちゃ悪化するんじゃないか??

あと、祖母からの自死の連鎖話したよね?これはもう性格的な問題じゃないのかな。退院した時どうなってるわけ???

 

母は入院と言われ「え~」とニヤニヤしてます。(おい)

わたしも「今の時点で入院は考えてないんですけど…」というしかない。

 

ただ医師の言葉で、

「自分が死を選ぶことで、残された家族がどんな思いをするか、それが分からないのはよくないですね」

という主旨の言葉があり、はじめてわたしも、

そうだよ!わたしの立場は?

 

下手に自殺の話を出すとスイッチが入りかねないので、こちらから自殺の話は出さなかったのですが、帰りの電車の中で、

祖母が「死にたい死にたい」って言って「そんなこと言わないで…」となだめていた小学生時代。結果自死

今になり、母が「死にたい死にたい」って言って「そんなこと言わないで…」となだめ、結果自死をしたら。

どんな呪いだよ。

と、「わたしの」意見をはじめて言いました。

 

正直言うと、わたし「個人」の価値観でいえば母の気持ちはすごくわかる。

  • 今まで出来てたことが日々できなくなる。
  • 何をやっても楽しくない。
  • 未来へ期待も希望も成長も望めない。
  • このまま朽ち果てるのを待つなら、自分で…

母もわたしも祖母が自死したパターンを見ているし、倫理的な是非はさておき祖母を否定したくないバイアスもあるのか、祖母・母・わたしは同じ価値観。

ましてや認知症の初期~中期にいる母が、生と死の間で揺れ動き、タナトスに向かって集中してしまうのもよくわかる。

 

ただ、そんな祖母の「孫」であり、母の「娘」であるわたしとしてはやはり…

祖母も母も自死で亡くすのは受け入れがたいし、わたし自身の最期への選択肢に自死がかなり大きなパーセンテージを占めてしまいそうな漠然とした不安もある。

 

 

ただ、「娘」としてのわたしの話をしたら、母は、

「じゃあ、わたしは周りの人のために生きなきゃならないわけ?」

とか言いやがった。

これもまぁ気持ちは分かりますよ…。それで頑張れる人もいるけど、母はそうじゃないもんね。わたしもそんなの嫌だからわかる。

 

「いやいや、脳卒中の時だって死ぬ人もいるほどひどかったのに生き延びたでしょ?今までの死ぬタイミングを逃してきたのは自分なんだから、ここまで来たら自分の責任を取って生きな」

といったら「ほー」って顔してましたけど、納得したのかどうなのか…。