認知症と希死念慮・その1

母の母…わたしにとっての祖母は、自死でした。

 

わたしたち一家(祖母と母、父、わたしたち兄弟3人)は同居。わたしはおばあちゃん子で矍鑠とした祖母が好きでしたが、わたしが小学生の頃、祖母がバイク事故に逢いました。

 

事故自体は鎖骨骨折(その時はじめて「鎖骨」という名を知ったので良く覚えてるw)で大したことがなかった記憶。

ただ、わたしも子供だったのでどこまで正しい記憶なのかは定かではありません。

とりあえず事故後、毅然としてた祖母が、

「死にたい」「食欲もない」

と言い続けていたこと。わたしが、

「そんなこと言わないでご飯食べて」

と言ってたことは覚えてます。

今思えば老人性鬱ですよね。当時はわたしも(母も)そういう知識はありませんでしたし、ネットもなければ、うつ病自体もメジャーではありませんでしたが。

 

そんなある日、祖母は遺書を懐に近所の駅で飛び込み自殺をしました。

 

わたしが遊びから帰宅したら、どこかへ行ってた母がバタバタ帰ってきて、

「おばあちゃんが死んだの」

と言ったこと。

わたしが二十歳になるまで、母からは自死だったと聴かず、でも当時から周囲の人や親せきから飛び込み自殺だったと聴いてたこと。

あんまり鮮明な記憶ではないけど、その当時、わたしは反抗期の入り口だったので、

 

自殺?何がわるいの?自分の人生の幕引きを自分で決めるのは、おばあちゃんらしい。

と肯定的に考えていました。

それが小学生なりの自己保身や防衛機制だったのか、当時の本心だったのかは今も分かりませんが…

自死遺族であるわたし、そして母に、

自死に対する肯定的感覚

を植え付けのは間違いないです。

 

そこから30年後に、それが呪いのように我が身に降りかかったのですorz