今日、ケアマネさんから着信があった。
仕事を終えて夕方かけ直し。
わたしがイマイチよく理解していないけど、区の調査員ではなくケアマネさんが認定員になってくれるらしい。
あまり付き合いがない3月からの父のケアマネさんも、
「娘さん、明るく話してるけど結構限界ですよ」
と言ってたそうで…。それを聴いて電話口で泣けてきた。
父が寝たきりで退院した3月から、きついなぁ~と思い続けてきたけど、はじめて泣いた。
泣いたのは介護以外にも原因がある。
9歳の愛猫が朝から具合が悪そうだった。野良を捕獲し飼って9年。当初仕事場で保護してたので、未だ仕事場で暮らしてる。
12,3年前、すぐに移動するつもりで仕事場を自宅に。その半年後に母が脳卒中で3か月入院。介護暮らしを余儀なくされたわたしは、3日に1度はブチ切れてた。
そんな時に迎えたのが愛猫。
この子が仕事場(自宅)が大好きで、この子が「わたしが家(介護付き)にいる理由」になってた。以降、わたしも腹をくくって切れなくなったし。
…最近、それも限界で「ペット可物件」探してるんだけど。ようは猫が唯一の癒しであり、心の支え。
その子が調子悪そうで、わたしも本日は不安定だった。
で、夕食後。
サクサク食べ終え、皿などを洗い、父母にはスイカと柿(父が好き)まで提供し、仕事場に戻ると猫がまだ具合悪そう。
これはダメだと、洗濯ネットで捕獲しタクシーを呼び急遽病院へ。
タクシーを待つ間、「猫が具合悪いから病院連れてく」と言ったらなぜか母も盛り上がり、外でタクシーを待ち始める。
「あのね、家に入っててくれない?わたしは今、猫に集中したいの」
と追い返し、猫は病院で検査入院。
20時過ぎに帰宅すると、ダイニングテーブルの上には食べ散らかしたスイカの山。
7月1日の右手骨折から自宅では浴槽に入れてない(昨日、ディで入浴してるし、週に2回はわたしがシャワーを浴びせ、髪まで乾かしてる)母が、なぜか風呂上り風。
「は?なんで風呂入ってんの?つか、スイカの残骸くらい自分たちで片付けられないの?」
母「違うわよ。こっちは大騒ぎだったんだから!お父さんにお風呂用意してもらったら全然出来てなくて水だったのよ!」
…またか。また父母揃って「右手骨折」を忘れ、父は母に言われるままに風呂を準備したけど、風呂もまともに準備できてないというパターンか。
「おまえら7月1日から家で風呂入ってないってのに、まだ分かんないのか?」
無言の父。たぶん「しまった」とは思ってる。
しかし母はヒートアップ。何言われたか覚えてないけど、皿を洗いテーブルを拭くわたしへギャーギャーギャーと捲し立ててくる。
「はぁもうわかったわ。おまえら2人揃ってマジまともに暮らせないわな。もし猫になんかあったらもう解散!この家売っておまえらホームでもなんでも入れ!」
母「なんにもできなくなんかないわ!あんたに何の世話にもなってない!はい今日で解散ね!」
「あぁ?おまえ三食用意してもらって皿も洗ってもらって、洗濯も掃除も予定の把握も何1つ出来ないくせにデカい口叩くんじゃねぇよ!」
母「なにいってるの。わたしなんか子供を育てて…」
「おめぇの子育てなんざ、おばあちゃんに頼りっきりであんたは遊び歩いてただろうが!しかも子供は成長する。学校に行けば給食もある。あんたらは何もできなくなるだけじゃねーか!」
父「もう喧嘩はやめ!やめろやめろ!」
父は臭いものには蓋をしたいんだよな。
そうやって汚いものやリアルに蓋をして、その蓋の役割はわたし。わたしを支えてくれてたのは愛猫。
父に追い払われた母、もう1度戻ってきた。
父「何しに来たんだ。もう寝ろ」
母「○○は昔から口が達者なのよ!だから口では負けるのよ!」
とガサゴソしてる母。たぶん、わたしは途中で放棄したスイカの残骸をなんとかしようとしてる。
父「おい、そのビニールは違う。ゴミじゃない」
グダグダグダグダ…
母「だって今、大変だったのよ!○○の猫は病院に連れて行ったんだけど、もう1匹の猫を子供が玄関で飼ってるのよ!それが大変で!(たぶん、タクシーを待つわたしを見た記憶が母の中で分裂してる)」
父「うるさい!黙れ!!」
父はおそらく「猫が地雷」と気づいただろうし(今だけは)、これ以上わたしを刺激したくない。でも母を止められない。
父が不穏になるのも面倒だし、どうせ明日はゴミの日だし、散乱したキッチンを片付けるのも明日の朝のわたしだから、淡々とキッチンに戻り、
「そのビニールは違う。もういいよわたしがやるから」
母「あら、取られちゃった」
父「もういいから、ママは寝ろ!」
1階をかたずけて、栓だけはめられて湯も何も溜まってない風呂を見て、わたしはまた泣いた。
愛猫に重篤な病気があったらどうしよう…
更年期だし、わたし間違いなくペットロス、鬱まっしぐらだな。
そうなると、今のように仕事と家事と父母の病院・ディ・ヘルパーの予定を汲んでやり取りして変更欠けて…この家の暮らしを支えるのは頭の回転も身体的にも絶対に無理。
限界だとは思ってたけど限界だなぁ。
1人で暮らしたらそれはそれで寂しかろうとも思う。
父母に好きなものを食べさせご機嫌な顔を見たり、時々父母の会話が成り立って笑ってるのを見るのも嬉しい。
家事だの実務的なことが増えるのも、もう慣れた気もする。
だけど、認知の部分だよね。
だから認知症なのはわかるけど、状況判断が欠片も出来ず、洞察力も皆無で、記憶も全く保持できない老人2人と暮らすのはホントにキツイ。
せめて片方でもまともな認知&記憶力を持っていればなぁ。
わたしが切れるたびに母も不穏になる。父も不穏になる。
分かっててももう止まらない状態になってるなぁとは思ってたけど…それでも猫がいればまだ気分が切り替えられたけど…猫のいないこの家は死臭しかしない。
認知症は家族を壊す
まだ泣きながらこれを書いてて、ホントにそう思う。
ちなみに、今日の午後から土日は読まなきゃならない資料や組まなきゃいけないカリキュラムで仕事を入れてない。
来週、猫の退院を見越して来客も少し調整した。
ようはこの週末から来週は仕事をセーブしてる。
で、それはそれで暗澹たる気持ちになる。猫で八割、仕事で二割気持ちを支えてたのかもな。