母はリハパン拒否が強い。
しかし漏らす。尿失禁大失禁大得意。
2年ほど前までは本人も人並みの不快感や羞恥心があり、生理用ナプキンを買いに付き合わされた。
しかしその思考も失われ、ナプキンをつけなくなるにつれ失禁量も増加。しかしリハパンは拒否。
じゃあどうするかって
布パンツを買い込む→汚物で汚れた布パンツに多分自分でショックを受ける→洗うに洗えず部屋に溜め込む。
泣き落としも説得も、リハパンを履かせる努力は各ベクトルからやってみた。母の部屋にもリハパンを置いてる。捨てるのが「勿体ない」と騒ぐので、
「わたしがわたしの金でアンタの紙パンツを買ってんの!そのわたしが捨てろっつってんの」
と言っても納得しない。
脱衣所にゴミ箱とビニール設置。汚れたらこうして捨てて‥と段取りしても無理。母の部屋に各種ゴミ箱ビニール設置しても無理。
母の部屋には汚物まみれの下着、時にズボン、わたしが無理矢理履かせた使用済みリハパンがビニールに詰め込まれて放置されてる。地獄。
でも、それでも数か月前までは、
「汚物は汚い、恥ずかしい、隠したい」
気持ちはまだ残ってた。
ダイニングで挙動不審になり、自室に引っ込んだ母の椅子クッションにシミがついてることも多々あったけど、母は2階の自室で汚れた服や下着をビニールに突っ込み(ふらっと2階へ行き、しばらくして降りてくるとズボンが替わってる)、わたしは恥をかかせないようにそっとクッションを洗うことも多数だった。
しかし、ここ最近、
漏らしても気にせず過ごしてやがる💢
先日、ダイニングからソファに移動した母の跡を見ると、チェアの座面に大きなシミ。
「え、なにこれ。漏らしたでしょ」
母「まさかぁー」
「じゃなんで椅子濡れてんの!てかなんで濡れたケツでソファ座るの」
母「それは…なんかこぼしただけ」
母を立たせてケツを触ると濡れてる。
「あなたが1人暮らしならなんでもいいよ。でもソファへ他の人も座るでしょうに!なんで漏らしたケツで他の場所を汚すの」
言いながらも、ついにシモの感覚が分からなくなってるかな?と思い当たる。「マジかよ…」と思いつつ、ズボン脱がして着替えさせようとして…
おい~なんでノーパンなんだよぉぉぉぉぉ!
推測するに、
「布パンツ」→「ビニールに詰める(定期的にわたしが回収して捨てる)」→「布パンツがない」→「リハパンは部屋にあるけど履きたくない」
で、ノーパン。83歳婆のノーパン。
先日は、仕事の合間にリビングへ顔を出したら、母がダイニングの椅子から立ち、ビニール袋を椅子に敷き、再び座るのを目撃。
「待って!今のなに?なんでビニール敷くの?漏らしたでしょ(疑心暗鬼)」
母「違うの~そうじゃない」
「漏らしてないなら立て。ぎゃ~シミがある!!」「椅子が濡れてると思うならなぜ着替えないの?椅子にビニール敷いて終わりって人間以下なんだけど。ってお~い、そのケツで他の場所に座ろうとすんな!」
阻止するわたしに母は真顔で言い切った。
母「それはあんたが見たからであって、見られなければ漏らしてない」
クソ謎超理論。
しかも、椅子のシミが尿にしては茶色い。便か?便失禁か?
しかしわたしはお客様がいる仕事中。便掃除してる暇はない。つか、したくない。母と一緒に朝から晩までリビングにいる父は、
父「ママ、○○(わたし)の言うことを聞いて!」
つーか、おまえもおまえだ!
女房がすぐそばで便失禁してるのに、わたしが顔出す今まで何してたんだ。いや気づいてないんだよね多分。そこも大きな問題なんだよ(怒)!
便失禁の始末をする時間はないので、わたしは仕事に戻り、夜。
昼から時間が止まってるかのような、静止画のリビング。
夕食を作るためにダイニングへ行くと、テーブルの上に茶色く染まったてぬぐい。椅子のシミはなくなってる。
わたし「おおおーい!この汚い布なんなの!」
母「あら…っ、汚い布ねぇ。なにかしら」
なにかしらじゃねーよ!父はその横でぼけーっとテレビ見てる。せめておまえの頭がマトモだったらなぁ。。
母の足腰は達者なので、わたしが24時間母のパンツを見張らない限りは「常時リハパン」は叶わない。
よって、母が自発的にリハパンを履きたくなるように努力してきた。でも諦めモードだった。
でももはや、最低限の衛生環境の維持も怪しくなってきた。
認知症患者に叱責や強要はNGなのは知ってる。知ってるけど、もう打つ手がないじゃんね?強制リハパン命令を下した。
下したけど「認知症患者にNG」を知ってるから、わたしも気をまわし母のパンツチェックをするのを憚ってた。
そうしたら…ノーパン(ズボンは履いてる)でわたしと外出した母、街中で尿失禁×2回ですわ。。
常時ではないにせよ、もうシモの感覚ないなコレ。こんなノーパンで過ごされたら家の内外垂れ流しじゃん。アルツハイマー怖っ!!!!!
2回とも、母をトイレで待たせ、リハパンとズボン買い履き直させてから連れ帰る…には、ズボンを売る店までの距離が遠すぎる場所。
母がおとなしくトイレで待ってるとも思えず、濡れたままの母を連れて帰宅しつつ、
「あのさぁ。なんで紙パンツ履かないわけ?紙パンツだったらこんな恥ずかしい眼に会わないで済むわけ。年取って漏らすのはいいよ。仕方ないよ。でも今は便利なものが色々ある。自分で調べて買って来いって言ってるんじゃないよ。わたしが全部用意してあなたの部屋にも置いてある。それを勝手に拒否して、こんな外で漏らして、ずぶ濡れの状態で歩くって頭おかしいにも程がある。みんな見てるよ。あそこの奥さん漏らしたんだなってバレてるよ」
淡々と説教。
泣き落としも説得も強要もダメなら、自分が恥ずかしいと思えばリハパン履くかな?
という期待を込めてだけど、これも「認知症患者にNG」なんでしょうねぇ。でもわたしももう疲れたわ。
父への説得と同じく、母に対してもまるで「わたしが全てを決めつけてる。履くパンツすら指示を出してる」感が増してる。
昨年から、仕事場を外に移そうか迷ってたところに2月の父の救急搬送があり、移転は諦めてたけど、今はなんとなく「ペット可・ソーホー物件」を探してる。
こういう無意識の行動って、自分の「今」をよく反映してる。
昨年は「猫は自宅」「仕事場だけ移転」⇒わたしの居住は自宅というイメージ一択だったのに、今は「猫ごと連れて行く(猫がいなければ、わたしは自宅に戻らない)」つもりらしい(笑)
実際本気で親を捨てられるか?と言えば難しいだろうし、近距離別居で掃除や食事作りに通うのは「マジ無理、出来ない!」と思うので、ただの現実逃避ですけどね…。