認知症といえど、昔から馴染んだ行動は割と忘れない。例えば主婦業が長い女性なら料理とか‥
的な印象がある。あったような気がする。
多くの女性が言うように、母も家事の中で皿洗いや掃除、洗濯は嫌い、好きなのは料理というタイプ。掃除洗濯をやらなくなったのは早かったけど、料理は割と最後までやろうとしてた。
ただ一度に数品作るとか、使った器具を洗いながら作ることは出来ず、米を研いでスイッチ入れる程度まで出来たのが1年ほど前まで。
今はもう米も研げなくなる。
まず米の適量がわからなくなり、軽量カップも使えなくなり、大量の米を炊いたり、母のこだわりで長年使用してるガス炊飯器が記憶から消え鍋で炊いてみたり‥。米を保存してる場所も毎日記憶から消えてしまう。
彼女のためにも、米を研ぐ程度の役割は与えたい。が、それも無理となると‥
わたしも仕事しつつ食事を作ってるし、もう時間的にわたしが全部やったほうが早い。結果、母はあまりキッチンにも立たなくなった。
そんな先日、母が突然自分の蕎麦を茹で始めた。
わたしは仕事の準備をしつつ、母がピーピー鳴らすだけのIHだけ点けて、手を出すべきかチラチラ見てた。
なにかを食べ始めた母。
鍋の湯に茹だった蕎麦。母は茶碗で白湯?に浸かった蕎麦を啜ってる。
「なぜ茶碗?てか蕎麦つゆ入れた?それ味ある?」
母「味?あるよ。おいしくはないけど」
どうやら、茹でた蕎麦と茹で汁を茶碗によそい、醤油を少し垂らしたらしい。
わたしが回収し、麺つゆと卵とネギ入れて蕎麦に仕立て直したけど、乾麺の蕎麦ももうまともに食えないのかー
で、今日。
やらなきゃどんどん出来なくなるので、買い物に行き、
「里芋でも煮る?」
と聴いてみた。煮ると言うので、皮が剥いてある里芋購入。
「これはお母さんが煮るんだよ」
と言い聞かせつつ帰宅。キッチンでも里芋と人参と鍋を並べて、
「これを煮てね」
「うん」
‥うん、と言いつつ二階に行ったり一向に煮ないんだよなぁ。最近〇〇作る!と言って、いつも同じパターン。時間がある時じゃないと付き合えない。
責めたいわけじゃないから、わたしが鍋で里芋と人参を煮て、
「これ醤油、これ砂糖。味だけつけてね」
と言い聞かせ、わたしは仕事に。
しばらくして様子を見に行くと‥
IHの上の里芋の鍋がなくなり、プラスチックの器が載ってる!
「えええ!なぜ⁉︎」
ビビるよね。イチからやらせたわけじゃない。鍋で煮てる状態でバトン渡してるのに。
母の言い分を整理すると、もっと大きな鍋で煮たくて替えたとのこと。
や、これ鍋じゃねーし。器だし。しかもプラスチックだし!多分「鍋」の認識も危ういし、鍋を収納してる場所も記憶から抜けてるんだろうな。
IHは賢いので、素材がプラスチックだからかスイッチは入いれてあったけど温まってはいなかった。。コレガスならどうなってたんだろう。怖っ!
わたしが子供の頃、母は料理好きで、当時は珍しかったオーブンを持ってたり、電子レンジもいち早く購入してた。
ピザやグラタン、パイやマドレーヌなんかも作ってた。料理への好奇心とチャレンジ精神と食欲が旺盛だったのに、今や食欲しか残ってない。
それもそのうち消え失せるんだろうなー。
元々は多趣味な人で、水泳、短歌、書道、読書、手芸‥それらは10数前の脳卒中後の高次機能障害でほぼ失った。
家事においては掃除、洗濯‥は、本人もあまり好きではなさそうだったのもあり、早々に失われた。
唯一残った料理もそうですかー。ここまで手を入れてもダメですかー。
認知症でも、好きなことはずっと好きだったり出来ている人もいるんだろうけど、その人の人生や個性を根こそぎ奪うのは‥やっぱり残酷な病気だなと思う。