アルツハイマーの1年

すっかりこのブログの存在を忘れていたら、はてなからメールが来たので続きを書く(笑)

 

決して楽しいネタではないので、しんど過ぎて整理したい時はいいけど、そうじゃないと書く気にならない介護ブログ。。。

でも1年前は母の「希死念慮や夕暮れ症候群に悩んでいたのか」と振り返れたので、記録しておくことも大事かなと思ったり。

 

アルツハイマーの母、1年前は自死した自分の母(わたしにとっての祖母)を追うように自殺願望が高まってたけど、今は「自分の母が亡くなったことすら記憶にない」レベルにアップ。

 

数か月前、夜中に突然、

「ママ~?」

と叫び、玄関から飛び出そうとし、わたしが阻止して話を聴くと、

「お母さんが秩父(母は幼少期~思春期を秩父で過ごした)に残ってたでしょう。で、迎えに来いって言うのよ。だから行ってくるわ」

……夜中の0時ですが?

っていうか、あなたのお母さん、40年前に(自殺で)亡くなってますけど?

 

そこから「お母さん(わたしにとっての祖母)」が生きてるかのように、時に自分が幼少~思春期かのように記憶が混濁。

 

そういえば朝、鏡を見た母が、

「わっ」

というので「なに?」と聴いたら、

「しわくちゃで驚いた」

というので腹抱えて笑いましたわ。齢83歳ですからね…そりゃね…。

 

祖母が自殺して亡くなった記憶を保持するより、祖母が生きてると思い込んだ方がいいような気もするけど、

「探しに行く」

のでタチが悪い。死因は伏せて祖母は当の昔に亡くなっていることを説明するも母は納得しない。

「あなた今83歳ね(保険証突きつけ~の)。あなたの親が生きてたら何歳よ?とうに寿命を全うしてます」

「あなたの友達で親が生きてる友達います?いないでしょう?そいいう年齢なの」

など言うも、そもそも自分が83歳という認識がブレブレなので納得しない。

 

これが今年の夏ごろで、軽めの徘徊が始まり。

 

ちなみに母は目が悪い。ゆえに、自分が散歩行きたい時は「夕方薄暗くなると、目が見えないから!」とわたしを急かしてた。

だから「夜の徘徊はナイ」と踏んでたのに、今年の夏は20時前くらいなら独りでふらっと出て行ってしまう。経験則を軽々越える認知症エンジン。

 

ただ、わたしや父が「あなたのお母さんは大昔に亡くなってる」と言っても信じない割に、お盆に母の弟(わたしの叔父)が墓参りに来るから寄るね、という連絡は普通に受けたりする。

※母方の墓地は我が家の傍にある。ちなみに墓に連れて行き戒名を見せても「自分の母親が亡くなってる」とは認識できない。

 

そんなアレコレやってた夏は、

「あんたはわたしの何が気に食わなくて、お母さんが死んだとか言うの?」

とか真顔で聴かれたりしてましたわ。怖っ。

 

この徘徊に関しては、わたしが仕事してる間にどうなってるのか分からないし、父は母の徘徊を止められないので、居住区のサービスで写真と名前を登録しシリアルナンバーのシールをもらい、主に介護従事者の皆さんの中で情報共有していただくサービスを使用。

それでももし行方不明になってしまったら、もう仕方ないよねぇ…。(遠い眼)

 

わたしも大分、アルツハイマーに慣れてきましたがw

母ががーっと執着してるテーマには波がある。マイブーム。

昨年の希死念慮もそうだけど、

「お母さんを探しに行く」

ブームも今は収まってきた。新たな厄介にフォーカスすると、それ以前の厄介を忘れる感じ?

 

アルツハイマーの1年

 

思えば1年前は「良い日」「悪い日」的な波を感じてたし、「自殺しちゃいけないよ」という観念的な会話も表面的には成り立ってた。

 

今は「良い悪い」波は感じず(頭の調子良いな、と思うことがない)、「今は○○ネタに執着してるな」という波しか感じない。

あと、難しい会話は…ほぼ通じてない感w

 

更に、例えば「鍵」を持たせて外に出る。

「鍵を持つのを忘れる」→今まで

今は、

「外に出て鍵を持っていても、その鍵をどうするのかが分からない」。

 

「その鍵を、そこの鍵穴に差して。で、廻して。廻したら抜いて。ほら、これで知らない人が外からドアを開けようとしても大丈夫でしょう?」

と教えると「ああ、そうなんだ」。

これを毎日繰り返してる(^^;

 

こうやって、着替えること、食事すること、排せつ場所で排泄することが出来なくなっていくのか~という具体的なイメージが出来るようになった1年です。(嬉しくない)