2月27日(忘備録)

2月27日の朝、父が救急搬送されました。

 

元々、脊椎間狭窄症でもあるし、極端に歩くのが遅く足腰が重い人だったけど、この1,2か月は特に行動が遅かった。

でも「自分のやり方」を絶対に変えられないので、

寝室と仏間は2階。夕食前は炊き立てのご飯を自分で2階の仏壇へもっていく。

風呂は1人でゆっくり入りたい。

それが最近では風呂に3時間、仏間との行き来に1時間かかる。

認知も危ういので説いても無駄。

大学病院の整形外科にも通院してるけど、そこから紹介されたリハビリ系の整形はすぐに行かなくなる(自宅での運動をせず怒られるから)ので放置していた。

 

アルツハイマ―で要介護1の母は、現在「食いつくし」モード。

1、わたしがお客さん(仕事)を見送り自宅に戻り、炊飯器にスイッチを入れ、仏壇用のご飯を父へ渡す。

2、その間におかずを数品作ると、母はもうすぐに食べたい。待てない。しかし父は2階から1時間帰ってこない。

3、結果、わたしと母は先に食べる。食べ終え、皿も洗った頃に父が降りてくる。

4、まずはテレビ前の椅子でしばらく休憩し、やっと食卓へ。

(その頃にはわたしは後始末や事務処理に仕事場へ戻ってる)

というサイクルが続いてた26日、仏壇から戻って来た父が22時頃になってもテレビ前にいる。

 

話しかけても要領を得ないので、まぁ好きなように過ごせばいいやとわたしも自室に引き上げた翌朝、母に起こされた。

リビングに行くと、床にクの字に倒れた父。

散乱したリハパン。

食事の食器は流しにあったけど、その後2階寝室にもトイレにも行けず一晩を過ごしたらしい。

 

とりあえず身体を起こそうとするも、75キロの巨漢。本人は「痛い、痛い」と全く力を入れないのでわたしでは起こせない。転んだ拍子にどこかを骨折したのか。

#7119に電話してもつながらず、119で救急要請。コロナ禍なのに、すぐに来てくれました<m(__)m>

 

痛い痛いという父を叱咤し、とりあえず救急車へ搬送。靴と上着を持って来てくださいと言われ、ついでに10万円と保険証をバッグに突っ込み、母に、

「家にいてね。午前中に宅急便が荷物取りに来るから、渡しといて」

(仕事の都合で、どうしても当日中に送らねばならない荷物があった)

「うん。わかった」

 

…ホントに大丈夫か???徘徊すんなよ??

 

幸いにも徒歩15分の救急病院が受け入れてくれた。当初の見立ては、

「痛がり方は骨折のようだけど、CTでは撮れなかった。折れた直後は映らないことも多いので、(腰椎骨折前提で)とりあえず3週間の入院」

とのこと。

 

その最中に運送会社から電話。母はやはり荷物を渡せなかったらしい…。午後集荷に変えてもらう。

 

ストレッチャーで運ばれる父は、半睡の状態で、

「入院?個室がいい」

と戯言を言ってる(いつも個室を希望する)。ただ、

「コロナ対策で、退院までもう面会出来ませんので」

とのことで、

「そんなんボケるだけ!今日は個室でいいけど、後は大部屋で!!」

と入院手続き開始。

 

アルツハイマ―で家事も出来ず徘徊系の母と、身動き取れない認知症濃厚な父。

考えるほどに「無理じゃね?」「待って、父母の確定申告どうすんの?」などなど過るアレコレ。

そもそも今朝このような事態になったことを母は覚えてるのか?

せめて見舞いに来られれば母の記憶を上塗りできるけど、すでに家族構成や顔が曖昧な母が、突然の父の不在をどう受け取るのか…まだ不安定になったら最悪。

 

救急搬送から3時間ほど、帰宅すると母は見事に救急車呼んだことを忘れてましたorz

 

病院のパンフを見せつつ、母に、

「2月27日、お父さんは救急車に乗って○○病院に入院しました」

「コロナで面会はできません」

と書かせておく(証拠)。