介護認定見直しをした母は「要介護3」になった。
排泄問題
この2か月はわたしが朝晩ズボン・リハパンを脱がせて着用させている。
転倒は多いけどトイレは一応行くので、それで事足りてたのは1か月前まで。
「…トイレではいったい何を??」と思う程、リハパンに出す尿便容量が多い。
4回吸収のリハパンに2回吸収のパットを装着。それでも漏れてズボンや椅子を汚す。
結果、朝・昼・晩の3回母のリハパンとパット交換してるが、その度にズッシリと重い。
もちろん1日3回のリハパン交換が出来ない日もある。仕事の状況で昼間パンツを替えられないと、垂れ流しの惨事が起きる。
しかもパッドは外しやすいからか、母は汚れたパットを外しトイレに詰める。
身体状態
今年は7月に転倒・右手骨折。10月に転倒・頭部を縫う怪我をしてる。パーキンソニズムがひどく階段を上りながら、
母「いつまでこの階段上がれるかしらぁ~」
と言うようになった。
1階で起居する父を馬鹿にし、自分は健脚だし介護ベッドなんか絶対に嫌と言い続けた母が。
母の部屋は2階。しかも母はお気に入りの畳ベッドを使用してる。
低い畳ベッドでリハパンを替えるには、母にベッド脇に座ってもらわねばならない。
「はい朝だよ!起きて起きておーきーろー!まずは起きて座れ。パンツ替るよ!」
母「無理ぃ~起きられない~」
「じゃあお母さんもオムツに介護ベッドにする?」
母「するぅ~」
という会話も増えた。以前は厄介だった「自尊心の強さ」も失われつつあるのか。
昨日、介護用品屋に言われた。
「あ、じゃあお母様も1階に介護ベッド置いて過ごす感じになりますかね?」
・・・。
ソファかカップボード捨てれば介護ベッド2台入るかもね。排泄テロの範囲が狭まり、多少は楽になるかも?
でも、ウチ介護施設じゃないんで!それでお金貰ってる介護スタッフが常駐してるわけでもないんで!
「そうなる前にまずは父を出して、母を1階にスライドさせますw」
父の入院先から「退院を。抗がん剤使用だと老健も施設も無理です。ご自宅に戻りますか?もう2階には上がれません」と宣告され、数日悩んでリビングの家具を廃棄し、速攻1階に介護ベッドを入れたのが今年3月。
あれから8か月。あっという間に母も衰えたなぁ。
認知機能
認知と身体機能は衰える一途だけど、
- なにかやりたい。わたしにはやるべきことがたくさんある。
- 人が好き。多くの人がいる場所にいたい。おしゃべりしたい。
母の根本部分は変わらない。(この辺が、父の前頭葉側頭型認知症とは違う所以)
しかし話す内容が支離滅裂なので、友達も離れた。
例えば、12,3年前に母が脳卒中で3か月入院し、寝たきりから奇跡の回復を遂げたことも、友達は覚えてるけど母は記憶にない。
友「でもあなた元気だわよ~。あの脳卒中の時だってお見舞い行ったらさぁ」母「ええ?わたし?わたしは病気なんかしたことないわよぉ」友「…(察する)」
傍で聴いてても「これじゃ友達も辛かろうよ…」と共感する。
母は距離を取られたことは察知するので孤独感は増す。
家事全般も、過去の記憶があるから「家でやることがいっぱいある」と思ってる。
でも「じゃあご飯作る?」と委ねても、もう米がどこにあるのかわからない。
米の場所を教えても、それをどうすればいいのかわからない。
「このボウルに1合とって、水でといでね」と指示しても、その手順が出来ない。
一事が万事そうなので、わたしも時間があればやらせようとするけど、母のタイミングが合わないと今度は「やりたくない」という。
母がやる気でも、わたしに時間がなければ何も頼まない。
友達との交流も家事もないと…
本も読めない。TVもつけれない。番組表で番組を探すことも出来ない母はやることがない。
そもそも12,3年前の脳卒中後の麻痺と高次機能障害で、趣味だった「書道」「短歌」「手芸」が出来なくなってた。
アルツハイマー初期は「読書」が出来たので、よく図書館へ一緒に行って本を借りさせてた。でも読めなくなって久しい。
「これは今後ヤバいぞ」
と思い、折り紙・塗り絵を教えてた2年前も、そもそも好きじゃないらしく投げ出した。
昨年冬は編み物を薦め編み針を買い与えたけど、出来ないらしい。出来ない理由を「編み物の本がないと出来ない!」→本を選ばせ買い与えても忘れる。内容も認知できず、「(本を手に持ちつつ)編み物の本がないと出来ない!」。
自尊心を損なうばかりなので断念した。
父と違って「母はこうなんだろうなぁ」「こうだから母は一層やる気にならないんだろうなぁ」と推測できるから、妄想・作話がコロコロ変わるのも致し方ないのかなと思う。
しかし妄想に突き動かされ徘徊に出るのはいかん。
転倒も多く信号も分からない今、24時間見守りがないと危うい状態が続いてる。
…その結果、骨折や頭部裂傷がすでに起きてるんだけど。
昼夜の見当識
以前はディが無くても、わたしが仕事じゃなければ朝食・昼食を食べさせ、
「15時に買い物行くよ」
と言えば、なんとなく朝~晩が買い物を軸に1日過ぎていた。
昼過ぎ・夕方前に買い物へ行き、わたしが夕食を作り(時に母も付き合い)、食べたら夜。寝る。
しかし最近は身体機能が落ちて来て、買い物にも「行かない」という日が増えて来てる。
時計も読めない母にしてみれば「いつが朝で、いつが夜か」も分からない。
食事の度に「これは昼ごはん。今は昼だよ」と言っても、食事の記憶ごと抜けるので意味がない。
「外暗いでしょ。今は夜の19時」と言っても、「暗い=夜」の認知もなければ時間の概念もないので意味がない。
昨夜は、パーキンソニズムで足元が危うい中、真っ暗な階段を母が降りていくのを発見。
「どこに行くの?」
母「トイレ」(1階と2階にトイレがある)
「2階のトイレに行きなよ。ほら、こっちにトイレがあるよ」
実はわたしは「おまえ、また2階のトイレにパッド詰めて使えなくしてるんじゃ…」と恐る恐る2階トイレのドアを開けた。無事だった。
母「ええ~それはトイレじゃないの。トイレは~確かこっちにあるの」
真っ暗な階段を降り続ける母。慌てて階段の電気をつけた。
日によって「1階2階のトイレの場所が分からない日」「トイレは分かっても使い方が分からない日」もある。
ただ、パーキンソニズムの悪化と「電気をつけない階段を夜中に降りる母」のコラボを見て、
- 階段から転倒して大惨事になるのも遠くないかもな。
- 今は「トイレ」が行先だけど、玄関から出ていく可能性も出て来たな。
と思った。
母の奇行すべては(おそらく)、今は失われた「過去の充実した自分」「過去取り巻いてた人たち(肉親・仲間)」探しなんだろうなぁ。
父の前頭葉側頭型認知症やレビー小体型認知症とは明らかに違うアルツハイマー。
3種の認知症を介護し比較してるわたしとしては、人間味が残るアルツハイマーが1番切ない。