転倒、頭部出血

今日から母はショートスティ。

迎えの時間直前、また屋内徘徊しててリビングに入ったところで転倒!

母の手すり代わりに置いてる椅子に頭を打ち付け、流血しやがった。

 

その少し前、2階で寝てる母に「お昼ご飯だよ」と迎えに行った。

「お昼はもう食べた」と言い張る母。

朝食は食わせてるし無理に食べさせる必要もないので「食べないならいいよ。とりあえず今は13時。14時半に出かけるからね」と言い置いて来た。

 

(14時になったら叩き起こしてオムツ替えて、着替えてショートスティだな)

と考えてると、いつの間にか階下に降りて来た母が大転倒という運び。

ま、寝起きは転びやすいとは思う。思うけども、深夜・早朝も独りで徘徊してるわけで、それを案じて制止したって不穏スイッチが入ってたら止まりゃしないのが認知症

 

父もそうだし、母も…この酷暑に冷房を利かせた部屋いられない部分も含め、

自分の命や健康を危険にさらす行動を、そうと理解できずに自分で取り続ける生き物に、生きてる意味はあるのかな。

と冷静に考えてしまう。自然界ならとっくに死んでる。人間界の独居でも死んでるかな。

 

 

そんな母は今朝も変わらず、わたしが起きた時点で(何時からいたのか分からないけど)玄関でドアをガチャガチャしてた。

上下2つの施錠とチェーン、外から補助キー。

計4つのキーがあるけど、あまりの勢いで補助キーも飛んでしまいそうで、制止する。

施錠するわたし、開錠する母の攻防が続く朝に、心底うんざり。

 

先日はわたしが仕事中、ヘルパーさんが来たのに開錠できずヘルパーさんは窓から自宅に入ったらしい。

開錠できたり、出来なかったり…子供と違って認知症高齢者は「出来る・出来ないにムラ」がある。

「ウチの母、もう○○も出来ない状態なのよ」→「あら、そんなに重度な…」

これなら介護上の対策的にも、親戚縁者に状況を伝えるにも分かりやすい。が、時々出来るんだよね。ふと昔の記憶や能力が顔を出す。その時に、

「出来るじゃないですか~(母に向けて「まだまだしっかりしてますね」的な主旨の悪気ない一言)」

これ、介護者からするとものすごく腹立つよね。

いや、出来ねぇんだよ。出来ねぇことがごくごく稀に出来るから手を焼くんだよ!!!

この一瞬だけ見て喋るな!!!!!

 

結局はケアマネもヘルパーも24時間認知症者を看てるわけじゃない。

認知症介護家族の気持ちは、認知症介護者にしか分からんよな。

 

昨夜、多動スイッチが入ってる母がキッチンをウロつくので久々に料理を手伝わせてみた。

母の手を「食べ物を触るに適した衛生状態」にするだけで一仕事。わたしが指導し、石鹸で手を洗い、

「じゃあこれを切ってね」まな板と包丁を渡す。

切り始める→毎回、排水溝や流しに落ちた野菜の生ゴミや皮に集中し、まな板に拾い上げる母。

わたしが目を離すと食材と生ごみを一緒に切り始める。

「いいですか?この下は汚いの。まな板の上に載せない。気を散らさない。目の前のものだけに集中集中!」

「切る」能力が割と残ってる母だが、切らせてる間はずっと見張り続けなきゃならない。

 

この母の状態は「(食材をまな板に乗せて包丁を持たせるまでサポートすれば)まだ包丁が使える」とも言える。だけど健常者が想像する「包丁が使える」とは全く違うんだよ。

 

ちなみに昨夜は「大根餅」「ブリのナスあんかけ」「味噌汁」「ご飯」。

「はい、じゃあ切るのはもう終わり。これを焼いててね」

ただ、焼けばいい大根餅を母に任せた。

「焦げ目がつくまでパリッと焼いてね~」

黙々とフライパン返しでひっくり返し続ける母。形は崩れるけどこれなら母も行けるだろう。目を離したわたしが洗い物をしていると、

ジューっ!!!!

わたしが作って避けてた味噌汁の鍋から、味噌汁をフライパンに流し込んでた。

なんでだよ?なんでわざわざそれをした??????

 

よく「認知症の人にも役割を」と言うけど、どれほど簡単なことでもずーっと見張り続けなきゃならないんだよ。

子供と違って断面的経験値がまだ残ってて、不適切な形で融合するんだな。

  • 「皿を洗う、生ごみ・排水溝をキレイにする」と「料理を作る」は同じキッチンで行われるけど混ぜてはいけない。
  • 「自分がフライパンで"焼いてね"と頼まれたもの」と「別の鍋に作られ避けてる汁物」を混ぜてはいけない。
  • 粗相をした服を何とかするために、洗面所に鍋を持ち込み水を張ったりする。「洗濯」と「料理」は同じ家事だけど、混ぜてはいけない。
  • 観ている「テレビの情報やドラマの登場人物」と「現実の自分の家族」を混ぜてはいけない。

そういう境界線がどんどん失われているのがわかる。

 

 

今朝、玄関の攻防を終え、朝食を食べ終えた母へ、

「今日は14時半からお出かけだよ。午前中は行く場所ないよ」

と告げ、洗濯機を廻してると、また1階2階徘徊し続ける母。

ふと見ると、上半身肌着・下半身オムツになってる。

(また、出かけるつもりで脱いだけど着れないんだな)

ボトムスは履けないことが多いけど、Tシャツは自分で着れるだろう。と放置。

 

ディやショートの予定がある時、「お着替えモード」の母へ、わたしが「この服でいい?」

と確認し、外出着を着せたとする。

すると十中八九、迎えが来た時に「わたし、2階に着替えに行く」と騒ぎだす。母が自分で着ようと思った服があるなら、それを着せる方が手っ取り早い。

 

が、いつまで経っても肌着とオムツでウロウロし続ける母。

洗濯ものを干すついでに2階に上がると、1つの和室の床にリラコ、もう1つの和室にTシャツが脱ぎ捨ててある。

「ねぇ、なにかを着ようと思ってコレ脱いだんじゃないの?」

母「え?知らないわよ。誰かがそこに散らかしたんでしょ」

「いやいや、これさっきまでアンタが着てた服だから。アンタが脱いで床に散らかしたんでしょ」

母「違うの。誰かが無理やり脱がしたんだわ」

「いやまぁ脱いだ服はいいんだけど、何かを着ようと思ったんじゃないですか?」

母「違うの。だってわたしは服着てるから違うの!ここに落ちてるのはわたしのじゃないし!!!」

いや、これさっきまでアンタが着てたTシャツとリラコな。で、あんた今、肌着とオムツだろうが。

朝の時点で適切な外出着に着替えさせた方がわたしも都合がいいんだけど、いざ迎えが来た時に「2階に着替えに行く!」と騒がれるのが本当に嫌で段取り組めないんだよ。

「ほぉ。おまえは今服を着ているのか。じゃあ見て見ろよ。あ?おまえは今どんな格好だよ」

丁度姿見があるので、母に突き付ける。

こういうことするから、不穏が悪化するんですけどね。

このクソ暑い中、自分の体調不良を抱えながら朝から晩まで母の妄言につきあってると、こちらの頭もおかしくなる。

 

じゃあ朝からのディサービスがあれば平和かと言えば、出かける準備は同じく大変。「着替えモード」の母にわたしがテキパキ服を着せると、やはりお迎え時に「2階に着替えに行く(着替え終えてる!」「ズボン履いてない(履いてる!」大騒ぎし、送迎車を見送り、後からわたしが徒歩で母を送ったことも数回。

 

かつ帰宅時、送迎車を迎えに出ると、

母「あらぁ~迎えに来てくれたの?じゃあわたしはこのまま乗って行くね」

なんなんだよ。前後の繋がりがおかしいわ。

スタッフさん「いえいえ、お母さんお家ですよ。娘さんが迎えに来てくれましたよ」

母「え、でもわたし出かけなくちゃ」

自宅からだけではなく、ディサービスで半日過ごした送りの車内ですら「出かける」と言い張る母。

あの世にでも行きたいのかね。

 

話がずれた。

その後、結局2階で寝始めた母の為にエアコンを入れ、昼過ぎにお昼で起こして…の冒頭の顛末。

 

1年前はどうだったかな~と昨年の地獄の夏の記事を読もうと思ったけど、もうトラウマになってるのかイマイチ読み返せない。

でもそう、昨年8月はまだ父の認知症認定も受けておらず、

前立腺がん>>>>>認知症の疑い

の中で奮闘してたんだった。

 

認知症の常同行動とは思わず、わたしは猛暑の中「スイカ」へ固執する父の為に日が暮れたらスイカを買いに走り、毎食後に切って出し、皿も使わずテーブルに汁をダラダラ垂らしスイカを貪り喰う父の始末に追われ、オムツとスイカの皮で異様に重たいゴミを出し続けていたんだよね。

 

そんな父は1年で、レビー小体型認知症・前頭側頭葉型認知症前立腺がんから膀胱がん、リンパ転移の疑いで危篤までいただいてる。

 

ただでさえ頭の血管切れたり、詰まりまくってる中、こんな転倒し頭部を怪我し続けてるんだから、母の1年後ももう分からんねぇ。