先ほど母をショートスティの迎えに行って、父と母の写真を2枚もらった。
父→やっぱり痩せたな~と言う感じ。目だけがパキパキw
母→パリピ?って突っ込みたくなるほど楽しそう。
スタッフ「ちょうど滞在フロアで花火やったので、その時の写真です」
花火!!!!家ではやらんな…。こんな良い写真をいただいてありがたい。
ショート前の母はこんな感じだったし、
久々にがっつり父と同フロア。大騒ぎするんじゃないかと案じてた。
しかし、1月から毎月ショートに行かせ、5月からは月の半分をショートで過ごさせてるだけあり、さすがの母も慣れて来たらしい。
何度も心挫けそうになったけど、諦めないでよかった…!!
今回は、
- ほぼ帰宅願望は出なかった。
- フロアで父と会うと「世話を焼きたがる」。
- 父が傍にいなければ母は興味をなくす(母は「目の前にいないものに興味ない」からね)。父は母がいないと時々「おーい」と呼ぶ。
- 母は、毎回同じグループ(特養入所)の人たちと過ごすようになってきた。
- 認知症が重度な人たちの中にいると急に冷静になり、「この人たちどうしたらいいの?」とスタッフに訊いてくる。(以前からディやショートを「仕事」と言うことがある。楽しい時はともかく「手に負えない世話が必要な人を前にすると」仕事しなきゃモードになるのか?)
- 作業もちゃんとやってくれる。
「え、作業とは…?」
スタッフさん「タオル畳みとかですね。1時間くらい集中してくれます」
ええええええ!1時間集中できる母、わたしは知らないなぁ。すごい。
家でタオル畳みやそれに類似する家事を頼み「一緒にやろう」と始めても、3秒で「じゃあわたし出かけてくるね」と飛び出すんですけど…
「作業って、大勢でやってるんですか?」
スタッフさん「そうですね。お元気な方とスタッフと。で、手の届かない人には"取ってあげるわよ"とお世話焼いてます」
やはり「人数」か。
母はホントに「色々な人が大勢いる」のが好きなんだな。
元々世話好きで、人の役に立ってることで自己評価を保持していた母。
わたしも、出来得る限りで何かを手伝わそうとした時期もあったけど…
もう無理なんだろうな。何も出来ないんだな。
と諦めてた。でも、施設でならまだまだ彼女のモチベーションは高いのか。
あと浣腸ね。
- 母はトイレの手順すら分からないから大惨事が多々起きる。
- 自宅で、わたしが毎回母のトイレを介助することは出来ない。
=もういいわ、9月からは月2回浣腸な!
と決めたけど、施設では浣腸を使用せずに1週間に2回排便があったそうな。
この施設が特別なのかもしれないけど、
施設にいた方が「人間らしく(母らしさを残して」生きていけるじゃんね?
「自宅にいたい」欲求は叶えられないけど…
仮に、自宅で投薬も浣腸もしなければ「母らしいか?」と考えた。
シングル介護でわたし独り。圧倒的人員不足で家中排泄物だらけになり、帰ってこない家族や親(祖母)を待ち続け、寂しくなって外に徘徊・転倒を繰り返すだけの母が見える。
わたし独りで家事・仕事・在宅介護を担ってる以上、徘徊、排泄撒き散らし系認知症に対応し続けるの無理。
現状、仕事を削りに削っても転倒は防げてない。母の安全や命にかかわってしまう。
だから「対応しきれないことを、薬や浣腸でコントロール」するしかない。
でもそれは「母らしさ」「人間らしさ」を奪うことでもある。
自宅じゃもう叶えられない、母の「人の面倒をみたい」「誰かの役に立ちたい」(更にトイレで排泄する基本的な)欲求、いうなれば母のQOL‥
施設でなら(職員のサポートありきで)まだ叶うんだな。
だがしかし、特養の壁はまだまだ高い。 ここまで来て他の施設に馴染むまでが可哀想だし、この特養を狙いたいんだけどな‥。
なんてしみじみ考えながら、送迎者で帰宅。
施設と自宅を行き来して介護してると、自宅オンリーなら起きない混乱が増える。
まず、ワンフロア・完全バリアフリーで過ごした後は、自宅玄関の段差が上がれなくなる母。
本日は送迎車から降りることも出来ず、スタッフさんと抱え降ろす。
母を抱えて玄関ポーチを上がりながら、クソ暑い中早くもうんざりする。
帰宅後、「トイレに行く」とわたしの仕事場へ入って行こうとする母。
「ウチのトイレはそこじゃないよ!」
1階トイレに母を連れて行く。念のために、
「ここは家だよ。施設のトイレみたいに広くないから手伝えないよ。独りでしな」
母「ええ~手伝ってくれないのぉ?」
施設では極力トイレ介助してくれる。帰宅しても癖が抜けない‥が、自宅トイレの場所はわからなくなってるし、介護されて当然と思って帰宅する。
除菌済みのトイレを速攻汚染されたくないがゆえに、クソ狭い・暑いトイレで母のズボン、リハパンを降ろし、
「もっと後ろに下がって。もっと後ろ!その辺で座って!ああ、それ拾わないで。後で拾うから!」
尿をぐっしょり吸ったパッドを床に落とし、更に素手で拾おうとする母を制止つつ指示。
わたし達が考えずに行う行動1つ1つ…
例えば、便座のどの位置に座るのが適切か?
も、母にはもう分からない。
トイレの構造上、母の正面から指示しつつ、
「はい、さっさと出して。おしっこか?うんこか?全部出したらこれで拭いて」
「トイレットペーパーで陰部を拭き」「拭いた紙を便器内に落とす」
これも正面から指示するのは厳しい。そしてクソ暑い…。
介護初期、オムツ以前なら「なんとかトイレだけは自分で行ってくれ!」と願うのはアルアル。
わたしもそんな介護レベル初級期があった。がしかし。
母や父は、ほぼ大半はオムツに垂れ流すくせに、時々トイレに行きたがる。
どの道オムツは替えなきゃいけない上に、トイレ汚染が凄まじい。
「わざわざトイレ行って、手間暇かけさせ、家中を汚染するんじゃねーよ!もう2度とトイレ行くな!」
と思ってる介護レベル最悪期。(最終形態は寝たきり
母のQOLを考えた1時間後には、日々の介護に押し潰されてる。
昼食後はまた「わたしは出かけるの」「仕事に行くの」が始まった。
帰宅後、シャツにシミがついていたので着替えさせていた。でも、
母「でかけるから着替えないと」
延々と言い続けるので、
「今日の朝、あなたはお泊りから帰って来たの。で、わたしがあなたの服を着替えさせて、お昼ご飯食べて、今は14時。これから出かける場所なんかないし、着替えもいりません」
10分後。
ガチャガチャガチャ…
また徘徊する気か?先ほど玄関ポーチすら自分で上れずわたしが抱え上げたのに?
開錠できなかった母が仕事場に来て「わたし出かけなきゃいけないのよ」。エンドレス。まーじーでー帰宅数時間で気が狂いそう。
その後2階に上がった母、着替えたつもりか、
「半そでのシャツの上に、長袖シャツを片腕だけ通し」て降りて来た。どちらも「ボタン全開ゆえ肌着丸見え」。
母「わたし仕事があるから出かけてくるね」
「仕事ないよ。今もう夕方。何時?時計見て」
母「今ぁ~?朝の~2時」
いや夕方の16時だよ!!!!!!!!朝の2時でもおまえの行動はおかしいけどな!
母「違うの?じゃあ、朝の7時」
もう時計も読めないというか、「今は朝で仕事(ディサービス)行かなきゃ」とスイッチ入ると、現実は一切理解できなくなる。
多分、ショートでタオル畳みとか、本人的に役に立ったり褒められたり(それも仕事のつもり)してるのが気分いいんだろうな。
だから家でぼーっとTV見てると「あの感覚が欲しい」とソワソワするんだろう。
家でもタオル畳んでくれていいんですよ?なんなら家事してくれていいんですよ?でも自分のトイレも出来ない、時計も読めないわけですよね?
いつもショートスティ帰宅日がめちゃくちゃキツイ。
それでもショートに行かせ続けるし、元々ディサービスも、骨が折れようがコロナ蔓延してようが「絶対に行け。否は言わせない」というスタンスを貫いて来たけど…
ディサービスやショートスティを断念する介護家族が多い理由も、すごくよくわかる。