母と父

先ほど母をショートスティの迎えに行って、父と母の写真を2枚もらった。

父→やっぱり痩せたな~と言う感じ。目だけがパキパキw

母→パリピ?って突っ込みたくなるほど楽しそう。

 

スタッフ「ちょうど滞在フロアで花火やったので、その時の写真です」

花火!!!!家ではやらんな…。こんな良い写真をいただいてありがたい。

 

 

ショート前の母はこんな感じだったし、

chika05.hatenablog.com

 

久々にがっつり父と同フロア。大騒ぎするんじゃないかと案じてた。

しかし、1月から毎月ショートに行かせ、5月からは月の半分をショートで過ごさせてるだけあり、さすがの母も慣れて来たらしい。

何度も心挫けそうになったけど、諦めないでよかった…!!

今回は、

  • ほぼ帰宅願望は出なかった。
  • フロアで父と会うと「世話を焼きたがる」。
  • 父が傍にいなければ母は興味をなくす(母は「目の前にいないものに興味ない」からね)。父は母がいないと時々「おーい」と呼ぶ。
  • 母は、毎回同じグループ(特養入所)の人たちと過ごすようになってきた。
  • 認知症が重度な人たちの中にいると急に冷静になり、「この人たちどうしたらいいの?」とスタッフに訊いてくる。(以前からディやショートを「仕事」と言うことがある。楽しい時はともかく「手に負えない世話が必要な人を前にすると」仕事しなきゃモードになるのか?)
  • 作業もちゃんとやってくれる。

 

「え、作業とは…?」

スタッフさん「タオル畳みとかですね。1時間くらい集中してくれます」

ええええええ!1時間集中できる母、わたしは知らないなぁ。すごい。

 

家でタオル畳みやそれに類似する家事を頼み「一緒にやろう」と始めても、3秒で「じゃあわたし出かけてくるね」と飛び出すんですけど…

「作業って、大勢でやってるんですか?」

スタッフさん「そうですね。お元気な方とスタッフと。で、手の届かない人には"取ってあげるわよ"とお世話焼いてます」

やはり「人数」か。

母はホントに「色々な人が大勢いる」のが好きなんだな。

 

元々世話好きで、人の役に立ってることで自己評価を保持していた母。

わたしも、出来得る限りで何かを手伝わそうとした時期もあったけど…

もう無理なんだろうな。何も出来ないんだな。

と諦めてた。でも、施設でならまだまだ彼女のモチベーションは高いのか。

 

あと浣腸ね。

  • 母はトイレの手順すら分からないから大惨事が多々起きる。
  • 自宅で、わたしが毎回母のトイレを介助することは出来ない。

=もういいわ、9月からは月2回浣腸な!

と決めたけど、施設では浣腸を使用せずに1週間に2回排便があったそうな。

 

この施設が特別なのかもしれないけど、

施設にいた方が「人間らしく(母らしさを残して」生きていけるじゃんね?

「自宅にいたい」欲求は叶えられないけど…

 

仮に、自宅で投薬も浣腸もしなければ「母らしいか?」と考えた。

シングル介護でわたし独り。圧倒的人員不足で家中排泄物だらけになり、帰ってこない家族や親(祖母)を待ち続け、寂しくなって外に徘徊・転倒を繰り返すだけの母が見える。

わたし独りで家事・仕事・在宅介護を担ってる以上、徘徊、排泄撒き散らし系認知症に対応し続けるの無理。

現状、仕事を削りに削っても転倒は防げてない。母の安全や命にかかわってしまう。

だから「対応しきれないことを、薬や浣腸でコントロール」するしかない。

でもそれは「母らしさ」「人間らしさ」を奪うことでもある。

 

自宅じゃもう叶えられない、母の「人の面倒をみたい」「誰かの役に立ちたい」(更にトイレで排泄する基本的な)欲求、いうなれば母のQOL

施設でなら(職員のサポートありきで)まだ叶うんだな。

だがしかし、特養の壁はまだまだ高い。 ここまで来て他の施設に馴染むまでが可哀想だし、この特養を狙いたいんだけどな‥。

 

 

なんてしみじみ考えながら、送迎者で帰宅。

施設と自宅を行き来して介護してると、自宅オンリーなら起きない混乱が増える。

 

まず、ワンフロア・完全バリアフリーで過ごした後は、自宅玄関の段差が上がれなくなる母。

本日は送迎車から降りることも出来ず、スタッフさんと抱え降ろす。

母を抱えて玄関ポーチを上がりながら、クソ暑い中早くもうんざりする。

 

帰宅後、「トイレに行く」とわたしの仕事場へ入って行こうとする母。

「ウチのトイレはそこじゃないよ!」

1階トイレに母を連れて行く。念のために、

「ここは家だよ。施設のトイレみたいに広くないから手伝えないよ。独りでしな」

母「ええ~手伝ってくれないのぉ?」

施設では極力トイレ介助してくれる。帰宅しても癖が抜けない‥が、自宅トイレの場所はわからなくなってるし、介護されて当然と思って帰宅する。

 

除菌済みのトイレを速攻汚染されたくないがゆえに、クソ狭い・暑いトイレで母のズボン、リハパンを降ろし、

「もっと後ろに下がって。もっと後ろ!その辺で座って!ああ、それ拾わないで。後で拾うから!」

尿をぐっしょり吸ったパッドを床に落とし、更に素手で拾おうとする母を制止つつ指示。

 

わたし達が考えずに行う行動1つ1つ…

例えば、便座のどの位置に座るのが適切か?

も、母にはもう分からない。

トイレの構造上、母の正面から指示しつつ、

「はい、さっさと出して。おしっこか?うんこか?全部出したらこれで拭いて」

「トイレットペーパーで陰部を拭き」「拭いた紙を便器内に落とす」

これも正面から指示するのは厳しい。そしてクソ暑い…。

 

介護初期、オムツ以前なら「なんとかトイレだけは自分で行ってくれ!」と願うのはアルアル。

わたしもそんな介護レベル初級期があった。がしかし。

 

母や父は、ほぼ大半はオムツに垂れ流すくせに、時々トイレに行きたがる。

どの道オムツは替えなきゃいけない上に、トイレ汚染が凄まじい。

「わざわざトイレ行って、手間暇かけさせ、家中を汚染するんじゃねーよ!もう2度とトイレ行くな!」

と思ってる介護レベル最悪期。(最終形態は寝たきり

 

母のQOLを考えた1時間後には、日々の介護に押し潰されてる。

 

昼食後はまた「わたしは出かけるの」「仕事に行くの」が始まった。

帰宅後、シャツにシミがついていたので着替えさせていた。でも、

母「でかけるから着替えないと」

延々と言い続けるので、

「今日の朝、あなたはお泊りから帰って来たの。で、わたしがあなたの服を着替えさせて、お昼ご飯食べて、今は14時。これから出かける場所なんかないし、着替えもいりません」

10分後。

ガチャガチャガチャ…

また徘徊する気か?先ほど玄関ポーチすら自分で上れずわたしが抱え上げたのに?

開錠できなかった母が仕事場に来て「わたし出かけなきゃいけないのよ」。エンドレス。まーじーでー帰宅数時間で気が狂いそう。

 

その後2階に上がった母、着替えたつもりか、

「半そでのシャツの上に、長袖シャツを片腕だけ通し」て降りて来た。どちらも「ボタン全開ゆえ肌着丸見え」。

母「わたし仕事があるから出かけてくるね」

「仕事ないよ。今もう夕方。何時?時計見て」

母「今ぁ~?朝の~2時」

いや夕方の16時だよ!!!!!!!!朝の2時でもおまえの行動はおかしいけどな!

母「違うの?じゃあ、朝の7時」

もう時計も読めないというか、「今は朝で仕事(ディサービス)行かなきゃ」とスイッチ入ると、現実は一切理解できなくなる。

 

多分、ショートでタオル畳みとか、本人的に役に立ったり褒められたり(それも仕事のつもり)してるのが気分いいんだろうな。

だから家でぼーっとTV見てると「あの感覚が欲しい」とソワソワするんだろう。

 

家でもタオル畳んでくれていいんですよ?なんなら家事してくれていいんですよ?でも自分のトイレも出来ない、時計も読めないわけですよね?

 

いつもショートスティ帰宅日がめちゃくちゃキツイ。

 

それでもショートに行かせ続けるし、元々ディサービスも、骨が折れようがコロナ蔓延してようが「絶対に行け。否は言わせない」というスタンスを貫いて来たけど…

ディサービスやショートスティを断念する介護家族が多い理由も、すごくよくわかる。