一喜一憂

最近、またディサービスへ行きたがらない母。

毎朝、7時にリビングの暖房をつけてベッドの母へ声をかけ、ゴミ出したり朝食作ったりしつつ、部屋が温まった40分頃に母を丸め込んで起こし、オムツを替え、車椅子へ移乗。

薬を飲ませて、母が朝食を食べてる間にわたしが身支度。

目を離すと食事で遊び出したり、テレビに見入って食べない母に食事続行させながら、母の髪をとかす。

 

食事を終えると間髪入れず車椅子を食卓から離し、上着とマスク着用。車椅子のまま靴を履かせ、玄関の段差を下ろし、ディサービスの迎車に間に合わす。

 

その間に「眠い」「いく場所(ベッド)があるの」とふらふら車椅子から立ち上がる母を制し、気分を上げ続ける。

送り出すとドッと疲れる、朝8時半。

 

とはいえ、ディ帰宅後はキレッキレに覚醒しており、土曜日は、

母「踊らないと!」

「踊り‥。なんの‥?いや踊っていいですけど‥」

母「踊るの!」

ディサービスで踊って来たのかな??

テレビ見てても「踊り‥」「ほら踊り!」

これはこれで、急に車椅子から立ち上がるから目が離せない。そう言う時は足腰もやたら力強い。

 

「踊っていいよ!ほーらどうぞ」

こちらがノリノリで車椅子に手を差し伸べると「‥それは、いいや」と一瞬鎮静することを学んだ最近。

以下繰り返し10回とかだから、精神力を使う。 

そして、わたしが張り付いてられる時しか使えない。

 

この興奮スイッチが、わたしが仕事中に母が1人の時に入ると転倒徘徊が怖くて、仕事中もディ帰宅後はソワソワしてしまう本末転倒。

 

 

変わって、予定がない日曜日。

わたしが14時まで仕事中、母はずっと爆睡してた。

仕事中、母のお昼を食べさせるため抜け出したら、まだ高鼾。

(朝食後、わたしの仕事前に車椅子でうたた寝してたから、ベッドに運んで寝かせてた)

「おかーさん、お昼いらないの?わたしすぐ仕事戻っちゃうよ?」

起こすも覚醒せず。。正直、わたしが不在時は寝ていてくれた方が安心である。

14時過ぎに仕事を終え、母を起こしてオムツを替える。

母「あら、〇〇(わたし)。いつ起きて来たの?」

「よく寝たね。もう15時だからね。わたしは仕事終わって戻って来たの。これからお昼ご飯」

母「ええー。で、いつ起きたの?」

ポツポツ会話しながら、

いつまでこんな風に母と過ごせるのかな。

と考える。

神経削る毎日もキツい。でも何気ない日常のひと時を過ごせなくなるのも辛い。

 

秋の気候が良い時期、夕方不穏を防ぐため、仕事がなければ17時前後に母を車椅子に乗せ、買い物に行くようにしてた。

秋の夜空と、母の丸くて白い後頭部。

そのコントラストを見ながら、

いつまでこんな風に母と過ごせるのかな。

と考えてた癖が抜けない。

 

そんな先程、夕食を食べさせて、手引きで洗面所に連れて行き(身体機能を残すため、極力歩かせる)、歯を磨き、手引きでベッドに戻し、オムツと着替えをして‥

「もうちょっとこっちにお尻ついて〜!お、いいね!いい位置!」

介護ベッドに寝かせる時、被介護者が「尻をついた位置」が非常に重要であることは父で学習済み。

(足よりに尻をつくと、仰臥してから位置調整がとても大変。ベスポジに尻をつけば、コロンと寝るだけで頭が枕に着地する)

今日の母は、ベスポジに尻をついて、完璧なポジショニングになった。

「わー!すごい!わたし達だいぶ慣れて来た!!」

こういう些細なことが嬉しい認知症介護。喜ぶわたしに母が、

母「わたし達?わたし(母)じゃなく、'わたし達'って言ってくれてありがとう!」

 

こういう一言に泣ける。

つい10分前は、わたしがあーんして母に食事させてたら、「大したもんは口に入って来ないね」と毒付いてたから、いちいち泣けるわたしがチョロいだけかもしれないけど。(だから介護背負う羽目に‥

 

そういえば、先日母の親友達が遊びに来た時、わたしのことを「お母さん」と呼ぶ母に、

友達「やだ!あなたのお母さん(わたしの祖母)、あなたを介護なんか絶対しないタイプだったわよ!」

ぶった斬ってたw

 

母は祖母を介護する気だったらしいが自死してしまった。

母は父を介護する気だったが、自分が先に高次脳機能障害認知症になってしまった。

父は自分の親の介護は妹に託し、自分は母に介護される気だったが、母の変化を受け入れられなかった。

 

で、わたしは父母ふたりを介護。

 

こう言う「介護する人、しない人」ってどこで分岐するのかなー。

介護したら幸せなれるわけではないことは、連日の介護殺人ニュースを見ればよくわかるし、なんの差があるのかな。