洗面所に倒れる

今朝の父。

リハパン1枚でソファでうたた寝してた。

ソファは座面が柔らかすぎて介助もできない。もちろん当人も立てなくなるから座るな!とあれほど…

わたし1人では介助できず(母はまだ寝てた)、車椅子(外用)をリビングに持ち込みなんとか父を移乗。車椅子のままテーブルに移動させ、父と母に朝食を。

 

その後わたしが仕事の準備中、母の悲鳴。

駆け付けたわたしが見たのは、洗面所の入り口を防ぐ車椅子。車椅子と洗面所の椅子の間で床に倒れてる父。

かろうじて車椅子に寄りかかってる。

「母に車椅子を押させ洗面所に行き、洗面所の椅子に移乗失敗orブレーキかけずに移乗しようとして車椅子が移動」だろうなぁ。

 

わたしがブレーキをかけてる間に、車椅子をよじ上り洗面所に入ろうとする母。

「え!待て待て待て待て、二重遭難やめて!!!!あっ、お父さん寝ころばないで!起こせなくなる!」

母「大丈夫!お母さん細いから、洗面所に入ってお父さんを起こす!」

最近、パーキンソン病的症状がひどく、まだ右手骨折も完治してない母がなぜかはりきる。

「リビングの床からだってお父さんを起こせないくせに、なんの寝言言ってんの」

母を制してる間に、完全に洗面所の床に寝る父。

これはもうどうにも出来ない。今日がディの日でよかった…

(毎回で申し訳なくも、父はディの人に救出してもらった)

 

車椅子を活用すれば、介助は楽にはなるんだけど、わたしは極力車椅子を介助に使わなかった。

これ以上父の筋力が落ちたらマジ寝たきり一直線!という理由もある。

が、

父が車椅子に味を占めたら、わたし不在時も母に「あの椅子もってこい」と言い、ブレーキを覚えず、空間認知能力が低下し続けてる父母がまとめて玄関から転落するのは想像に難くなかったから。

 

でも今日はディに行く日だったので、ソファから父を救出し、父をそのまま車椅子に乗せていたわたし;

思ってたより早く、予想通りに展開したな。

介護認定が降りたら、歩行器をレンタルしようと思ってるけど扱えるのかなぁ。

 

 

ちなみに最近の父、9日を最後に「床に排泄」だけはなくなった。

一昨日10日朝は、珍しくベッドで寝てた。

昨日11日は、わたしがリビングに踏み込んだら全裸の父の頭があった。

「うっわ!!!!!なに!!!!」

危うく踏むのを回避したけど、

父の頭部の横にある仕事場とのドアには「何かがぶつかったような亀裂」。

床には微量の血。

「頭打ったの?」父「打ってない」

調べる限り頭に傷はない。腕に大きな擦り傷。

なにが起きたのかよくわからないし、父に聴いても記憶がない。

で、本日12日はリハパンでソファ。

 

ディを増やしてるのもあり1日に数回転倒することはなくなり、ベッドで眠ってることも増えた。

ただ、TVモデムのグリーンライトや電源ランプへの敵視が加速中。

 

父「あれを消してくれ」「消してもいいよ。でもTVも消えるよ」父「それはダメだ、あれだけを押して消してくれ」

モデムのランプはボタンじゃないから押せないよ。

やって見せても納得しない。

連日うるさいので、仕事で使用する黒の厚紙でモデムを覆った。

「ほら、これでライト見えないでしょ。安心しな」父「…(不満げ)」

 

この数日、夕食後は椅子をTV前に置き、ランプを消すための活動に勤しむ父。

黒い厚紙はすでに外されてしまった。

光の刺激に過敏なのだと思ってたけど、彼には別の意味があるのかもしれない。

 

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そして、椅子から立ち上がれなくなる。

気が済んだ頃にわたしが、

「ほら、ベッド行くよ」と声をかけ、ヨチヨチベッドまで歩く。

 

ディがあるからいいれど、これでディがなかったらめちゃ早く進行してしまいそう。

 

 

レビー小体型認知症かな?@在宅医療

在宅医療の先生とケアマネさんが来てくれた。

今後はこちらを頼りにして行く予定だけど、認知症については‥

 

医師「診断を出すには、やはり医大の物忘れ外来に1度行っていただくことになります。認知症にも色々な種類があります。アルツハイマー、レビー小体‥お父様の歩き方、妄想、幻視、レビー小体型認知症ですね。今まで医大の先生から認知症検査を勧められなかったというのも、ひどい話ですね」

 

レビー小体認知症!わたしは絶対にそうだと思ってたよ。

父の独特な摺り足、身体の湾曲(レビーはパーキンソン病的症状が強く出る)、転倒、幻視、妄想‥典型的なレビー小体型認知症だから。

 

あんなに医大に通院し、2月には救急病院整形外科に入院した父。

わたしはどの病院でも「父、認知症診断は受けてないけど認知ヤバいです」とは伝えてる。でも病院側からも認知症検査は勧められなかった。

2月の救急でも「指示が伝わらずリハビリが出来ず退院」と言われ、

「じゃあ、認知症検査してくれませんか?」

とねじ込んだけど、レビーの言葉は出ず、改めて認知症外来利用してくれと言われた。

 

でも、やっぱりレビーじゃんね!

もちろん「俺は認知症じゃない!」と検査を薦めるわたしを突っぱねてたのは父本人。

病院が悪いわけじゃないけども、素人のわたしがレビー小体を調べ「父じゃん!」と思うほど分かりやすい特徴なのに。

 

父の摺り足や転倒が始まったのはかなり前…2018年以前。

少なくとも4年は進行してる。母のアルツハイマーと同時期に認知症発症してたかもな。

 

「2日に医大で頭部CTを撮ってますが、あれでは認知症診断は出来ないんですか?」

医師「ええ、あれだけではちょっと。すぐに医大に行かれますか?」

 

すぐ‥想像して気が遠くなる。30日、抗がん剤治療を止める決断をした医大。2日に救急搬送して自力で帰宅の道を探した医大

父を説得し車椅子に乗せてタクシー拾って‥また‥うわぁ。想像しただけで気が狂いそう。

ましてやレビーの投薬治療は幻視妄想が悪化したり、薬調整が難しいと聴く。

 

「投薬で毎朝の垂れ流し転倒は治るものですか?」

先生「それはなんとも‥。ただご家族が、あれは認知症の症状だったのか!と理解・納得できるという利点はありますね‥」

「わたしは疲れ果ててるので、近々ではなく近いうちに医大外来は検討します。お父さん、近いうち認知症検査に医大行くよ!

医師が「あっ、言っちゃっていいんですか」と驚いた。

でもね~隠して連れ出せる状態ではないし、わたし自身も「父を配慮し、何かを隠して行動する」余力が皆無なんだな。

 

ケアマネさんも、ディの皆さんも、今日来てくれた医師も、

「このご両親を娘さん1人でよくぞ‥」

と言ってくれるけど、

ええマジでホントに限界です。もう無理です。

今の父は上下服を着てますが、朝は全裸で床ですよ。今朝はうんこまで撒いてましたわ。拭いて掃除してリハパン履かせて服着せて、抱え上げてベッドに載せて朝食作って…

と、わたしが話してる間、父は「なに言ってんだ?」的に小首を傾げた。ホント腹立つ。

 

そして、やはり在宅医療。

今の状況だと、転倒時に頭を打ち、朝には亡くなってる場合もある。

心停止している場合はくれぐれも、警察ではなくクリニックへ電話をすること。と注意を受けた。

救急車を呼ぶと自宅に警察が入り、えらいことになる。わたしの周りでも警察で取り調べ受けて、メンタルボロボロにされた介護家族はそれなりにいる。

家族がどれほど人生を犠牲にし、献身的に介護してても、警察には関係ない。

だからわたしは絶対に!看取りができる医師と繋がりたかった。

 

更に「延命処置をどうするか」家族で意見をまとめておくように言われた。

 

認知症は胃ろうや点滴などの延命処置の管を引き抜いてしまう。

母がハサミで「骨折なんかしてない!」と包帯を切り刻んだり、父がオムツを千切るのを見るたびに、

点滴?胃ろう?認知症に延命処置はマジで無理。

と痛感してた。医師も同じ理由で、

医師「認知症の方に延命は薦めません。管を抜き、朝リビングが血の海ってことも多々あるからです」

わかるわかる~。絶対にそうなる~。

「兄弟にも聞いてみますが、わたしは延命する気は一切ありませんので」

母とわたしは昔から「管をつけてまで生きたくない」のは合致してる。

 

 

とりあえずロキソニンを処方してもらい、また来週金曜日ということでお帰り頂いた。

 

医療費の引き落とし口座は、唯一わたしが把握してる家計費引き落とし口座。

「お父さんの医療費、そこから引き落としにするよ!」

父「う…うん(寝てる)」

一応了承のもとに、引き落とし口座を用紙に記入する。印鑑はここで…あれっ!唯一把握してる口座の印鑑がな――――い!また母が持ち歩いて隠したな!

 

印鑑を探し回るわたし。一緒になって探し始める母。隠す母に悪気はない。隠したことも忘れてる。

そんな母に父が、

父「そんなもの探したって無駄無駄」

「ああ?ウチの家計費引き落とし口座の印鑑だよ!最近も介護サービスで使ってんだよ!」

父「…そんなものは三文判で充分だ!」

「銀行口座の印鑑だって言ってんの!口座と通帳と印鑑は紐づけされてんだよ!」

その後、わたしが印鑑を見つけ出したら父は拍手してた。

 

父の性格か認知症ゆえか、自分にも責任がありそうな、だけど自分に対処できない現実を見ず葬り去ろうとする。

でも不安は残ってるから、誰かが横から解決してくれると手のひら返して喜んだりする。

わたしが知る父は、

「マトモ風を装い、実はまったく理解してない」

こういう姿ばかり。

一応父を立てつつ配慮はしてきたけど、19年母の認知症診断時から度々、

「お父さんも行った方が良いよ認知症検査!行くよ!」

説得はしてた。当時から「目に余る状態」はあったんだよな。

 

在宅医療と繋がれたのは大いなる前進。

しかし残念ながら、日々のわたしの介護生活にはまだなんの救いも訪れないのであった。

次のステップは「介護認定見直し」で「要介護度」がどの程度で出るか。

父母のオムツ、Amazonで買ってるけど消費半端ないし…おむつ代助成金欲しいなぁ。

先はまだまだ長いなぁ。

 

 

で、今。

今日も朝から糞尿始末身体介助、家事、在宅の契約‥仕事は進まないし疲れがひどい。

が、母が不穏。

仕方なく母を連れ、父の痛み止めを貰いにイオンまで。

で、帰宅したらリハパン姿の父がリビングをヨチヨチ歩いてる。手には夕刊。

 

先日、あれだけブチギレたのにまた夕方!リハパン姿で!玄関ドアの外に!!出やがった!

しかも、力尽きたのかベッドに座れず(柵に捕まり、座るための方向展開ができない)オタオタしてる。

「また夕刊取り行ったの?なんなんあんた」

てかこれでまた門扉で転倒したら、わたしにどれだけ負担をかけるか分からないのか。(分からない。認知症だからね

いつかお客さんと遭遇したらと想像しただけで倒れそう。来客中、門扉で倒れた父と仕事場へ乱入して来る母を想像するだけで憤死しそう。

 

もう新聞読んでも理解できないし、そもそも読まずに切り裂くだけなのに。

「おら、ケツつくな。真っ直ぐ立て!」

背後から腰を支えベッドに座らす。

これ‥マジ‥無理かも‥

 

 

 

 

 

母の不穏、加速中

今朝の父。

 

全裸で床。ケツの下には尿。

またTV前の椅子がフルリクライニングされ、下に倒れてた。

ベッド上は綺麗だから、ベッドを汚して椅子に逃げるわけじゃないらしい。

汚れたリハパンは2枚転がってる。

 

先日の「オムツ引き裂き」行為を調べたら「パッドが嫌」で行為に及ぶパターンがあるらしく。

以降、夜はパッドもつけずオムツにも変えずリハパンのままにしている。

自尊心の問題もあるのかなぁ…と、夜はわたしがオムツに替えてたのもやめてみた。

 

関係あるのかないのか、あれ以来オムツを引き裂いて撒き散らすことはなくなった。って、あの惨劇は6日か!

体感1週間だけど、まだ2日しか経ってないの…ブログって役立つなぁ。

 

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父を跨いで朝食用意。

母を起こし便失禁発見。処理をする。

 

今日はディがあるから、父を自力で起こす気は毛頭ないわたし。

階下に降り父にリハパンを投げ履くように指示。驚いた顔する父に、

「あたしはお母さんのウンコの処理して、これから資源ゴミ出しに行かなきゃならないんだよ」

父は、母の失敗談を聞くと「まったくママは仕方ないなぁ」的な嬉しそうな顔をする。

 

だがしかし。わたしからすれば「2階に便失禁の母・1階にフルチン&垂れ流しで床に寝る」だ。

「おめーも同じだよ!」

フルチンの父から笑みが消えた。言わなきゃいいけど言っちゃうよねぇ‥。

 

仰臥したままの父にズボンを履かせ、昨日放置されてたサンドウィッチをトースト。

あと父母が好きな大福を2皿に分けテーブルに乗せた。

わたしが2階へ着替えに行き戻ると‥

仰臥したまま再びフルチンになってる父。テーブルの2皿が空になってる。

???

「お母さん、まさか…2皿食べたの?」

母「ううん、違うのわたしは食べてないの」

父「ママは!俺に食わさず1人で食べた!」

 

母よ‥昨夜、夕食後にスイカとかぼちゃの煮物を食い続け(わたしが気づいて止めるのが遅かった)便失禁したというのに…。

こういう因果関係が分からなくなるのが認知症。父も同じだ。

 

仰臥のまま父の手を拭きリハパン、ズボンを履かせ、大福、トースト、水、薬を飲ませる。

母の着替えを済ませてディの準備をしてると、1階のトイレに入った母がまた2階に上がる音。

嫌な予感がして追いかけると、

母「ついてこないでー」

「いやトイレ失敗したでしょ」

案の定、また便失禁。

目の前のものを食べ尽くし下痢を繰り返す癖、やめてほしい。

 

そんなこんなでやっと2人をディに送り出す。週4日コレをやるのもキツいが、家にいて転倒、徘徊を繰り返されるのもキツい。。

 

 

で、本日わたしは18時まで仕事。

リビングとのドアにはこの数年、母の突撃を防ぐために、

「〇時〜〇時まで仕事。絶対ドアをあけるな!」

と張り紙もしてる。(もう字も読めないから意味ないけど)

 

ディ帰宅後の15時半頃、ドアは開けなかった。

が、仕事場の掃き出し窓の外に母がいた。怖っ!

ニコニコして手を振る母。

可愛いけど反応したら負け。突撃される。

幸いお客さんたちは母とは逆側を向いてる。わたしも無視を貫いた。

 

その後18時前。

「〇〇〜〇〇〜(わたしの名)」

ヤバい。母の声。

お客さんたちもアレ?という顔になる。

「ちょーっと、すみませーん」

お客さんには笑顔、振り向いて鬼の形相でリビングとの二重ドアを開けるも、リビングは父が高鼾で寝てるだけ。

 

あっ、玄関か!

 

仕事の玄関に行くと母が乱入直前だった。とりあえず押し戻し自宅側の玄関に戻す。

「なに?なんなの?」

母「お母さん大変なことをしてしまってね‥。お父さんは違うって言うんだけど(以下意味不明)」

「や、大変なこと起きてないから!またお母さんのお母さんはどこ?とか言って怒られたの?」

母「違う。お母さんのお母さんはみんながもう死んでるっていうし、それは言わないんだけど」

「じゃあなんも問題ないし、わたしは今仕事中!」

母「早く終わらせてね」

いやいやいや、認知症の不穏に合わせて仕事を切り上げられるか!

 

仕事を終えリビングに行くと、エアコンもTVもついてないリビングで父が高鼾。母はポツンと座ってる。

今まで、

(多少は)頭が明瞭な父と、アルツハイマー悪化中だけど身体は動く母で何とか過ごせてた時間も、もう無理かもなぁ。

 

母に突撃理由を訊くも、要領を得ない。

夕食を作り、爆睡する父を「起きろ!夜だよ!晩ごはん!!!」と叩き起こした後、

母「ほら。これはお父さんじゃないの。外国で買った服を上下着ている知らない人」

 

…いや父の服の上下はユニクロ。わたしが買い与えてる。

 

母「違うの。誰かの服だから返さないといけないの」

「返さないよ。わたしが!買った!お父さんの!服!まさかそんなことで仕事中に入ってきたの?」 

父「そうだそうだ!」

わたしが仕事中、父も母からそれを問い詰められたっぽい。

しかし父には「これは俺の服で、○○が買ってきた!」と言い切るほどの認知力がない。

母は「知らない服を着てる人=知らない人がいる!」レベルまで妄想が加速したんだろう。で、仕事場に乱入したっぽい。

 

Tシャツは何の変哲もない無地の物で割と最近買った。しかし初夏に買ったスウェットパンツを父はこの夏着倒してる。

母「えーお母さん初めて見たわ」

こんなことで不穏のスイッチ入るのか‥。いやスイッチなんて何でもいいんだろうな。

父が多少なりとも「動いたり、話したり」していればともかく、夕方は母もただただ不安なんだろう。

 

一時、母が玄関から乱入する時期があり、その頃は鍵かけを徹底してた。

最近はリビングとのドアから乱入するので、いくつかの業者に「ドアを鍵付きに交換」を打診してる。でも小さな仕事だから、まだ返信もない。

 

わたしのところに来たかったけど「張り紙」があるから我慢して、窓からのぞいてみたり、玄関を廻ってみた母を思うと可哀相になる。

 

 

 

だがしかし。

これ以上仕事を減らすのはわたしの死活問題。乱入は事業の信用失墜問題。許すまじ。

 

と悩んでると、夕食後また父がTV前の椅子でうたた寝してやがった。耳元で、

「寝るならベッド行け!!!」

自力でベッドに歩いて行った。

 

父は明日の朝も床に転がってるのかなぁ~

明日は在宅介護の初診日だけど、夜中にまた不穏になってリハパン引き裂くと嫌だから、明日になってから伝える予定。

 

 

 

すでに、本日2回の転倒介助&排せつ処理

今朝の父。

  • ベッドの下にリハパンのみで仰臥。しかも「足の穴」に身体を入れ履いてるから腹がパンパンに締め付けられてる。
  • ベッド上のシートには黄色いシミ。濡れたリハパンがベッド上下に放置。
  • リビングに散乱する服。
  • TV前の椅子はフルリクライニングで寝椅子のようになってる。リクライニング直せばいいだけ?壊した?壊してるといいな~。

 

昨夜もこの椅子に座ってた。因果関係は分からないけど、わたしの中では「TV前の椅子→転倒・介助」から「TV前の椅子→座ると翌日父の腰痛悪化」と変化してる。

椅子は暫く放置することを瞬時に決めた。(しかし無駄な仕事は出来る母。いつの間にかリクライニングを直してた!

 

わたしの体調も悪い。足の震えを堪え父をベッドに押し上げ、父の間違ったリハパンを切って脱がす。新しいリハパンを正しく装着。

とりあえず明後日、金曜日!在宅医療診療までは静観しようと思う。

 

週2回回収なのに、70リットルゴミ袋パンパンになる父母のリハパンとオムツをゴミに出し、回収した汚れものを洗い洗濯機を回し、朝食を作り‥父は高鼾で寝始める。

 

起きて来た母はディに行く気満々。

「昨日も言ったけど、今日は水曜日!ディはなし!」

父の朝飯はベッド脇に運び、

「2度とベッドから降りるな」

無駄だけど釘を刺す。ホントに無駄だったんだけどね…。

 

母には、

「15時までは仕事だから。絶対にドア開けないように。お昼はサンドウィッチ買ってある。ふたりで食べて」

冷蔵庫から探せない母のため、ダイニングテーブルの上に並べる。

母「ふたりって~?」

「1人はあなた。お母さん。もう1人はここに寝てるあなたの旦那。お父さん」

 

昨日の夕方、母と手を繋ぎ「今日の父母のお昼」を購入しに行ってる。サンドウィッチであれば父もベッド脇で食えるはず。ま、無駄でしたが。

 

「‥お母さん、パンツ履いてる?」

母「パンツ?履いてるに決まってる!」

確認したら履いてなかった。騒ぐ母を2階に連れて行きリハパンを履かす。

危うくまたダブル排泄テロを喰らうとこだった。

 

その後、仕事に入ろうとすると母が家から出て行く音。慌てて外で捉まえる。

母「〇〇(わたしの名前)はどこ行ったの?」

「〇〇はわたしですが何か?」

母「違うの。もっと小さい〇〇」

母は母で、徘徊中の事故待ったなし状態。連れ帰ると父は高いびきで寝てる。

これもう24時間介護状態ではなかろうか…。

 

 

その後、15時過ぎ。

背中と腰の痛みに耐え、お客さんを笑顔で帰しリビングに行くと‥

 

  • 床に寝る全裸の父
  • 父の横でリハパンを持ち「違うのこの足がこうだからうんたらかんたら」。リハパンの構造を説明し続ける母。
  • 父のベッドは尿とシーツと服でぐちゃぐちゃ。
  • ダイニングテーブルに放置されたサンドウィッチと…山になった茹でうどん‥?

情報が多すぎる。

 

「手に持ってるパンツはお母さんが履いてるのと同じだよ。さっさとお父さんに履かせてね」

「無」の境地で仕事場に戻り片付ける。

 

母は父にリハパン履かせられるのだろうか‥?オムツは無理だろうけど、リハパンくらい出来る‥いや出来ないか。

 

結局リビングに戻り、ずっと何かを喋り続ける母の手からリハパンを奪い、父に履かせる。

「這って。自分でベッドの方に行って」

今朝の介助でわたしの背中もやられてる。

バセドウ病再発疑惑も晴れぬまま、わたしもキレる元気がない。

 

ベッド上は濡れたシートとタオルケット、シーツ‥床には「なぜこの位置で、このシャツがびしょ濡れに??」と思う物体。

それらをかき集め洗濯機を廻す。

今日から天気悪いんだよな‥これが介護の洗濯地獄か‥

 

一仕事して戻っても一向にベッドに近づかない父へ指示を与えつつ、

「あのサンドウィッチなぜ食べないの?あのうどんの山はなに?」

母「(色々な妄想作話が混在し、わたしも意味を聞き取る余力がなかった)!!」

「お父さんはなにか食べた?」

わたしがベッド脇に置いた朝食は皿だけ放置されてる。

何時に食ったんだ??いや、母が食ったのか???父にロキソニン飲ませたいんだけど。

母「お父さんも食べた!」

父「違う!ママは一人で食べた!」

なぜか理性を取り戻す父。テーブル上にはまだまだ4人は食えそうなうどんの山がある。

全然わからん。

 

ベッドに押し上げるも、腕にも力が入らない父。

頭がベッド横の柵に詰まって動かない。

「頭を90度ずらせ!こっちに頭!じゃないと身体が乗らない!」

と指示しても、指示が理解できないのか、身体が動かないのか…。

 

介護ベッドの足を最大限上げて、渾身の力で父を転がし頭の位置を正位置に。それからわたしが尻から脚を抱えてベッドに‥

「ぎゃああ!なにこれ!」

母「そこ濡れてるの。おしっこ!」

ベッドの下も水溜り。思い切り足を突っ込んでしまった。

 

わたしの仕事中に何が起きたの???知りたいような知りたくないような。

 

 

そして今。 

 

  • わたしは朝から何も食べてないーサンドウィッチ残ってるなら食べようか。
  • いや、あのうどんの山どうすんの。
  • 母は‥そろそろ構わないと、また作話か徘徊しそうだな。
  • あ、洗濯終わったかな‥雨か。どこに干すんだよ‥最悪今晩もシーツ洗う羽目になるぞ…シーツが足りない問題…

気になること全部放置して、仕事場の床に倒れ今これを書いてる。

 

今朝から今に至る惨事もまた、父母の記憶からはすぐ消え、同じことを繰り返し続ける。

父は早ければ今夜、また床に転がり尿を撒き散らすだろう。

 

そこに母。

母「ねぇねぇお母さん(祖母)はいつ帰ってくるの?探しに行かないと」

「お母さんて誰?わたしのお母さんはあんただよ。83歳」

母「そうじゃなくて、もっと上のお母さん」

「はぁ?わたしは今、自分の父母2人の介護で死にそうなのに、83歳のあなたのお母さんっておいくつですか?わたし1人で3人同時介護は無理だから、1人は施設に行くしかないなぁ。さて、誰が施設行きますか?」

母「え、じゃあ…もっと上のお母さんはいないかも」

「上のお母さん、いてもいいよ。でも3人で誰が施設行くか話し合ってね」

母「あっ、いなかったと思う」

 

ほう。この手があったか。

次からはこの手で行こうそうしよう。

 

じゃなくて。

介護認定出たらヘルパーも増やして、とりあえず在宅介護の準備かな…と思ってたけど、父の昼夜問わずの転倒・排せつまき散らし。

これ24時間介護状態になってるよね?

 

仮にわたしが介護離職(絶対にしないけど)してても、疲弊して限界迎えるのは目に見えてる状態だなと実感した日。

 

 

 

 

使用後のオムツを千切ってバラまく&在宅医療

在宅医療のクリニックから連絡がきた!

 

金曜日の昼間、初診に来てくれる。

介護認定の診断書も書いてくれるし、ちょうど無くなるロキソニンも処方してくれる。

やっと「介護」と連動できる医療と繋がれた。

クッソ長かった気がしたけど、30日に抗がん剤やめて在宅医療と決めて1週間。

病院の初診受付なんて数週間待ちもあるから、全然スピーディだったかも。

 

父の急落が激しすぎんだよな。今日の朝ですわ。

ついに父、使用済みのオムツを細々と引きちぎりバラまくという暴挙に。

 

昨夜、滾々とわたしの体調不良も訴え、ベッドでTシャツに放尿・全裸になってた父を綺麗にしてオムツをつけた。

 

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しかし朝、相変わらず床にいる父。もちろん全裸。

床には白と黄色の細切れの紙とタオルケット諸々が山になってる。
理解するまで少々時間を要した。

 

「…なにこれ。どうしてこんなことしたの?」

父「いや、切らなきゃいけないから‥」

「おむつを?」

父「…」

「尿が染みたオムツを細切れにしなきゃいけないの?そりゃあ認知症以外の何者でもないわなぁ‥」

 

昨日に続いて、わたしにキレる余力がない。

言わない方がいいことを飲み下す余力もない。

 

手袋して細切れのオムツを拾い集め、父にリハパンを履かせる。背中にも頭にも引きちぎられたオムツの断片が。

床や手、体を拭き取りながら口は止まらず。

「昨日、わたしの身体も足腰立たないって説明したよね。それも忘れたの?」

父「覚えてる」

「で?この始末。あんたもう認知症待ったなしだわ。躊躇なく認知症だわ」

父「いや俺じゃない。俺が切ったんじゃない」

「ははぁ、じゃあ誰が?」

 

元々、週末にわたしが兄弟を集めてる。

まずは父母の介護状態を知ってもらうこと。

そして父の資産‥というほどではないけど、入院するたびにわたしや母が立て替えてる。もちろん先日の救急車関係もわたしが払ってる。

なにせ本人が暗証番号すらアヤフヤ。印鑑も不明。

窓口に連れていくにも理解力がほぼゼロ。しかも労力がかかりすぎる。

 

こんな不透明なまま認知症認定されたら、色々面倒になる。

だから、認知症認定される前に父母含めて全員で話すべきだと思った。

 

しかし、悪化の加速がエグい。

在宅医療でさっさと認知症認定して投薬治療を初めたい。投薬も効くかはわからない。合わない薬はむしろ悪化を招くだろう。

しかし、この速度を抑えないとマジわたしが死ぬ。

 

ということを細切れのオムツを回収しつつ父に話す。

父「お金の話は、俺がみんなにする」

「いや、つかわたしが招集かけたんですけど?本来は親が子供を集めて1度話すべきだよな。でもあんたら何もせず、2人揃って認知症だよ。気楽なもんだよな。もう猶予ないよ」

父「…」

 

母が起きて降りてくる。ちゃんとリハパン履いてた。偉い。

父にリハパンとズボンを履かせ、仰臥でもまだ着せられる「前開きのジップアップ」を着せた。

 

厚切りパンを父と母に半々に切り焼いたトースト。

母が床に置き、オムツをまき散らした床に仰臥したままバクバク食べた父は言った。

「もっと!」

うわぁ…

 

母を着替えさせ、仕事の準備をしつつリビングを覗く。

床に仰臥したまま、母に持ってこさせたらしいカミソリで髭をそる父。

うわぁ…もっと根本的な衛生観念を持てよ…

 

これまた母に持たせたらしいTシャツを手にする父。わたしを見ると、

「これ着たい」

「被り物ってぇのは、頭と背中を床から離せる人が着るもんだよ」

断るとびっくりした顔をする。

おまえ1時間前にわたしに何させたか覚えてんのか?忘れてるんだろうな。

 

でも大丈夫!写真も動画も撮ったから!!!!

 

在宅医療の先生には、そんな朝の顛末も話した。

先生「オムツを引きちぎって…認知症の症状ですねぇ」

「ですよねぇ」

父は性格を示すようにオムツをそりゃあ細かく手で千切ってた。先日は新聞を千切ってたから、何か「千切る理由」があるんだろう。

母も時々、ハサミでリハパンを切ってる。認知症怖い。

 

 

そんな本日、わたしは17時まで仕事。

仕事の休憩時間に、リビングに掃除機をかけ、除菌消臭スプレーをまき散らした。

 

15時過ぎにディから帰宅した母が、仕事場に乱入してきたらショートにぶち込んだる!と思ったけど、おとなしく待ってた。偉い。

 

父は…またTV前の椅子に座ってた。

洗濯機が廻ってる。母は洗濯機の使い方も忘れるから、ディから帰宅した父が洗面所に行き、洗濯機を廻し、TV前の椅子に移動した…できたのか??

 

父の認知は1日の中でかなり波がある。

身体も、昨日の「身も起こせない」状態と今日の状態…バイオリズムがよくわからない。

 

少し様子を見てみるかと、足の震えを堪え夕食を作り、相変わらず「テーブルで食べる」という父の手を引き食卓に座らせた。

食後はスイカと桃を切り、食べさせた。

またTV前の椅子に座るという父を介助し、座らせた。

その後、懲りずにうたた寝する父を起こし、ベッドまで介助した。

 

今までは「認知症だろう」。

今朝の惨状を見るに「認知症だな」。

この違いは大きい。

わたしがブチ切れるほど、認知症はやらかす。

母を見ていれば、本人の欲求が満たされてれば割と穏やかなことも多い。

 

ま、その「本人の希望」というのが無理筋なわけで。

しかも、2人の認知症を1人で介護し続けるのは無理。

でもまぁ、ショートスティの相談は金曜日の診察までは保留しようかなぁ。

 

(とか言って明朝、「ショートぶち込んだる!」とブチ切れることが起きていそう)

 

身体の限界&Tシャツに放尿

父。

2日に救急搬送、その夜全裸でソファに倒れ、わたしブチ切れ。

3日朝も床に倒れててブチ切れ。

とりあえず、3日4日は昼にロキソニンを飲ませ、夕食はダイニングまで手を引いて移動した。

3日以降はオムツも拒否、自分でトイレに行きリハパンを交換。

 

しかし4日の夜、またTV前の椅子でずり落ちそうに。

「その座り方、やめろっつーの!」

わたしの一喝で姿勢を正した。

 

それが原因か分からないけど、5日の今朝はベッドで座位になれないほど父の下肢に力が入らず。

わたしが介助しても尻が滑ってどうにもならない。

「もういいよ。ディの人に介助してもらえ」

なんとかズボンだけ履かせ、車いすをベッド脇に移動。迎えにきたディの男性に「抱え上げられ」移乗した。

こ、この移乗、わたしには無理だな。

というか、おまえ(父)も自力で頑張れよ(怒)

 

ディにも説明し、昼食後も痛がるならロキソニンを飲ませるように頼んだ。

帰宅時も同じくディの男性にベッドまで介助してもらう。

父自身が動く気がないのか、痛みはない(ロキソニンは飲んでる)のに今日は寝たきり状態。

 

そんなわたし自身、昨夜から足腰に力が入らず…

3月から、喉の腫れと手の震えで「バセドウ病再発かも…」と気になってた。が、久々に通院すれば再検査に約1日かかる。行く時間がないまま怒涛の8月。

 

バセドウ病、一気に甲状腺数値が上がると脱力し足腰が立たなくなる。

まだ腰は抜けてないけど、自力で起きる気がない父を座位にする力が到底出ない。

 

それでも、今日は久々に父母ディ・わたしの仕事はオフ。洗濯機を何度も回し、掃除機をかけ、除菌に勤しんだ。

ディ帰宅後の母が、

「おばあちゃん(祖母)が買い物に行ってるけど、いつ帰ってくるの?」

と徘徊のサインを出してきて、暑い中散歩につきあったあたりから足に震え。ああ、これはヤバいと仕事場の床に寝る。

 

ディの入浴で出た父の洗濯物を干さなきゃな…そろそろ夕食を作らないと母が不穏になるし…

今日何度目かわからない洗濯物を2階に干し、「今日はオムライス!」と宣言し、母に玉ねぎのみじん切りを頼み仕事場の床に倒れる。

 

バセドウか、在宅に繋がったことにより力尽きたのか…明日も父母はディ。わたしは10時から仕事。うまく送り出せるだろうか…

 

母「ねぇ。みじん切りが細かく出来ないから見て~」

這い起きて、キッチンを見に行く。父は大口開けて寝てる。

「うまいうまい。じゃあ今度はこのご飯と炒めて。炒め続けて」

アルツの母、気に入ったことはずっとやり続ける。弱火でケチャップライスを痛め続けてもらい、また床に倒れるわたし。

 

入院は嫌だ!と騒いだ父。

それで本人はベッドで身を起こすこともできないまま、過ごすつもりだろうか。

あ、いや床の転倒を起こすより寝たきりの方が楽だけど。

いきなり上体も起こせないってなに。いや待て、今までわたしが渾身の力で持ち上げてただけで、わたしの力が尽きたらこれが通常運転なのか???

 

なんとかオムライスを作り、食卓に並べ、爆睡し続ける父をたたき起こす。

「お父さん、晩のご飯!!今は夜だよ!!どっちで食べるの?」→父「テーブル」

上体も自分で起こせないのに????

「わたしは今日調子悪いから、自分で来てね」

さっさとこの業務を終わらせたい。先に食べ始めるわたし。父は当てが外れたような顔をしている。

 

わたしがヒドイ顔をしていたのか、

母「○○、眠そうね!じゃあお父さんはお母さんが手伝う!」

母は…やっぱり母なんだよね。役には立たないし、頭おかしいけど、母なんだよね(涙)

 

もちろん起き上がる気配がない父を、母はどうにもできない。父は父でまた幻視を見てる。

「おい、これを切ってくれ!」

「また幻覚見てんじゃないの。目の前には何もないし、切るべきものもない。お母さん、もういいよ。わたしと一緒に食べなよ」

わたしが食べ終え仕事場に転がりに戻ると、母は1人で夕食を食べることになる。それは=妄想・作話のはじまり。

母「いいのよ~○○は早く寝なさい」

「いや、仕事たまってるし、寝ないんだけどもね」

母「大丈夫!お母さんがお皿洗っておくから!」

「いやこれは家事で仕事じゃないんだけどね…でも、お母さんありがとう」

父「俺は、腹減ってないんだよ!」

「ふーん。じゃあ食べなくていいよ」

父のベッドサイドに吸い飲みの水、スイカ、薬を置いてわたしは仕事場の床に戻る。

ん?…嫌な予感。

 

キッチンに戻ると案の定、自分の分を食べ終えた母が、父のオムライスを食べてた。

認知症あるある。

食い尽くして腹を壊して便失禁まで予測できた。

 

「お母さん、これはお父さんが夜中に食べるからラップしとくね」

母「あらそう。お母さんもね、食べ始めてこれは少し多いなぁと思ってたの」

ですよねぇ…。

 

微妙に不穏傾向の母につきそい2階に上がる。

昨日は自分でトイレに行ってた父。

今日のあのやる気のなさでトイレはどうするつもりだろう。普段なら先を読んだわたしが「オムツ!!!」とチェンジするけど、明日の朝の惨事覚悟で、放置するかなぁ…

と思いつつ、22時頃仕事場に戻った。

 

すでに、惨事は起きていた。

 

ベッドの上で全裸の父。足元に脱いだリハパン。わたしが買い与えたばかりのTシャツが下半身に。

 

「なんで裸?リハパン履いてよ」

よく見ると、下半身を覆うTシャツは尿まみれ。それ…わたしが買ってきて、今日下ろしたてのTシャツね…

 

オムツをつけるにも、父の腰も上がらず、腰の下で塗れたシートを引き出すのも一苦。

脱ぎ捨てられたリハパンを捨てるために手に取ると軽い。なのにベッドに敷いたシートは濡れてる。

リハパン脱いでベッドの上でTシャツで股間を覆って排尿したのか???うわぁ‥

 

「お父さん、わたしも持病があります。忘れてると思うけどバセドウ病。今日はもう足腰に力が入りません。わたしも限界だって何度も言ってたけど、お父さん理解しなかったよね」

バセドウ病は、腰が抜けた状態になることがあります(症状は多様)。となると、ベッドで自分の身体も起こせないあなたが、入院が嫌だと言っても、わたしはわたしの面倒を見るのに手いっぱいになります。この状態ではわたしにはどうにもできません。だから、ショートでもなんでも行っていただきますね」

淡々と話した。あのブチギレてる時はまだ元気な証だったんだな。(わたしが

父はわたしの態度がガラッと変わったこと理解してるかな。してないでしょうねぇ。

 

わたしが明日、回復してればさておき。

回復してなかったら。

そして、もう処理できないレベルの惨事になっていたら(なっていそう)。

ディはお休みして、緊急ショートスティに両親ともにぶち込めないかかけ合おうかなぁ。

 

今日の父は朝食、食べてない。昼食はディで食べてる。夕食も食べてない。

わたしの足腰が効かないとそりゃそうなる。だって本人、痛みがなくてもやる気がないんだから。

で、わたしはやる気がない父を力任せに介助するパワーがもうないと。

 

ショートは「納得・説得していかせる」ものだと思ってたけど、今日理解した。

納得してようが、してまいが、ぶち込んでやる。

 

 

 

少し進展

今日は少し進展。

 

まず医大の相談室から電話があった。

医大泌尿器科の先生が在宅医療のクリニックに紹介してくれたらしい。予想したより早い!

2日に救急搬送で父が来院した情報も流れており(わたしが救急の先生に訴えたんだけど)、

医大「先日は大変でしたね。緊急性が高い患者さんということで、午後にでもクリニックから娘さんに電話が行くと思います」

 

現在時間20時過ぎ。電話来なかったけど(笑)

あの医大への救急搬送が効いたのか!

在宅医療クリニックは忙しいらしいので、繋がれたなら明日でもいいわ。

 

先月末、相談室から電話もらった時は母の整形外科診察中、

「今、母の診察中で‥ちょ、お母さん座ってて!あの。母も認知症なもんで!」

と切羽詰まってたので、

医大「お母様のこともありますし、娘さん1人では大変な状況が続いてると思います。そこも伝えておきました」

医大くそ!とか思ってすみませんでした!

 

この担当さん、5月の骨シンチの時も相談してる。

 

chika05.hatenablog.com

 

あの時の父の混迷も酷かった。相談員さんもあきれてた。

医大「お父さん、認知症的な症状も強いですよね。クリニックは神経内科もいますしまずは認知症検査をされたほうが‥」

で、す、よ、ね。

 

救急で「近くの整形外科で痛みのコントロールをしたほうが」と言われたことも聞いてみた。

医大「痛みのコントロールですか?腰の痛みは前立腺ガンからかもしれず、在宅の緩和ケア担当医と相談できますよ」

そうなんだ!骨シンチでも多少の骨転移はあったもんね。腰痛も緩和ケアの範疇になるのか。

 

一般的なCTでは異常なし。ガンの骨転移では(多少の)転移あり。

このあたりの匙加減が素人には分からないから、腰の痛み=ガンと結びつけていいとは思わなかった。

 

医大で治療を受け続けたい?なら担当医師が指示した骨シンチ検査受けろや!」と父にブチ切れたわたし。

業を煮やし医大ガン相談室に相談電話したわたし。

2日の救急搬送で、迷わず医大を指定した時のわたし。

全部、思い出すのも嫌なほどキツかったけど、直感的な選択は間違ってなかったと褒めてあげたいー。

 

 

その直後、ケアマネさんからも電話。

ディサービス、現要支援の父は週2回しか通えない。

が、ケアマネさんが暫定要介護として週4回頼んでくれたらしい。

「お嬢さんのあの記録、50分かけて読み込みましたよ!わたしが要介護を取りますから!」

実は介護認定見直しを決めた8月19日から、父の介護記録をつけて提出するように言われていた。

仕事柄、pcは常に稼働してるので仕事の合間にポチポチ出来事を羅列。

が、急激に地獄絵図を展開した我が家。渡す前にまとめようと思いつつ時間がなく、かなりのボリュームになっていた。多忙なケアマネさんの時間を消費してしまったけど提出してよかったw

 

あと介護認定見直し申請に足りないのは「主治医の診断書」。

3月の見直しは、救急搬送された先の整形の先生が完璧な診断書を提出してくれた。

だって「指示が伝わらずリハビリでの回復は望めない」から退院させられたんだし。なのに「要支援」しか取れなかった。

 

ケアマネさん「あとは医師の診断書ですが、循環器内科の先生で大丈夫ですか?」

「今、その先生しかいないんですよねぇ…」

 

父はガン発覚前から医大の「循環器内科」の先生が大好き。名前はよく聞いていた。が、なぜ通ってるのかわからない。謎の科。(血圧は低めらしい)

この先生が以前「介護認定の診断書」を書いてくれたことがある。

 

が、8月上旬にわたしが初めて医大の診察に同行したら、

父「やぁやぁ先生。娘です」

循環器内科「あ、どうも~。じゃあ血圧図りますね。変わりないですね。じゃお薬出しておきますね」

終了。

何で通ってんだろう??先生が好きだから????(血圧は低めらしいが)

どう考えても「泌尿器科前立腺がん)」の優先順位が高いので、わたしも特に父の状態を説明はしなかった。

 

しかし泌尿器科の担当医からは「介護認定診断書」は断られており、在宅医療とはまだつながっておらず、現状その先生しか当てがない。

 

「在宅の先生、早めに1度訪問してくれるみたいだけど、いきなり診断書は書いてくれないですよねぇ」

ケアマネさん「うーん。それは何とも…。ただ循環器の先生は現状をご存じないから弱いかなぁ」

「ですよね~。わたしも8月にお会いした時に説明しなかったし…。じゃあ、在宅の先生が来てくれた時に確認してみます」

 

以前も「外出は車いす」「自宅2階には上がれない」父が、なぜ「要支援認定」なのか理解不能だった。

けど改めて「要介護に見直し申請」出すのもマジ大変。