死んでる人は見えますか?

昨日、初診予約が取れた大病院へ診察に行って来た。

 

大病院の初診や初診療科は手間もかかるし待機も長い。通院ヘルパーさん・介護タクシーを手配し万全の態勢を敷いた。

 

案の定、初診手続き、紹介状のアレコレ、問診シート記入などにわたしが飛び回ってる間、通院慣れしたヘルパーさん(先輩)に車椅子介助を頼む。

どんどん座位が崩れる父。先輩に持ち上げ直してもらう。

わたしが通院を渋るのは、父が「座位を長時間保てない」のが大きな理由。

 

診察室前でも待つこと40分。どんどん落ち着きがなくなる父。

なのに本人は「(医大の)皮膚科に行く」だの「(医大の)泌尿器科に行く」だの、気軽に言うんだよなぁ。理性がない奴は最強。

 

神経内科の待ち合い、他の患者さんもパーキンソン病かな?レビーかな?と思う椅子利用の高齢者が多い。この時点で微妙に察してたけど、診察で腑に落ちた。

 

やっと診察室に呼ばれ、まず、

医師「在宅の先生の紹介状、ものすごく詳しく書いてくれてますね。おかげで大体の状態分かりましたよ〜」

先生…!さすが一緒に全裸の父をベッドに抱え上げた仲!ありがとうございます…!

 

医師「お父さん、長生きですね~。これはもう素晴らしいことです。まずはそれが大前提として」

暗に「高齢ゆえ"治療"が出来ないこともある」とくぎを刺される。

 

神経反射や動き、認知の検査をテキパキこなす医師。もちろん、今の季節すらわからない父。そこにぶち込まれた質問。

 

医師「死んだ人は見えますか?」

え!

父「見えません」

医師「そうですか〜。割といるんですよね。影がないから死んだ人、影があるから生きてる人って区別する人もいます」

ほぉ。アルツの母もよく「さっきお母さんがいた」と言うけどアレは「作話」。

父が見てる「モノ」はまた別物なのはわたしも分かる。が、死者を見る人もいるのか。

「父は糸が見えるみたいです!」

医師「糸や虫も多いですねー」

「あと電波にハマってます!」父「言わないでよ!」「いや、それを言いに来てるのここに!わざわざ!」

医師「大丈夫ですよ。ここはそういう人ばかりですから」

そうなんだ…脳神経外科とはずいぶん趣が違うのね…(察し)。

 

医師「お父さんの血縁で神経系の病気の方は?」

父「‥」

母型の叔父はパーキンソン病だけど、父方の叔父2人は脳出血系ですでに他界。叔母‥杖ついて引きずるように歩いてたな。あれなんだろう。

自分の学歴や仕事すら返答できなかった父は首をかしげるばかり。

 

そう。

父は「自分の仕事・務めた会社名」も失念してた。「昔のことはよく覚えてるアルツ」と「レビー小体型認知症」は違う認知症なのだと痛感する。

 

医師「よし。パーキンソン病の検査もしましょう。認知症と‥自律神経も気になるなぁ。全部調べましょう」

やはりパーキンソニズム‥!

医師「お父さん、便秘は?便秘してない?」父「してません」

「いや、してると思うんですよ。でも絶対にしてないって言うんですよ」

医師「ですよねぇ。してると思うんだけど…」

言いながら、10月に検査予約をガンガンぶち込む医師。

 

脳シンチダットスキャン(ドパミン神経の変性、脱落検査)、頭頸部MRI、脳血流シンチ、心筋交感神経シンチ(心臓)

10月は4回も通院…。しかもシンチグラフィーと言えば!

 

chika05.hatenablog.com

 

クッソ腹立つトラウマの記憶がよみがえる。

しかもめちゃ時間かかるじゃないですか!

レビー小体型認知症をガチ治療する為にシンチグラフィーが必要なのは知ってる。でもそこまでやらなくてもいいんですけど…。

「今日MRIってわけにはいかないですかね」

医師「そうですね、ただ空いてる日があれば早めに入れますから!」

10月中旬なんて3日連続で通院。

家族も暇じゃないんですよ…

「検査はわたしが来なくてもいいんですよね?」

医師「そうですね。全部の検査を終えて11月に診断になります。その時は関係者全員集めてください」

関係者‥

 

いま父母を取り巻く関係者=肉親ではなく、ケアマネさん、ディの皆さん、在宅医、ヘルパーさんが思い浮かぶ。

この場合はどの関係者?

医師「今、ご家族は?娘さんが主たる介護者ですよね?」

「そうです。わたしとアルツハイマーの母、3人暮らしですが、わたしの兄弟を呼ぶべきですか?」

医師「いいですね!ご兄弟!いいです」

先生の勢い良すぎて、よくわからんw

 

母のアルツハイマー診断では「関係者集めろ」なんて言われなかった。

レビー小体型認知症…というか、重度レビー小体型認知症でパーキンソニズムが出現しほぼ寝たきり状態の父の場合、また「何かの選択」を迫られるのかもな。

 

医師も一応、

「僕はただの検査は薦めません。治る可能性があるから検査を薦めます」「パーキンソンなら投薬で治りますよ」

とは言ってた。言ってたけどね!

 

この2,3日、父は割と落ち着いてる。

幻視・妄想・「歩ける」「トイレいける」錯誤で床に転倒することもない。

ただのバイオリズムかもしれず、投薬効果はあまり期待はしてないけど、まぁ平穏。母の徘徊・妄想の方が今激しい。

 

これがパーキンソニズムの治療に入ると、妄想・幻視が復活する。

逆に妄想・幻視の投薬をすればパーキンソニズムの症状が悪化する。今はどちらかと言えばこの状態。

 

身体が動くようになれば、また転倒を繰り返す可能性もある。妄想でまた杖を振り回すかもしれない。

レビー小体型認知症の投薬はこのバランスが厄介なので、入院加療させたかった。

 

もし11月に医師がパーキンソニズムの投薬を始めるというなら、わたしは入院加療を頼む気がする。

だが、年齢を考えると多少動けるようになったとしてもほどが知れてる。

抗がん剤治療も止めてるし、ガンの進行も加味すれば、わざわざ入院させ、パーキンソニズムの投薬を開始するより、家で枯れていくのを見守った方がいいのかなぁと思ったりもする。

 

もちろん、この数日が穏やかだから「家で見守る」なんて発想が出るだけで、また「電波が」「俺はトイレに行く」なんて言い出し床に仰臥したら、

「おめぇさっさと入院加療して来いや!」または「もう加療はいい!さっさと施設!」

と思うんだろうけど。

 

または有効な治療法がない宣言が来る可能性もあるな。医師もその予防線で、

医師「お父さん、長生きですね~。これはもう素晴らしいことです。まずはそれが大前提として」

と言ったんだろうな。

 

診察を終え、外で介護タクシーを待ってる間、父がタクシー乗り場を指差した。

「タクシーに移乗できないっしょ」

自分で立ち上がることも出来ないのになぜタクシー移乗ができると思うのか。

っていうか、この人を連れて10月は4回の通院…目眩。

ヘルパーさんに、

「‥タクシー移乗、行けると思いますか?」

先輩「え〜と、ご自分で立ち上がることが出来れば‥」

デスヨネ。

通院時は特に、移乗で体力使うと病院で持たないしな…。3時間の待機時間も病院で待てないだろうな。

1度自宅に連れ帰り…10月は何回介護タクシー使うんだ‥??

 

わたしの仕事とすり合わせ、ヘルパー手配と介護タクシー手配、そしてイマイチ理解してなさそうな父への説明…

その苦労の果てに来る11月の診断は、どう転んでも「ハッピーじゃない」ことは確定してる。

母の認知症認定以降、ずっとこんなことの繰り返し…で、難易度は上がり続けてる。

これが嫌だから入院加療を…あ、入院させてくれる病院がなかったんだった。

 

 

そんな1日だった昨日。

病院からのタクシー待ちで父が連呼してたのは、

「ワイフに会いたい」

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2~3月入院した時も、「ワイフに会いたい」と言って看護師さんに受けてた。

ま、そのワイフはアルツハイマ―絶好調で父のことともわからない時が増えてる。カンファレンスで退院を決めたのも、ケアマネと連携し1階に介護ベッド入れたのも、全部娘のワタクシなんですけど。まぁそれはいい。

 

父にとって、家に帰る=ママ(妻)

 

これはまぁ微笑ましくもある。

 

 

しかし本日。

夕食を作ってると母の友人から電話が。母を呼び聴くとはなしに聴いてると、

母「お父さん?旦那は今、仕事よ~!まだ帰ってこないの」

母、何歳設定のスイッチだ?

母の親しい友人たちは我が家の状況を知ってる。

介護歴のある人も多いから「お母さんに続いて、お父さんまで…○○ちゃん、大丈夫?」と、わたしのことを大いに案じてくれてもいる。

 

母「え?寝てる?ああ、寝てる人はいるけど、あれは旦那じゃないわよぉぉぉ~」

アルツハイマー、残酷。

「何言ってるの。あそこで寝てるのはお父さん。あなたの旦那」

母「え!アレ旦那なの?…え?そんなこと言っちゃダメ?でも旦那じゃないわよ~だって寝てるの。サボってる!元気じゃないのは旦那じゃない」

父「ひどいな…」「お母さん、ひどすぎるよ…」

 

以前は、母にその手のことを言われるたびに不穏になってた父。

今は「ワイフ」にそんな言われ方しても不穏になる気力もないらしい。

せっかく電話してくれた母の友人も「しまった」と思ったろうな~。

 

母はいつだって友達と楽しくお喋りしたい人。

でもそうやって縁遠くなっていく。お友達の気持ちもわかるし、母が悪いわけでもない。

認知症、恐ろしいな。