母がショートスティ中の本日、母の親友Yさん宅へ焼香に行ってきた。
母、Yさん、Iさんはわたし達兄弟の小学校PTA仲間。
3人は45年来の親友であり、同然ながら母と同年代のマダムだ。
Iさんは他県に越したけど、Yさんはまだ近所に住んでいるので、単身介護してるわたしを心配し、よく遊びに来てくれていた。が、
1か月前、Yさんの旦那さんと娘さん(40代)が相次ぎ亡くなった。
母も親しくしてた旦那さんと娘さん。だけど、Iさんから、
「お母さん混乱するから、言わない方が良いよ」
と言われ、母にはまだ伝えていない。
確かに、現在進行形で老いや終末期に抗ってる母に言ったら、また妄想と徘徊が加速しそう…。
Iさんと一緒に、母の名代で2つ並んだお骨に焼香した。
詳細は避けるけど、お2人とも立派な最期だった。
Yさんは今後、ひとり暮らしになる。
他人事ながらツライ…けど、Yさん相変わらず明るく楽しく話してくれた。
Yさん「最期はホスピスがいいわよ!最後の2週間くらいしかいられないけど、みんな本当に皆優しくて天国よ!100万円から5万円まで部屋があるの」
ほぉ。ホスピスは2018年、父の前立腺がんのタチが悪いと聴いた時に調べた。
良さそう…と思ったけど、ホントに良いのか。
Yさん「ね、わたし達3人は絶対に最期はホスピスよ!」
え、わたしですか??????
「え、わたし頭の中で父の最期をイメージしてたんですけど…」
Yさん「馬鹿ね。あなたのお父さんやお母さんは、人のお世話になることがOKだから施設でいいのよ!わたし達3人はそういうの苦手(3人とも介護経験&介護中)でしょ!だからホスピス!」
めちゃ笑った。わたしが仲間なんだ。
でも最後の2週間、赤の他人にめいっぱいケアしてもらって旅立てるのは、確かに理想的かもしれない。
終活の最終地点をホスピスにしよう。
なんなら子供や父より、母のことを裏も表の知ってる親友2人。
何気ない会話から、わたしが知らない母の側面を知る機会でもある。
父と母のなれそめや、母と自死した祖母の関係、父のやらかし数々(総じて母の友人からはイマイチ評判が悪い)…
IさんYさん「なんで○○ちゃん(わたし)知らないの!?」
と驚く話ばかり。
わたしは記憶力がないから覚えてないのか、興味なかったのか。
そこで、今日は母が祖母の自死後に色々苦しんだこと、父側の親戚関係と苦労が多々あったことを聴いた。
在宅でマンツーマンで認知症介護をしていると、「母であって母ではない」状態を看続けることになる。
元気だった頃の母の記憶はあるけど、わたしに見せる顔は割と強気な顔だったから、若い頃に母が母なりに色々苦しんで努力してきた姿は、あまり知らない。
介護状態になってからの方がシモから食事から、関係が密になるし、2019年以降の認知症の母との付き合いが濃厚で、わたしが忘れてしまっただけかもしれないけど。
だから、今、改めて、
今のわたしと同世代くらいの母も、色々苦労していたんだ。
と、第3者から聴けると、
「今はああだけど、母もずっと頑張って生きて来たんだもんね…。最期くらいは認知症でもいいのかな…」
と感じ入ったりする。
その苦労は話を、母本人からドヤ顔で聴いたらイラっとするんだろうけど(笑)
海千山千一緒に乗り越えて来た親友たちの客観的な話として聴くと、素直に耳に入る。
母と同世代の母の親友たちから、母がわたしくらいの年齢だった頃の苦労話を、母を介護中の今、聴けるありがたさよ。
IさんYさんは、母の母(わたしの祖母)とも仲良くしていて、
「やだ~ウチ、祖母・母・わたし(娘)三代でYさんとIさんにお世話になってるってことですね!これからもよろしくお願いします!」
厚くお礼を言っておいたけど、ホントにありがたいよ。
Yさん、独り暮らしになってガックリ来ないかな…せめて母もマメに行き来さてあげられれればいいけど、難題が色々あるな。
母へは、
わたしと同世代の時は、あなた友達と海外旅行三昧だったのに(IさんYさんと)、父の介護をわたしに丸投げで…
という気持ちも少なからずあった。
母が脳卒中で倒れた2010年から、元の母ではなくなったので、今はそんなに強い気持ちではないけど、根底にはずっと抱えてるんだろう。
でも、独身のわたしと違い、旦那の親戚付き合いとかの苦労を背負ってたのね。
と思うと、少し優しい目線で明日迎えに行ける気がする。
気がするだけで終わるかもしれないけど。
認知症介護は、こういう感謝と絶望の繰り返しなんだろう。
ちなみに現在、お葬式や火葬も1か月待ちの大混雑だそうだ。
「じゃあ遺体の冷凍保存代が嵩みますねぇ」
Yさん「そうなのよ!大変なのよ!」
こうして介護とか介護施設とかホスピスとか葬式とか、そんな話にばかり情報通になって行く怖さ。
Yさんの旦那さんは、最期は眠るように笑顔で自宅で亡くなった。
(訪問医を入れてたので、警察介入なし)
焼香に来る誰もが、
「旦那さんのように死ねますように」
と手を合わせるという。もちろん、わたしの最期もそうお願いしておいた。
認知症介護すると死生観が変わるよねぇ。