特養へ父の面会に行ってきた。
先日のショートスティで父と母が同じフロアで過ごし、不穏問題もなかったので、母も同行させて面会する予約を入れたんだけど、
まさかまだまだこんなに暑いとは…後悔。
ディから帰宅した母の洗濯物を洗濯機に突っ込み、オムツを替え、悩んだ結果、車いすにした。
特養は、往路はタクシーでもいいけど、帰路のタクシーがつかまらない場所にある。
帰路、母に日傘差し掛けながら手を繋ぎ、立ち往生・転倒するのをセーブしながら歩く‥想像するだけでもキツイ。
だったら往復車椅子でダッシュした方が良い。
車椅子の母に差し入れのアイスとヨーグルトを持たせ、暑さに倒れそうになりながら施設へ行く。
わたしが父と逢うのは8月2日の退院日以来。
1階ロビーで待っていると、横臥出来るリクライニング車椅子に乗った父が運ばれて来た。
スタッフさん「あら○○(母の名)さんも~。今、娘さんが来ますよと言ったら、お父さん"娘だけか?"って訊いてきて…」
「まぁ、娘に逢ってもつまらないんでしょうね~」
1週間前まで母と同フロアで過ごしてるんだけど、記憶にないかもな。相変わらず母のことが大好きな父。
父と母にサーティワンのアイスを与えると、一瞬で食べ終える父。
「ちょっとゆっくり食べてよ。ご飯は?食べてる?」
父「…食べてる。俺がぜんぶ食べると、みんなすごく喜ぶんだよな」
ああ…いい施設なんだよね、本当に。
この特養を直感でロックオンした自分を褒めたい。
母も是非ここに入居させたい。が、母のランクが上がる来年までを考えると気が遠くなる。
アイスを食べ終えた父は、そりゃあ嬉しそうに母を見てる。母は…相変わらず周囲を見回し気もそぞろ。
父「……(母が)丸くなった?」
「そう。2か月で3キロ太ってるんだよ」
母、デブ化まっしぐらだ。
父「○○(わたし)は、体形、変わった?」
「変わらない。ってかお母さんに吸い取られる一方だね」
父の退院日の嘔吐、腹痛以降、わたしの体調不良は続いてる。この猛暑の中、食い続ける父や母の食欲には畏怖の念しかない。
そこで、わたしが余計なこと言った。
「また土曜日から、お母さんはここに泊りに来るからね」
父「そう?そうなの?じゃあもう充分だ(自フロアに戻りたいの意味)」
前回、わたしだけ面会に来た時も15分が限界だった。母を伴ったら違うかな?と期待したけど、父の15分リミットは変わらないらしい。
特養スタッフに連絡してもらい、1階まで迎えに来てもらう。
「じゃあ土曜日ね」
スタッフさん「え?あ、ショートスティですか?奥さん、今回は別フロアだったような…」
あ、そうだっけ???余計なこと言ったな~。父も忘れてくれればいいけど…。
「あ、あとヨーグルト差し入れです。食べられますよね?」
スタッフさん「最近、柔らかいカスタードのお菓子も召し上がってますよ」
!!!!!!!
お饅頭程度の柔らかさなら、大丈夫だそうだ。
誤嚥性肺炎で危篤になった86歳、固形を食べるまで回復!医師の治療方針がすごく良かったのかもしれない。
でもこの施設のスタイルも関係あるだろう。誤嚥性肺炎再発を恐れて、固形を食べさせない有料もあるらしいし。
再び母を車いすに乗せ、クソ暑い中帰宅する。
しかし、面会15分かぁ~
父の弟(叔父。もちろん後期高齢者)から「涼しくなったら面会に行きたい」と申し出がある。
が、老体に鞭打ち、遠路来てもらっても、叔父を叔父(弟)と認識できるか危うい上に、面会15分じゃちょっとなぁ…。悩ましい。
帰宅し、母を家に入れ、水分を摂らせ、本日母がディサービスから持ち帰った洗濯物を干しに2階に行き、リビングに戻ったら、
母「今、誰かが階段を下りて来た!」
「いやそれわたし。あなたを車いすに載せてパパに逢わせに行ったのも、あなたが持ち帰った洗濯物を干しに2階に上がって、いま降りて来たのも全部わ・た・し!人数増やさないで」
その後、落ち着きなく1階2階を徘徊してた母が、また玄関に向かうのを察知し制止しに出た。
母「あのね、今2階で大変なことが。続きがね、出来ないの」
「なんの続き?」
要領を得ない母と一緒に2階に行くと…相変わらず、わたしが干したばかりの洗濯物を1枚だけ取り込んでる。
「これ?これはまた干すよ。続きは取り込まないでいいの。他には問題なさそうだけど」
母「ううん、続きが出来ないの。大変なことが起きるかもしれない」
「まさか、また2階トイレにパッド詰めた?それともオムツの中がウンコ塗れ?」
母「違うと思う」
「大丈夫だよ。なにも大変なことは起きてない」
母をなだめる。
多分、頭のどこかでは母も理解してるんだよね。
父がもう自分で歩けず、施設で暮らしてて帰宅できないこと。
自分も同じく、いつそうなってもおかしくない年齢であること。
総じて、我が家が現在進行形で「大変なこと」になってること。
それを、わたし独りに背負わせて申し訳ない、でもだからと言って母自身もどうにもしようがないこと。
「大丈夫大丈夫」と宥めて夕食を作り、食べさせ、歯磨きさせてると、
母「そういえば、パパはいつ帰って来るの?」
「だぁら、さっきそのパパに逢いに行ったわけよ。アンタと旦那2人でアイス食ってただろうが。わたしは写真も撮りました。証拠残してます」
「えーあれ旦那なのー?」へらへら笑う母。
その直後、2階に上がる母のオムツ替えと着替えのために2人で廊下に出る。
母「あら、パパは…」
「この家は○○(母の名)と○○(わたしの名)しかいねぇって言ってんだろうが。はいさっさと歩く!クソ暑いんだよ廊下は!」
今までも星の数ほどの介護家族が思っただろうけど、
本当に、なんで認知症なんて病気があるんだろうな。
ってことで、兄弟に「介護参加の有無」を確認するメールを出した。
思えば昨年から5月まで、父母を一気に介護してた時。
父母の排泄まき散らし、オムツ脱、着衣脱、床への転倒、妄想幻視…いつだってまず、わたしの目の前に惨状が広がった。
その惨状を前に、出来る限り迅速に対処し、ヘルパー、訪看、在宅医、ショートスティなど、各介護サービスがどういう仕組みで、何をしてもらえるのか?を初めて知り、1つ1つ契約し、「投薬しないと施設もショートも無理」まで言われながら、現在の状況をわたし独りで創り上げた。
オムツはどういうもので、どう使用させて、パッドにはどういう役割があり…
そういうのも全部、買って実践してみるしかなかった。(時々YouTube)
それに比べ、介護サービスフル活用しオムツもパッドも揃ってる今、介護参加するのは断然楽だ。
なにより介護すべきは母1人しかいない。家事はわたしがやるし。
でも「無理」な場合もあるよね。介護しないならしないでいいよ。選んで。とも書き添えてある。
しかし返信が来ない。
同居なので文句はないけど「選択の余地もなく、あっという間に巻き込まれ、どっぷり介護地獄に漬かってるわたし」に比べ、このブログのURLも1年前に教えて、猶予期間が充分あった兄弟が「やる、やらない」を選ぶだけ。
悩むまでもなくすぐに返事が来ると思ってたのに、謎。