認知症介護って、親が「人」として壊れていくのを「人型」に支えながら、増える労力に反比例して悪化し壊れ続けるさまを具に見ることになる。
病気療養ではなく老化だから、良くならないのは当たり前!
そう頭で理解してても、
「自分が犠牲を払って日々やってるコレに、価値があるのか?」
「この価値のないことに潰されそうな自分に、価値はあるのか?」
父母が身体や床、壁に塗りたくられた糞便を拭きとりながら、ホントに死にたくなる。
でも、母の親友から「かつての母がいかに有能で、愛されていたか」の話を聴くと気分が上がる。
なんでかな~?と不思議だったけど、多分、
「(今ではこうだけど)この人はすごく価値のある人だったんだ」
そう思える客観的な話を聴きたいんだろうな。と悟った最近。
父の場合は、そういう機会がなかった。
新型コロナ流行あたりから、父はガラケーも使えなくなってた。その後、
「俺はスマホが欲しい!」
と騒ぎだし、仕方なくわたしが機種変した。
父は教えてもスマホを操作できず、ガラケー時代からわたしが確認していた着歴も残らなくなって2年ほど。
携帯は入所を期に解約した。
PCメールはよく使ってた(コロナ以前)から、起動できればもう少し交流関係がわかるんだろうけど、ポンコツ過ぎて起動しないし、暇もないので現在は放置中。
ところが昨夜。
父と同郷で大学の学友&同じ学生寮で過ごした後輩男性が自宅に電話して来た。
ちなみに父は一応最高学府、母も女子大の最高学府卒業。
ご友人も同じ夫婦構成で、奥さんは母と同窓生。父母の結婚式にも来てくれていたらしい。
こういうインテリ層の高齢男性って昔話が長い。「間」も長い。
母が就寝後だったので、「父と同じ要点がわからない話術、久々だな〜」と、1時間も電話に付き合ってしまった。
ご友人「え!まさか認知症…!え、あの快活なお母さんも?」
いつの時代の父と母をイメージして驚いてるのか…(多分二十歳前後だろう)
ご友人いわく、父は学生寮で、
- 非常に敬愛された存在だった
- 慈愛に満ちていた
- 母にベタぼれだった
- 穏やかな優しい目で僕らを見守ってくれていた
後半2つは、介護サービス関係者からもよく言われる。
施設でも、
「お母さん来ますよ~って言うと、わたし達に見せないニヤーっとした顔で笑うんですよ」「お母さんのことをなんとも言えない優しい目で見るんですよ」
よく報告される。昔からそうなんだ。なるほど。
ご友人「いやぁ~でもあなたが面倒見てねぇ、大変なことです…。僕もとにかく!娘が怖いです!」
突然のカミングアウト。
ご友人「え?お父さんもそう言ってます?じゃあ同じですね。本当にね、娘は怖い!だから娘の話は聴こえないふりをすることにしてます」
父とそっくりだわ!
施設でも「お父さんが野菜残すから、娘さん今日来ますよ!って言うと食べるんですよ」なんて報告を受ける。
ご友人「今日、あなたに覚えてもらいたいのはね、娘が言うことが1番響くんだよ!だから娘はもっと優しくしてくれるといい!」
ご友人は同居ではなく、ご夫婦2人でしっかり暮らせてるらしいけど、別居でも娘さんのご苦労が偲ばれますわ…。
学生時代母と2人で登山に燃え、山小屋のみならずビバークまでしていた父へ「2人は山で結ばれたのかい?ビバークでキスしたのかい?」と寮で揶揄うと、
当時の父「アルピニストは山の上では結ばれない。山を下りてから結ばれるんだ」
・・・。
ご友人「この名言!僕は今でもよく覚えてますよ!」
名言??いやまぁ青春ですよね。ワンゲル部、学生寮、学生運動、古き良き時代。
そんな話の合間に、GHQだとか、古き良き時代の日本の話だとか、高齢者を敬うべきだ理論とか…いちいち寄り道しつつ、
ご友人「それでその、お父さんの認知症とはどのような状態で…?」
え。それ聴いちゃう???
「家では。今の自分が歩けないことは記憶できないので、ベッドから降りて床に転倒を繰り返してましたね~」
その上で全裸になり、垂れ流し続けたわけだけども、さすがに言う気にならなかった。
そういえば、父の醜態は母の友人親戚には全部ぶちまけてる。でも父の親戚や友人には言えない。
母の醜態は…うん、やっぱり母の親戚友人には全部は言えないかもな。
ウチは両親共に弄便・不潔行為も激しいから、最低限の尊厳を守りたいのかもしれない。
だからわたしはこのブログにぶちまけざるを得ない。
ご友人「いやぁ会いたいなぁ。女房も奥さんに逢いたいと思いますよ…」
「他県で遠いと思いますが、もしよろしければ面会できますよ。ただ父が覚えてるかどうかは保証できませんけど…」
ご友人「え、そうですか?でも僕のことは覚えているんじゃないかなぁ」
うーむ。
ご友人「是非、あなたもお母さんも一緒に!女房連れて行きます!」
来てくれるなら喜んで‥。
ご友人「寮でね、お父さんが…なんだっけ、ほら、あれ、なんだっけ?お父さんが歌ったのよ。まだ流行する前にね。そのあとすごく流行した…」
「白百合」「思い出すのは」のフレーズが入る清純な歌。
とのことで、電話しながらスマホ検索したら、
「小林旭!?」
ご友人「…そんなんだったかねぇ?とにかく僕の中ではね、あれはもう○○(父の名)さんの作詞作曲ですから」
歌い出すご友人。わかりません…。
この会話はすべて、通話10分頃の、
「じゃあ電話番号を教えるから、なにかあればすぐ相談してね」
と教えてくれようとした間の会話。
携番は聞いたけど、ご自宅の電話番号は市外局番まで言ったところで横道にそれるそれる…。結局、自宅番号はそのままスルーした(爆)
でも面白い人だった。父も家族じゃなければ「面白い人」だと思う。
…そういえば特養入居の際に、家族からの情報提供シートで、
「父は頭がいいこと、学歴を褒められると喜びます。あと若い女性に囲まれて、自分の冗談に和気あいあいと笑ってくれてるムードが好きです」「母のことが大好き」
的なことを長々書いた。
特養相談員さん「こんな詳細な家族情報、見たことないです」
と笑われたけど、施設ではそのようにして父を扱ってくれてる。だからご機嫌。
父に限らず、父と同じジャンルの高齢男性はみんな同じなのかもな。
※
今、母の排便コントロール問題が色々勃発してて、昨日も訪看さんと今後の体制変化を話したり、「今の介護」で手一杯だから、こうして記録しておかないとすぐ忘れてしまう。
でもこれを読み返せば、
「父がとても価値ある人間で、敬愛されていた」
ってこともすぐに思い出せる。
在宅時よりわたしは優しくなってるはずだけども、やっぱり「また深夜2時に裸になりまして」なんて連絡受ける度にイラッとするから…
ご友人「いいですかお嬢さん、とにかく娘は怖い!もっと優しくです!」
肝に銘じようと思う(笑)