認知症の両親にブチ切れる

この日から怒涛の展開だった。

chika05.hatenablog.com

血液検査の炎症反応が出て、命綱のディサービス禁止。

急遽往診に来てくれた担当医、わたしが仕事中のため「素の父(床に全裸で仰臥。火のついてないタバコをくわえる)」を見て、

「診断(医大は10月24日が最短予約)を待てない。投薬開始!」

医師の決断で、レビー小体型認知症の投薬開始。

 

仕事を巻きで終えたわたしが自宅に戻りオムツをつけ、医師・看護師・わたしの3人でベッドに担ぎ上げた後、

「これは…認知症というか、精神科入院レベルですね」

医師とわたしで入院加療してくれる病院を探しまくり玉砕した15日。仕事の合間を縫っての着信履歴、17件だった。全て父の医療&介護関係。はぁ。

 

わたしが点滴処置デビューしたり、父が1人でベッド上に身体を起こすことも、車椅子の移乗も、ベッド脇で立つことも出来なくなったり。

 

昨日からは、夕方に排泄介助ヘルパーが来てくれた。月曜~土曜日フルで依頼。早朝はどうにも人員不足らしい。

 

 

そんな勢いで入ったレビー小体型認知症加療。

ドネペジルを朝1錠。

クエチアピン(鎮静剤)夜1錠。落ち着かなければ朝も追加で。

クエチアピン、統合失調症の薬なんだなぁ。

 

14日以降、父自身もリビング徘徊する力はない。が、観察するとベッドの柵の間から必ず脚が落ちてくる。

放置したらズルズル床に滑り落ちるけど、柵と柵の間に車椅子を停め落下を阻止する戦法を取ることにして、14日以降、床に仰臥することはなくなった。

さっきまでは!!共犯は、アルツハイマーの母。

レビー小体認知症アルツハイマーのタッグ、健常者のわたし1人では太刀打ちできなかった。

 

閑話休題

 

食事がとれるようになった父、朝昼晩と「食卓に行く」と言い張る。

しかし、ベッドで上体を起こすところから介助せねば起き上がれない。車椅子への移乗も全面介助。

昨日から来たヘルパーさんは大柄な女性だったけど、はぁはぁ言いつつ父を抱え上げてた。

 

もちろんわたしにそんなパワーはない。父に「もっとケツを上にあげろ」「違うそれじゃ滑り落ちる」と指示しつつベッドに座らせ、「せーの」で脇を抱え起立。

車椅子に移乗させ食卓…にいる間も、ずるずると滑り落ちる父。

「姿勢を正せ!」

と叱咤しつつ、ベッドに戻すのも同じ手順。昨日はこれを仕事の合間に昼と晩。今日は朝と昼。死ぬ。

 

そんな昨日の朝はディ。車椅子に移乗させ、朝食後にそのままディに送り出す算段。

しかしその前に「洗面所に行く」と言い張る。

「はぁ?髭剃りとかテーブルに持ってきたよ。洗面所いってなにすんの。立てないんだよ?こないだ洗面所で転倒したの覚えてないの?」

 

chika05.hatenablog.com

…覚えてないらしい。

仕事の準備と母の着替えで忙しかったわたしは、車椅子を洗面所に突っ込み、

「お好きにどうぞ」放置した。

その後、「リビングに戻りたい」と騒ぐ父を回収し、ディに送り出し…そこで気づいた。

 

彼にとって「食卓に行く」のは「家族の象徴」と信じて協力してたけど、TV前の椅子に執着して床に仰臥してたのと同じく、洗面所も食卓もただの固執じゃね?

 

そう思いつつ朝も食卓へ介助した本日。

昼食も「食卓に行く」という父を介助…くっさ!

大便をしてたのでベッドでオムツを替え、食卓への往復を介助。ああ、腰が痛い。

 

その後、仕事の準備をしてると父と母の会話。

母「なに~トイレ行きたいの?」「行けばいいじゃな~い」

母はたった今、娘がオムツを替えてる姿を見ていても「父が1階だけで暮らしてること・歩けないこと」を記憶できない。

 

嫌な予感がしてリビングに行く。

「わかってるよね?ベッドから降りない…って怖っ!」

ベッドに斜めになった灰皿とタバコ。脇にリハパン。

「こんなん一瞬で火事だろうが!」

しかも車椅子が移動され、ベッドの柵の間から父の両足が降りてる。いらっ。

 

「お父さん何?なんか用事があるわけ?オムツかえる?」父「いや、大丈夫」

「ベッドでタバコは絶対にダメだよ。火だるまになるよ!お母さんもわかった?」父母「わかった」

「ベッドから降りてもダメだよ!床に寝たらもうわたしは助けられないから!」父母「わかった」

 

で、仕事後ですよ。リビングに戻ると、

避けられた車椅子。床に全裸で仰臥する父。ケツの下には大きな尿のシミ。脱ぎ捨てたオムツは綺麗なまま。

父(尿シミ)の傍らにはクッションや座布団。もちろん尿にまみれてる。

 

「トイレに行く」という父に母が車椅子を避け、座位も取れない父はベッドから床に滑り落ち、オムツを脱いで床に放尿。かな?

その後、全裸の父を案じた母が、クッションや座布団を積んだとみた。

 

「このバカ夫婦が!!!!あんたらは全部忘れておめでたく生きてるようだけど、わたしは全部のケツを1人で拭いて回って全部覚えてんだよ!!!」

 

「そんなのわたしは何も聴いてない」と反論してくる母、更にヒートアップするわたしに父が一言。

父「ママを責めないでやってくれ」

「ったりめーだよ!1番責めてんのはおまえだよ!!!昨日からオムツ介助のヘルパー入ってるの忘れたか?ついさっきわたしがうんこのオムツ替えてやったのも忘れたか?立てねぇんだよ!トイレなんか行けねぇんだよ!自覚しろや!わたしの腰も背中も限界なんだよ!なんでヘルパーさん来ない日曜に床におしっこしてその上に寝てんだよ!」

修羅の家ですわ~。

 

父にオムツをつけ、床の大きな尿シミの処理をし、

「2人で出来ると思ってベッドから降りたんでしょう。よろしいんじゃないですか?ご夫婦2人でベッドに戻ってください」

仕事の片付けに戻った。

 

母「ほらぁ。早くベッドに戻りなさいよ。いつまで寝てるの」

父「…」

母「パッパッと立ち上がってベッドに戻ればいいのよ」

ヤバすぎるこのコンビ。

 

わたしが手伝うから記憶されないのか?いや、どれほど痛い目見ても記憶はされないんだろうな、2人とも!

 

父を放置したまま、わたしは淡々と夕食を作り始める。

ハンバーグにしようと思ったけど、仰臥じゃ食えないなぁ。

「お父さん、明日は祝日。ディも休みだから助けは来ないよ。起き上がれないならお粥ね」

仰臥する父へ粥を差し出すと「いい。食卓に行く」。

やはり…「食卓」は現状認知皆無の父の固執でしかないんだな。

 

今、わたしが全力を使い果たし父を必死でベッドにあげても、間違いなく「食卓に行く」と言い出す。

やっとベッドに乗せた父を座位にし、移乗させるのも当然わたし。

マジ、頭おかしいだろ。

「そう。じゃあいつまでも床に寝てないでさっさと起き上がれよ。ハンバーグは2つしか作らないから」

父を放置し、母と2人で夕食を食べる。

 

夕食を食べると、母は父のことなんか眼中になく2階の自室へ上がりたくて仕方がない。させるか!

「お母さん、お父さんに薬飲ませて」

鎮静剤以外の薬を先に飲ませ、床の処理をし、母の目の前で父を見下ろし、

「ケアマネは2人がかりであんたの足と頭をもってベッドにあげた。医師は看護師とわたし3人であんたをベッドにあげた。あんたはそんな状態なんだよ。それを今、わたし1人でやらせようとしてるの。わかる?」

父「・・・(わかってない)」

「おら、足踏ん張って力入れろよ」

渾身の力を振り絞って、父をベッドに押し上げた。もうホント死ぬ。

でも、記憶に残らないんだろうなぁ…2人とも!

 

保護責任者遺棄ってどの程度かなぁ。介護者の虐待があれば、緊急措置で保護してもらえるんだったっけ…もう遺棄でも虐待でもいいかなぁ。

 

父1人で置いておくより、身体はまぁ動ける母と一緒に置いておいた方がよいと思ってたけど。

床転倒…はまぁ、ヘルパーさんはいる日ならその時間まで放置するとして。

タバコはヤバいよな。

母は父に言われるままに何でもホイホイやるしなぁ。

ライターを隠したとしても、母は父に言われれば買いに行くだろう。

 

chika05.hatenablog.com

 

リビングのベッドが火元になったら、お客さんをとにかく逃がし、猫を捕獲し、PCと猫だけ持って逃げよう。

 

両親ともに重度認知症(片や身体寝たきり)の1人介護なんて、検索しても参考例を見ない。やはり施設一択かなぁ。

 

クエチアピン…はあまり使用したくなかったけど、朝も服用させようと心に決めた日。