ここに来てこんな連日ブログを書く事態になるとは…
今朝の父。
ベッドとテーブルの間に上下着衣で転がり蠢いてた。服着てるからセーフ。
最近の多動性、床に転がっても意外と自力で起き上がったりするので、
「早く起き上がって」
命じ、朝食を作る。
すると「ママ、ママ」、ソファに座ってる母を呼ぶ。
父「おしっこがでる」
幼児か!!!!!
「ちょっと待て!あんたスウェットの下にリハビリパンツ履いてんでしょうね?」
スウェットを下げるとノーパン…
「待て待て待て待て!オムツ履いてから…」
父「出た」
スウェットの下、床のカーペットに広がるオシッコのシミ。
「おまえふざけんな!!!!!!動物か?床のリフォームしてから死ねよ!!!」
キレますわ…。
動かない父を転がし、床に使い捨てシーツを敷く。
びしょ濡れのスウェットを脱がし、リハパンを履かせ、ベッドに上がれと命令。
これ、昨年の夏~秋の奇行と同じだなぁ。
メリマー、リスパダール…仕事しろよ…
父母の朝食を作り、薬を準備し、着替えに行って戻ると…
床の尿まみれのシーツの上に転がり、朝食を食べる父(母に命じ、持って来させたんだろう)がいた。長袖の上着は脱ぎ捨てられてる。パンくず塗れ。
ああ、懐かしい…いやいやいや、ドネペジル投薬して止めて、抗精神病薬調整して半年、
やってること同じかよ!!
昨年秋と違うのは、その合間に母が、
「わたし1階に行かないと」「外に行かないと」
と階段を上がり下がりし続けること。そしてパッドをトイレに詰めまくること。悪化しかしてない。
母がトイレに行き出てこないので見張ってたら、案の定ウンコしたパッドをトイレに詰めてた。リビングの手袋やビニールをピックアップし、
「じゃあ、この手袋してね」
母に手袋をつけさせる。わたしも慣れて来た。
母に便器からパッドを取らせる。小さなビニールに入れ、大きなビニールで回収し、母をトイレから連れ出し、手を洗わせ…
父「寒い!」
父の昔からの拘りは「リビングのドアを閉めろ」。
母がよく開け放してるわけだが、先日、朦朧とした母に急行してくれた救急隊にすら「ドアを閉めて」と言い出したので引いた。
もちろん、わたしはブちぎれる。
「寒いだぁ??てめぇが半そで1枚で濡れたオシッコシートの上にいつまでも転がってるからだろうが!!!こっちはこっちで大変なんだよ!!!」
母の汚物を片付け、変わらず床に蠢く父を見下し動きの指示を与える。
しかし指示が通らないんだよね~。
ベッド側に身体を向けベッド柵を掴ませても、すぐ反対側のテーブルや車椅子にしがみつく。
テーブルや車椅子を使い座位になれても、その先どうしようもない。
昨日の夜の移乗でわたしの腰はやられてる。
仮にわたしが腰に鞭打ちベッドに父を乗せたら、座位に拘る父は秒でベッドから降りるのは経験済み。
させるか!!!
なんならショートの迎えまで床で過ごせ。と思うが、昨年の学びによると、
また尿意→オムツを脱ぐ→床に放尿
だから油断もできない。
もちろん、2階に連れ込んだ母がいつ外に飛び出すかもわからないから見張ることも出来ない。
結局11時までかかって、わたしが全身を痛めつつ父をベッドに突っ込んだ。
母は1階2階を行き来してる。今日は「駅」に固執。
母「わたし、昔は駅で働いてたのよ。でね、その時の家はこの駅じゃないの」
この駅とは?
母「わかんないけど、とにかく違うの」
じゃあ、お母さんの家はどんな家?駅の名前は?
母「わかんない。見たことないの。でもここじゃないの」
わからないならここで暮らせばいいじゃん?
母「でも心配してるかもしれないし」
どんな人と暮らしてたの?
母「それがわからないのよ。でも、駅で一緒の人が連れて来てくれたの」
わからない家族と暮らしてたんだ。で、連れて来てくれたのはどんな人?
母「友達」
うん名前教えて。電話してお母さんのホントの家がどこか聴くから。
母「名前?名前は聴いてないけど、毎日一緒に仕事してたの」
もちろん母が「駅で働いた」事実はない。
そして会話してるのは2階の母の部屋の前。
昨夜母が貼った「ここは○○(母の名前)の部屋です」と、わたしが昔作った母の名刺(自宅住所つき)」を指しながらの会話。
もちろん、住所が何を意味するか認知してない認知症者にとっては、そんなの意味ない。
母を落ち着かせ階下に戻ると、父がベッドで新聞を広げてる。
「ちょ、それ!あんたがさっき床におしっこしたのを吸収させるために敷いてる新聞!!!」
父「ああ、今日の夕食はなにを予定してる?」
…もう絶望しかねーわ。
「今は昼の12時前。このテーブルにもあのテーブルにも、あんたが食い散らかした朝食が残ってる。で?あんた今、なんだって?ってか、その新聞を早く床に置けや。あと、今日は午後から1週間、ショートスティだって言ってんだろうが」
父「ああ、そうか。今は昼か…」
すると母が降りてくる。両手にパジャマを抱えて玄関に。
母「これはとても大事なものなの」
「うん、わかった。とりあえずこっちに来てみようか!」
リビングに連れ込む。
昼食を作る。
母に父の散乱した朝食を持って来させ、昼食とともにテーブルに並べる。
「なんでこうなってるか分かる?」
父「わからない」
「あんたさっきまで床でおしっこして転がってたの。それをわたしが何とかベッドに抱え上げたのが1時間前」
父「…覚えてない」
「お母さんは?」
母「え~覚えてない」
で、す、よ、ね!
「じゃあなんで床に新聞紙が敷いてあるかわかる?」
父「それはアレだよ。イベントがあるんだ」
??先の夕食の話と言い、広げた新聞に食のイベントでも載ってたのか???
「20分前にも説明したけど、床の新聞におめーのおしっこを吸収させてんだよ!!」
母「ええ~床におしっこなんてないでしょう~」
ガックリ無限大。
父「お父さん、昨日の夜はわたしとお母さんでマックを買って来たの覚えてる?あなた途中でハンバーガー床に落として寝オチ。わたしとお母さんとでアンタをベッドに運んだの」
父「マック…?(普段はマック大好き)覚えてない」
母はもう5分前の出来事すら記憶できない。それがどれほどセンセーションな出来事でも。
父は保ててる記憶もあるが、自分が不始末起こしたことは忘れる…と思ったけど、違うんだな。不穏スイッチが入ってる時の記憶は総じて消えるんだな。
2人にはわたしがガミガミセカセカしてることしか記憶に残らないわけだ。
マジやってられん。
今日は母の徘徊を受け、午前中の仕事を1つ飛ばした。
で?
ショート帰宅後もこの夫婦の狂騒は続くのか?????
母の「服をもって徘徊」のリスクが高すぎて、ホントに仕事なんか出来ないんですけど。ショート後もそこそこ仕事を詰めてる。
つか、今詰めなきゃいつ詰めるってレベルでニーズは来るのに…
メマリー15mも飲ませてこの状態の母。
アリセプトを止めたらどうなるんだろうな~。
特養申し込んでる父だけなら、空きがあればロングショートスティという手段も取れるかな?
しかしここで母だけ残したら、ますます徘徊悪化するだろうし…。母も少し鎮静させないと、施設も持て余すだろう。
1コマ1コマ進める度に、奴らの認知症症状が悪化してて追い付かない。
で、今はショート迎えの1時間前。
まだ父にも改めて「着替えしてショート行くよ」とは言ってない。
母は今、落ち着いて自室に行ったので、もちろんショートの話はしてない。
30分前になったら一斉に支度させ、母に服を選ばせ(父と母の最低限の荷造りは終えてる)、詰め込んでショートに連れ込む予定。
よく「ショートスティ行かせて、介護者の負担を…」とか言うけど、前後が尋常じゃなく大変なんだよなぁ…。
夫婦2人を1人で世話してるからか?
仮に父が特養入所できたとして、わたしの精神的負担が軽減し母に余力を注げたとする。
リビングから父がいなくなれば、わたしも知ってる母の友達や従妹も多少は遊びに来てくれる。その声がけをする余裕は出来るだろう。
で、母が満たされるか??
わたしが不在の時間を過ごせるのか?
彼女が求めてるのは「かつての自分(自己評価)」だから、その程度じゃ意味ないかもなぁ~。