三度歩けなくなる母

今朝、母が三度立てなくなった。

 

ディサービスがあるので起こしに行くと、ベッドから上体を起こせない。

介助して上体を起こし促すも「腰が痛い」とわめき立てない。

介助して立たすも「足が痛い」とわめき立位が取れない。

手を持ち歩かせてみようとすると「手が痛い」とわめき歩けない。

 

再びベッドに戻すも、今度は座れない、寝転がれない。

わたしが介助しようとすると、触ってもないのに「痛い痛い」。

「じゃあもうディサービス行かなくていいわ。自分で寝なさいよ」

しかしベッドに座ってる身体をどう動かせばいいのか、理解できない。

床に転がり続けた父と全く同じだ。

これ介護者が死ぬ気で動かさなきゃ微動だにしないんだよ!!

 

とりあえず電話をし、ディサービスに送迎を断る。

「外に出る」「階段を上り下りする」など「不穏スイッチ」が入ったら当分は何を言っても火に油。

今の母を自宅2階から1階に移動させることは到底できない。

が、わたしは朝から仕事。1日独りで過ごせないだろうから、「痛くて立てない」を忘れた頃にさらっと階下に連れて行き、車椅子でディサービスに連れ込む方向に切り替えた。

 

しかし「立てない」サイクルが早まってる。

19日木曜に夜間不穏。独りで喋りながら階段昇降し続け、足腰立たなくなったのが20日金曜日の朝。

夕方、訪看が来る頃にはバイタルも正常で、フラットなベッドから自分で起き上がってた。

21日土曜日、わたしは終日仕事。

ディサービス帰宅後の17時に母のヘルパーさんが訪問した時は、母はリビングの床にお転がってたそうだ。

この数か月、母はちょっとの刺激で興奮するので、ヘルパーさんのチャイムで急に立ち上がって転倒したのか、もっと前から床に座り込んでたのかは不明。

22日日曜日には足腰が動き出し、また玄関から屋外徘徊に。

 

23日、昨日の月曜日は普通にディサービスに送り出した。

15時過ぎの帰宅時はスタッフさんに任せ、わたしは18時まで仕事だった。

途中、仕事を抜け出し母にお茶やオヤツを与え、「18時過ぎに戻るから留守番してね」と言い聞かせ(秒で忘れる)、本来は夜しかつけない外付けの補助キーを玄関につけて仕事へ戻った。

「仕事中、母を放置する」のも問題。

だがなにせ「刺激」に「興奮して予期せぬ行動に出る」ので、「わたしやヘルパーが、母の様子を見に来て"いなくなる"」と「後追い」「(今いた人がいなくなった!どこ?って感じで)徘徊」するからどっちも選べない。

 

案の定、仕事を終えて帰宅したら、補助キー以外の内鍵は全て解錠されていた。

補助キーつけてなければ屋外徘徊で転倒しただろう。

その時に「玄関が開かないから、階段昇降リピートしてた」可能性も否めない。

で、24日の今朝はベッドから身を起こすことも出来ない状態。

 

父もそうだったけど、「変則的な認知症の心身の波」に振り回されホント~~~に疲れる。

 

 

 

今朝は結局、ベッドで棒のようになってる母へ水分を摂らすことも出来ず、わたしの仕事前に不穏解除できるとも思えず、初めてディサービスを欠席した。

 

仕事前に「吸い飲み」を買いに走り、寝たきりの母にお茶を飲ませるも、

「口に含む」「吸う」「唇から離す」「お茶を呑み込む」

この一連がもう出来ない。

「立てない」「歩けない」時の母は、認知機能全般が低下する。

わたしのことも認知できないし、寝返りを打つことも出来なくなる。

 

仕事中に様子を見に戻っても状態は変わらず(ただし、ここまで寝た切りなら屋内・屋外徘徊の心配はない)、元々16時半訪問予定の訪看に予定を早めてもらえるか、ナースステーションに打診。

訪看が来れる15時45分に合わせ、お客さんに帰ってもらう。また信用を失った。

 

結果、母は今日もバイタルに問題なし。

しかも、金曜日に続き本日も、看護師が来る夕方は身体機能が少し戻る。

訪看帰宅後に「そろそろ起きれば?」と誘導したらすんなりベッドから起き上がり、階段を降り、リビングで夕食を食べたしね。

 

で、明日はどうなのさ???

いよいよ「明日が見えない」状態になってきた。

秋だからかもね。

秋は2020年の「自殺行動」から始まり、昨年は「傾眠」「食事量減少」と鎮静化が進む。(春は多動・屋外徘徊が増える)

元々、秋は冬季鬱の時期だし、理性のブレーキが利かず動物に近い認知症が、鎮静化・非活動状態になってもおかしくないけども…

わたしは仕事、家事、各種介護サービス契約もろもろ、理性的社会の中で生きてるので認知症の季節変動に合わせ続けることは出来ない。

 

週4回のディサービスの日は、予定に合わせた荷物を作り、送迎時間に合わせ母を起こし、食事身支度を済ませ玄関前で待機せねばならないし。

ショートスティの日は滞在中の荷物と投薬をセットし、母の食事身支度を済ませ、迎車時間に待機せねばならないし。

ヘルパー、訪看の訪問日・時間に合わせ必要なものを揃え、出迎えるか・自宅に入れる状況を用意してなければならないし。

その隙間でオムツを替え、日々垂れ流される排泄を掃除し、仕事を取り、家事をし、自分の通院予定を組み…そんな中で、

「起き上がれない~」

なんて頻回にやられる…しかもその前日は「外に行くの!」と屋外徘徊を繰り返す母を阻止し続けてたりする…と、

 

ま・た・か・よ!!!!!

 

と思う。その反面、

 

こうやって身体の使い方の記憶も失われ、飲み込むことも、食べ物も認知できなくなり、排泄コントロールもできなくなり、話すことも表情も全部失われていくのね。なるほどこれが認知症

 

家族を忘れるのは記憶だけど、立つ・歩く・飲み込む時の神経伝達や筋肉の活動は本能の領域だと思うんだけど、それも奪われていくのか。

2010年に母が脳卒中になった時は、脳幹部分だったのでその本能部分が一瞬にして全部奪われたから、

「寝たきり、自力排泄も難しい。胃ろう」

と宣告を受けた。

 

毎日病院に通いマッサージして、奇跡的に四肢の活動や立位・歩行など母も頑張って「元通りにはならないし、主婦としての仕事をこなすことは出来ないけど、普通に暮らす」

まで奇跡の回復を遂げた。

なのにここにきて、今度は波の揺らぎの中で徐々に回復させた機能が奪われていくわけで…

 

母本人に脳卒中の記憶がもうないから幸いしたけど、記憶を保持してる本人と仮定したら、そりゃ死にたくもなるよね。

今更ながら、母がまだ認知症中期だった2020年の秋、自殺行動を繰り返してた気持ちを、今更ながら理解した今日。

 

chika05.hatenablog.com

 

結果的に、本人はもう何もわからないからよかったのかな。